昭和京都名所図会
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『新撰京都名所圖會』は好評を得、当初用いられていた正字体を当用漢字に改めるなどして版を重ねられた。しかし1974年に臼井が没し、経営難に陥った白川書院は任意整理され、圖會は絶版となってしまう。また竹村は「新撰」で書き漏らしたものや誤ったものを補いたいと考えた。 その間日本全体が高度成長期を経て京都自体も威容は様変わりした。高度成長期前、昭和30年代の京都の姿を「図会」として残しておけたことは幸いであり、後書きで「本書が真に利用されるのは、百年二百年後にあると思う」(『新撰京都名所圖會』巻6 「あとがき」より引用)とするなど竹村もその点には満足していたが、やはり内容が古くなった事は否めず、また市電が廃止された結果電停を基準とした案内などでは不便となるなどし、1980年より増補改訂の新版『昭和京都名所図会』を駸々堂出版で刊行。1989年まで9年をかけ、全7巻を完結させた。全巻で1870項目、挿絵は315枚におよぶ。
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