昭和中期・戦後復興期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/18 08:17 UTC 版)
「新潟市の歴史」の記事における「昭和中期・戦後復興期」の解説
太平洋戦争が終結した1945年(昭和20年)9月、アメリカ軍が新潟市に進駐し、新潟市公会堂に軍政部を設置した。新潟飛行場は接収され、軍需工場は操業が停止された。極端な物不足のため闇市が出現し、農村には食糧の強制供出が割り当てられた。 地主から農地委員会が農地を買い上げ、小作農民に売り渡す農地改革が進められた。改革は1950年(昭和25年)に終了し、自作農地は9割以上になった。地主制は消滅し、農村は自作農家中心の村落に変わった。 1948年(昭和23年)、栗ノ木排水機場が運転を開始し、国・県営の大排水機場が順次整備された。農家は、耕地整理組合や土地改良区を組織し、農地を統一規格に整備した。市域の農地は、1955年(昭和30年)ごろにはほとんどが整然と区画された乾田となり、牛馬・動力機械による農業が可能になった。 電力・石油不足の中で、復興を支えたのは水溶性天然ガスであった。敗戦直後はバスや工場の燃料であったが、1950年(昭和25年)ごろから尿素やメタノールを生成するガス化学工業の原料に用途が広がり、工業復興の中心となった。新潟港の貨物量は、1956年(昭和31年)に戦時下を超えた。
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