経営陣の交代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 04:35 UTC 版)
日活労働組合の提案で発足した日活児童映画室も1978年には分社化されて日活児童映画株式会社(のち「にっかつ児童映画」に改称。1993年の日活の会社更生法申請後、児童映画は破産手続きが取られて解散)となり、当初からの主要な3人のスタッフが子会社の役員に就任し、全国で15人のスタッフを抱えるようになった。そして、全国の営業会議では労働組合の委員長や副委員長もその会議に参加するほどの関係であったが、次第にその関係は薄まっていった。10作目となる日活本社持ち込み企画の「ボクのオヤジとぼく」の不作の結果、本社の映像本部からの介入で3人の役員が降格され、のちにこの3人は独立して「東京フィルムズ」を設立し、同じような親子映画に関わるようになり、競合関係となった。新しく就任した社長によって、当時アニメ中心の親子映画を、日活の伝統的な製作体制から児童劇映画を送り出す方針に変えたものの、続けて製作した2つの作品は成績が振るわず、他社作品に依存するようになっていった。1982年には「先生のつうしんぼ」、「四年三組のはた」、「アフリカの鳥」の3作品がTBS系列で夜のゴールデンタイムに全国ネットでテレビ放映されるほど高い評価を受けた日活児童映画もその力量を落としていった。
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