昭和以後の東俣とは? わかりやすく解説

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昭和以後の東俣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 14:35 UTC 版)

東俣町 (鹿児島市)」の記事における「昭和以後の東俣」の解説

1928年昭和3年)頃には製糸工場地内設立された。当時郡山村では唯一の本格的な工場であったが、昭和恐慌煽りを受け1933年昭和8年)には閉鎖されたといわれている。 1956年昭和31年郡山村下伊集院村一部編入する同時に町制施行し郡山町となり、郡山町大字となった1993年平成5年)に郡山町東俣区域内に「人・物情報三つ拠点づくり」を設立目的総合運動公園建設する事業着手し1994年平成6年)に起工式が行われ、1997年平成9年)に町制施行40周年合わせ総合運動公園落成式が行われ、2000年平成12年)に温泉活用施設が「スパランド裸・楽・良」としてオープンした2004年平成16年11月1日郡山町吉田町松元町喜入町桜島町と共に鹿児島市編入された。合併に際して設置され法定合併協議会である鹿児島地区合併協議会における協議によって、郡山町区域大字については「字の区域廃止し当該廃止された字の区域相当する区域により新たに町の区域設定し、その名称について表示に基づき、各町の意向尊重し合併までに調整するものとする」と協定された。 前述協定基づいて合併前の10月26日鹿児島県告示である「 町の区域設定及び字の廃止」が鹿児島県公報掲載された。この告示規定に基づきそれまで大字東俣廃止され大字東俣全域を以て新たに鹿児島市の町「東俣町」が設置された。

※この「昭和以後の東俣」の解説は、「東俣町 (鹿児島市)」の解説の一部です。
「昭和以後の東俣」を含む「東俣町 (鹿児島市)」の記事については、「東俣町 (鹿児島市)」の概要を参照ください。

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