就航まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:40 UTC 版)
1997年、群馬県前橋市に本社を置く医療機器製造販売会社「シェンペクス」が『はあと航空事業部』を発足。2001年3月時点では「はあと航空として2002年4月から帯広起点に2路線で就航予定」と発表していた。2001年5月、『はあと航空』として法人設立。のち「エアァシェンペクス」に社名変更。2002年中の就航を目標に準備していたが、資金不足等から就航が何度も延期された。2004年1月30日に定期航空運送事業が許可され、6月にはドルニエDo 228にて運航開始予定とされていたが、機種変更を理由に再び就航を延期していた。 2004年7月、旧社長は会社譲渡を決断。航空関係業界に相談するもすべて断られたが、観光ハイヤー事業をおこなっていた江村林香に事業売却の話が持ちかけられ、2004年8月、江村が譲受し、日本国内航空会社で初の女性社長に就任。スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)設立に携わった澤田秀雄を顧問に迎えた。社長の夫、中山淑惇も他の事業をおこないながらもエアトランセ取締役に名を連ねている。2004年8月に資本・経営陣の交代を発表、2004年10月に会社名を「エアァシェンペクス」から「エアトランセ」に変更。 旧親会社のシェンペクスは、2006年3月30日に自身の民事再生法適用の申し立てをおこなっている。就航以前には東京都港区虎ノ門2-10-1新日鉱ビルに本社を置いていたこともある。
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