血統登録の創設と「血統不詳」馬の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 10:05 UTC 版)
「豪サラ」の記事における「血統登録の創設と「血統不詳」馬の誕生」の解説
一方、20世紀初頭にジェネラルスタッドブックによって血統登録に基づくサラブレッドの厳密な定義が確立し、日本国内においても競馬法の成立を受けて1925年(大正14年)に血統登録制度が創設された。これにより、輸入手続時に血統登録書を紛失したものなど、祖先馬を遡ることができないものは「血統不詳」として扱われることになり、サラブレッドと称する事はできず「豪洋」となった(この血をひく国産馬は「内洋」である。)。その結果、豪洋の血をひくものは正式なサラブレッドに準ずる「サラ系」に分類されることとなった。とはいえ、大正期までは、たとえ「濠洋」であっても競馬場での高い実績により、名声の上でも価格の上でも国産サラブレッドよりも高評価を受けており、当時の出版物でもこうした豪州産血統不詳馬を祖先に持つものを「名血統」と著している。これらの中には昭和中期まで優れた系統として高い評価を受け続けたものもある。 この時代の馬産の最大の目的は軍馬育成にあり、また競走馬以外にも一般の交通や使役にも多くの馬が用いられていた。血統不詳の豪洋種と様々な品種の種馬の配合で生産されたものが各地の博覧会や品評会で優秀な賞を受賞しており、血統書が整っているか否かにかかわらず豪州産馬は実用上優れた評価を受けていたのである。 その後、新しい定義に基づくサラブレッドの概念が普及し、太平洋戦争後に競馬の目的から軍馬育成の要素が失われるとともに、豪サラの子孫も代を重ねて初期の圧倒的な能力差が見られなくなるにつれ、その子孫は純粋正統なサラブレッドではないサラ系として一段低く扱われることとなった。欧米ではジェネラルスタッドブックの定めたジャージー規則により、アメリカやフランスでも優秀な競走馬の多くがサラブレッドの定義から外れる事態となり、サラブレッドの定義の修正問題に発展した。やがてアメリカやフランスではサラブレッドの定義の修正によって「名誉回復」がなされたが、日本国内ではこうした動きはほとんど見られず、戦後は「サラ系」はサラブレッドに対して低い評価を受け続けた。しかし、現在まで牝系が存続し、優秀な能力を伝えている系統の中には、新しい定義に基づいて「サラブレッド」への復帰を遂げたもの(ヴィークル・メアと呼ばれる)もいる。
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