就航までの経緯とは? わかりやすく解説

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就航までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 14:23 UTC 版)

厚岸フェリー」の記事における「就航までの経緯」の解説

厚岸町は、天然良港である厚岸湾中心として海運水産業発展したこともあり、明治初期湖南地区市街地形成された。1871年明治4年)の開拓使出張所開設以降郡役所町役場といった行機関湖南地区設置され続けた一方1917年大正6年)に釧路から延伸した釧路本線は、湖北地区厚岸駅設け、同駅からの貨物線として厚岸湾沿いに浜厚岸駅設置した。これに伴って湖北地区開発進み両岸行き来する必要性高まっていった。 両岸往来の手段として明治末期から架橋運動が行われたものの実現には至らず焼玉船等による私営渡船が行われていたが、1928年昭和3年)には湖北地区湖南地区とを結ぶ町営渡船就航したその後昭和20年代後半になると、人口の増加陸上輸送へのシフトといった情勢変化から、渡船での連絡限界迎えフェリー就航強く望まれるようになった1956年日本道路公団発足すると、道路整備特別措置法に基づく有料道路事業としてのフェリー要望され1958年度事業化同年9月13日着工した北海道における日本道路公団有料道路事業は、厚岸フェリー初めであった接岸施設設計にあたっては、厚岸湾早い潮流対応できるよう、鋼管杭5本を組み合わせたドルフィンを2ヶ所に設置し、これに導船壁を取り付けて導船する仕組み取られた。就航する厚岸丸及び接岸施設は、1959年昭和34年7月10日工事完了し同年8月2日から営業開始された。湖北地区側に管理事務所が、湖南地区側に分室設けられた。

※この「就航までの経緯」の解説は、「厚岸フェリー」の解説の一部です。
「就航までの経緯」を含む「厚岸フェリー」の記事については、「厚岸フェリー」の概要を参照ください。

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