太平洋戦争 - 昭和中期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:35 UTC 版)
「日本の学校制服」の記事における「太平洋戦争 - 昭和中期」の解説
1940年(昭和15年)、男子は国民服、女子はもんぺ姿が標準となる。1950年(昭和25年)、詰襟やセーラー服が復活する。 戦後、外貨節約と合成繊維産業の育成の国策のため、1954年から55年にかけて通産省を中心として 「合成繊維学生服需要促進の具体的方策の検討」 会議が開催され、政府は合成繊維学生服の需要拡大に強い後押しを行った。東レは合繊学生服について、マージンも高く、需要の予測もしやすいため収益性が高い安定的製品だと認識していた。しかし導入は必ずしも順調ではなく当時は中学で制服を導入するにあたりの保護者や労働組合、洋服屋などの反対が強く制服は標準服あるいは推奨服と位置付けられた学校もあった。学生服を扱うトンボも業界参入時期が、東レが大量に作られる合繊素材の用途開発を本格化した際に小学生の通学服に注力した頃と同じくしている。
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