太平洋戦争前超特急「燕」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:40 UTC 版)
「つばめ (列車)」の記事における「太平洋戦争前超特急「燕」」の解説
1930年(昭和5年)10月:東海道本線東京駅 - 神戸駅間で超特急「燕」が運転開始。 1931年(昭和6年)12月:二・三等車で編成された臨時列車「臨時燕」を東京駅 - 大阪駅間で運転開始。 1934年(昭和7年)12月:「臨時燕」を「不定期燕」と改称し、一時期は一等寝台車も座席車扱いで連結された。 1934年(昭和9年)12月:丹那トンネルの開業で東海道本線が熱海駅経由に変更。距離・勾配が大幅に短縮・緩和され、東京駅 - 大阪駅間の所要時間は8時間に短縮。この記録は1956年(昭和31年)11月の東海道本線全線電化までの22年間、破られなかった。 1936年(昭和11年)8月:「燕」に国鉄初の冷房装置搭載の新製食堂車スシ37850形を連結。この冷房装置の動力には車軸回転を利用していたが故障も多く、数年間にわたり試行錯誤が続けられた。 1937年(昭和12年)7月:「燕」の姉妹列車として、東京 - 神戸間に「鷗」を設定。ただし、全区間の所要時間は「燕」より20分長かった。 1940年(昭和15年):食堂車の冷房装置を使用中止。 1942年(昭和17年)11月:「不定期燕」廃止。 1943年(昭和18年)2月:「燕」は太平洋戦争の激化により運転区間を東京駅 - 大阪駅間に短縮し、「鷗」は廃止。同年7月、それまでの「特急」を「第一種急行」、「急行」を「第二種急行」と呼ぶようになる。しかし、戦争激化に伴い同年10月に「燕」は廃止となる。
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