太平洋戦争初期まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 20:28 UTC 版)
太平洋戦争前の日本陸軍は、飛行場設定隊のような戦時の飛行場建設部隊をあまり重視してはいなかった。軍施設の建築が陸軍省経理局の所管だったことから、前線では各師団の経理部が現地雇用した作業員によって工事を行えばよいと考えていた。戦時において飛行場の建設にあたる専門部隊を有事の際に臨時に動員することも、昭和初めから一応は検討していたものの、人力主体の小規模な部隊であった。こうした傾向は、日本陸軍がソビエト連邦を仮想敵としており、主戦場と目した満州は地形が平坦かつ労働力の調達も容易なため、飛行場建設が特に困難な活動とは想定されなかったからだと言われる。対ソ戦ならば戦闘の推移も単純と予想され、急速な建設も求められなかったという。 1937年(昭和12年)7月に、飛行場設備の整備は陸軍航空本部の所管に変わった。同年に日中戦争が勃発すると、11月には第1-第3野戦飛行場設定隊が初めて臨時動員された。これは軍人100名程度と現地作業員から成る人力部隊だった。同じころ、航空本部は『飛行場設備教育規定』というマニュアルを作成している。 太平洋戦争初期にも、同様の人力主体の飛行場設定隊が動員されて活動した。一部では、鹵獲された連合国軍側の土木機械も利用された。
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