経営難となった要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 13:20 UTC 版)
「全日本女子プロレス」の記事における「経営難となった要因」の解説
松永家における浪費、飲食業経営、土地転がし、株の投資に手を出したことが経営を著しく悪化させた最大の要因である。不動産事業に関しては外部から不動産業務のプロを招き入れ秩父市に「女子プロレスワールドリングスターフィールド」と言う800坪のキャンプ場をオープンさせたが、バス1台ですら通行困難な山奥の土地で、全女のイベントと他団体のプロレスラー・格闘家が特訓場所として利用していた以外には一般客の利用は数えるほどしかなく結果、開発は失敗して頓挫しており、利益が出ていたかどうかは疑わしい。1番の原因は博打的な株の投資で大損害を負ったからとも言われている。 興行面での利益確保は、タッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」の全盛期は数十億円程度の収入があったといわれているが、地方興行は立見券(1,000円)や自由席券(末期は前売りで3,000円)での入場者がかなり目立ち、指定席券は空席が多く見られた。当日券は指定席券が1,000円割引、自由席券が半額となる優待券やネット割引クーポン(ネット割引クーポンは事務所の車庫で開催するガレージマッチ、後楽園ホール、一部試合会場では使用不可)で集客に努めていた。試合会場で売っていた焼きそばやグッズは良く売れていたが、それらの利益は選手には全く還元されず、松永家の事業に費やされていった。アジャコングや北斗晶が在籍していた頃でさえ、地方興行のほとんどが赤字遠征であった。 2003年9月11日に開催した山口県小野田市(現・山陽小野田市)の小野田市民館体育ホール大会では、プロモーターによるチケット代金持ち逃げが原因で、前払いから後払いに急遽変更した試合会場使用料の未払い額である約32万5000円を滞納したため(使用料約35万2000円の内、3万円は支払い済み)、施設を管理する小野田市は全日本女子を相手取り、船木簡易裁判所に告訴した(後に全日本女子と小野田市の間で和解)。 1996年秋ごろから、松永家のプロレス興業以外における巨額の借金の返済に追われ、全日本女子所属選手とスタッフに対して給料の未払いや遅配が発生した。所属選手はサーキットや練習に追われていたためアルバイトも出来ず、最終的にはサーキット中に無償で食事などを提供してくれるプロモーターを頼らざるを得なかった。下田美馬は「貯金は底を尽き、給料袋には千円札一枚の時もあった」事を明かしている。ある中堅選手も年間300万円の給料の未払いがあったと後に告白しており、水嶋なつみも給料未払いを理由に全日本女子を退団している。1997年の日本武道館大会直後には選手全員が我慢の限界に達して事務所前で給料の支払いを求めてストライキを敢行している。 経営改善策として1997年初めに興行から選手を交代で間引く「公休制」を試験導入したが、ファンやプロモーターからの反発が大きくすぐに頓挫している。スタッフには全日本女子の運転資金にするため各自消費者金融から50万円借りて来るよう促されたといい(返済は当然、スタッフ個人が行った)、リングアナウンサーの今井良晴のようにアルバイトを掛け持ちしたスタッフもいたという。経営破綻と同時に所有権が移動した自社ビルに関しても経営破綻前から売却を検討していたという。事務所移転前後には全盛期のような20戦前後かつ全国を回るサーキットは殆ど組めず、関東地方中心でかつ10戦前後のサーキットとなっていた。2004年12月時点では負債が約30億円あったという。 結局、飲食産業部の売上げでプロレス興行の赤字分を補填し続けていたが、倒産する5年以上前から自転車操業状態だった。
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