歴史遺産としての状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 02:26 UTC 版)
「鎮遠」は除籍後の11月に装甲巡洋艦「鞍馬」の砲撃演習時に標的艦として使用され、1912年4月6日に横浜の解体業者に売却されて解体処分となった。錨や錨鎖、砲弾などの一部の部品は、日本国内で保管されていたが、第二次世界大戦後の1947年に中華民国の要求により上海に送られ、さらに中華人民共和国の手に渡って北京の中国人民革命軍事博物館で展示されることとなった。 また、自沈後の「定遠」の艦体の一部は翌年引き上げられた。福岡県太宰府市には引き上げられた定遠の艦材を使った「定遠館」という記念館がある。門の扉は定遠の鉄板を使用している。館の玄関には艦内の手すりと思われるもの、正面の梁に装飾を施した部材(木)、左手の縁側の下にはボートのオールを見ることができる。もともと、太宰府天満宮の神官の一人である小野(三木)隆助の邸であったが、そこに私財を投じて建てられた。太宰府天満参道を登って右手案内所のそばに定遠館があるが、前庭は駐車場となっている。 2004年9月に中国の威海港で「定遠」の復元艦が進水し、展示されている。 ウィキメディア・コモンズには、定遠級戦艦に関連するカテゴリがあります。
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