政党として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 14:23 UTC 版)
1989年(平成元年)、プロレスラーのアントニオ猪木を中心に結成。第15回参議院議員通常選挙において、猪木が比例区で参議院議員に当選。ちなみに、当時の比例区は厳正拘束名簿式で、政党名票しか認められておらず、猪木の個人名を書いた無効票が大量に出た。参議院では民社党と統一会派を組んだ(「民社党・スポーツ・国民連合」)。 1992年(平成4年)の第16回参議院議員通常選挙では、1970年代に南海ホークスや阪神タイガースの先発投手として活躍した江本孟紀が比例区名簿第1位で出馬し参議院議員に当選。1994年(平成6年)には会派を組む民社党と共に野党系統一会派の「新緑風会」に合流するが、同年の新進党結党には参加せず、民主改革連合と共に「新緑風会」に残留した。 1993年(平成5年)6月には週刊誌報道を受け猪木が一時党首を辞任(江本が代表代行を務める)、さらには党幹事長の新間寿が猪木の告発本を執筆するなど党内は分裂状態となる。1995年(平成7年)、護憲新党あかつき代表で元日本社会党の上田哲を共同代表に迎え、「あかつき」を吸収合併し、第17回参議院議員通常選挙に候補者を擁立(新日本プロレスのリングドクターの林督元も名簿順3位で立候補)するも、全員落選、猪木のかつての付き人の髙田延彦が副党首たるさわやか新党参戦で票割れした事も大きかった。猪木の落選を受け、江本が自由連合に移籍し、国会での議席を失った。
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