経営難と欠損補助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 19:38 UTC 版)
これらの路線のうち、丸子線は生糸や軽工業製品、真田傍陽線は木材や農産物を国鉄信越本線大屋駅・上田駅や上田市中心部に輸送する路線であり、特に丸子線は別所線よりも営業成績が良い路線であった。しかし1960年代に入ると旅客輸送において自動車の占める割合が増え、旅客収入のみでの経営は困難となっていた。西丸子線は木材も輸送したが開業当初から経営難であり、1963年に自然災害をきっかけとして廃止された。そして、モータリゼーションの進展による旅客輸送の減少等は1969年に丸子線、1972年に真田傍陽線を相次いで廃止に追い込んだ。別所線は中でも旅客輸送主体の路線であり、自家用車の普及が進む状況においては丸子線や真田傍陽線と同様にモータリゼーションの影響は避けがたい状況となっていた。 そのような中で、1973年に乗客減等を理由に上田交通(1969年に上田丸子電鉄から社名変更)から別所線も廃止・バス代替の方針が示されるに至り、こちらでも先に廃止された丸子線や真田傍陽線と同様に沿線住民による大きな廃止反対・路線存続運動が起こったが、1974年以降3年間、地方鉄道軌道整備法(現・鉄道軌道整備法)に基づく国・長野県及び上田市からの軌道整備補助金(欠損補助金)が交付されることになったことからこの時は廃止の危機を免れ、1977年に路線維持の方針が決まった。
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