経営難
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しかし、生駒トンネル掘削の難工事による多額の出費が原因で経営難となり、沿線の生駒聖天から賽銭を借りて当座の経費を賄うほどに窮迫した。主要利用客である生駒山参詣者の人出がお天気次第なので運賃収入もお天気次第、という意味で「『大阪電気軌道』でなく“大阪天気軌道”」、空気のように頼りない経営状態から「『大軌』でなく“大気”」、と揶揄されたことさえあった。 更に岩下など、設立に関わった取締役も次々に手を引くようにして辞めてしまい、大軌に残ったのは金森又一郎(後に社長、「大軌の実質創業者」とも呼ばれる)など数名のみとなり、毎日会社に債権者が押しかけるという事態にも陥った。このため実業家の片岡直輝が、大軌の依頼で生駒トンネルを建設したものの、代金未払いの状態が続いたことが原因で、倒産寸前に陥っていた大林組とセットで大軌の再建に乗り出した。 その後、経費削減などの経営努力と利用客の増加により辛うじて大軌は再建し、1916年(大正5年)3月には一応の債務整理を完了した。
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経営難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 02:20 UTC 版)
衛星デジタル音楽放送株式会社は開局当初から有料契約者の低迷と脆弱な経営基盤を改善することができず、BSデジタル音声放送参入による設備投資負担に耐えかねる格好で2001年7月に民事再生法申請により事実上倒産。2002年5月に株式会社ワイヤービーの子会社となり、2003年3月31日付をもって吸収合併され消滅した。 2003年4月からはワイヤービー衛星音楽放送事業部門として局名を「クラブコスモ(Club COSMO)」と改め、放送が継続された。しかしわずか半年後の同年10月1日、同部門の営業権および無線局免許は別会社のWorld Independent Networks Japan株式会社(WINJ)に譲渡し、ワイヤービーは事業譲渡の直後に破産した。 「ワイヤービー」および「World Independent Networks Japan」も参照 WINJへの譲渡内容に含まれていなかった番組と自然音のDATは同社が占有したが、破産管財人によって241本の自然音テープが競売にかけられ、WINJが500万円で落札した。 WINJは2006年11月1日、放送機器メンテナンスの名目で放送を休止(この時点で事実上の放送終了)。2007年度中の再開を予定していたが、2007年11月14日、放送法第52条の24第2項に基づく委託放送事業者の認定取り消し処分が下され名実共に放送終了。放送大学の参入までBSデジタルラジオの歴史が一旦途切れた。
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