四国新幹線とは? わかりやすく解説

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四国新幹線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 09:03 UTC 版)

四国新幹線(しこくしんかんせん)は、本州九州四国をつなぐ新幹線の基本計画路線の総称であり、「四国新幹線」と「四国横断新幹線」の2系統の計画がある。中央新幹線九州横断新幹線と共に「21世紀の国土のグランドデザイン」における太平洋新国土軸を構成する西日本高速鉄道計画である[1]整備新幹線には含まれていないが、2011年以降、基礎調査の結果を受けて、整備計画への格上げを求める誘致活動が活発化している。早ければ、2037年にリニア中央新幹線の新大阪駅延伸が実現し、三大都市圏が一体化した「スーパーメガリージョン」の形成が見込まれる。四国新幹線整備促進期成会では、これに合わせて2037年の四国新幹線開業を目指している[2]。中央新幹線の開通後は、新大阪での乗り継ぎにより、東京 - 徳島・高松・松山・高知間の所要時間がいずれも2時間台となる[3]




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四国新幹線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 15:44 UTC 版)

明石海峡大橋」の記事における「四国新幹線」の解説

歴史の項で述べたとおり、社会経済情勢国鉄財政事情への配慮等を勘案し当初道路・鉄道併用橋から道路単独設計変更して建設された。そのため、児島坂出ルート瀬戸大橋神戸鳴門ルートのもう一方である大鳴門橋異なり明石海峡大橋鉄道を通すことは不可能である。また「神戸鳴門ルート調査出足よかったが、明石海峡大橋架橋困難さは他の架橋比べて格段の差があった。」「これは当面早期完成すべき道路鉄道併用ルートを選ぶとすれば児島坂出ルートなりと受け止めてもよい。」とされるように、架橋技術的理由により、鉄道併用としては児島-坂出ルート先行していた。 高橋国一郎建設事務次官は「一ルートに絞るならば一番経済性の高い明石鳴門ルートにすべきですが、これは今でこそいいますが、あの当時はまだ明石海峡橋をかけることは技術的に困難だったのです。真ん中児島坂出ルートならできますし、もう一つ鉄道が非常に強く希望していましたからね。鉄道をのせるのにはやはり真ん中ルートしかなかったのです。」と述べている。 なお、本四淡路線は、当初在来線新幹線両方検討された(その両方路線図「道路」1973年昭和48年1月号「本州四国連絡橋計画」に掲載されている。)。しかし、横田英男・本州四国連絡橋公団鉄道課長は、「本州側では山陽本線との取付が困難」「四国側では、鳴門線高徳線など在来線改良行わない限り機能発揮しえない」「高松松山などへの大幅な時間短縮期待しえない」「従来貨物輸送経路一新することとなる」「明石海峡大橋重量貨物列車載荷すると急激に不連続な角折れとなり走行安全上問題かつ技術困難性も増す」という理由をあげ、神戸-鳴門ルートについては、列車重量比較軽く輸送効果の高い新幹線としたと述べている。その起終点は「山陽新幹線新神戸駅西方白川峠付近」「高徳本線吉成駅付近」を想定していた 四国新幹線を含む新幹線基本計画区間は、1973年昭和48年) に決定されたが、「12新幹線は大赤字」「中央除き総合黒字メドなし」と報道されるなど、当初から採算性疑問視されていた。 1978年昭和53年3月9日建設運輸国土3庁は、大鳴門橋道路単独への変更固め4月鉄道建設審議会にて削除することとした。「国鉄財政悪化しているのに、開通見込み立たない鉄道併設するのはおかしい」との異論以前から政府部内にあったのである住田正二運輸省鉄道管理局長(当時)は「新幹線併用造るには、全部新幹線計画が決まらなければならない大鳴門橋はともかく世界最長つり橋になる明石海峡大橋新幹線乗せることは、騒音対策含め技術的に極めて困難だ。それに新幹線はいつできるかわからない。21世紀までむずかしいという見方もある。併用にすると赤字国鉄が約4割の費用負担し利子だけでも大変。21世紀まで通らないなら、そのとき別にトンネル掘った方が安くつく」と説明している。 このように神戸鳴門ルートへの鉄道敷設については非常に厳し見方のなか、大鳴門橋は「鉄道載せるために将来でもできる仕事は、今回極力やるまい、鉄道載せるための手当て最小限のことしかやっておくまいということ単線載荷での鉄道工事なされることとなった一方国鉄財政深刻度増しており、臨時行政調査会でも、本州四国連絡橋への鉄道建設取り上げられている。その際国鉄OB角本良平は、「本四連絡橋の上レール乗せるのは何事かと思う。それだけで、四国管理局生じているのと同額300億~400億円の赤字が出る。」と述べた臨時行政調査会は、1982年昭和57年7月第三次答申で「進行中大規模プロジェクト(青函トンネル本州四国連鉄道)については、完成時点において分割会社(国鉄)の経営圧迫しないよう国は措置する。」こととした。その後国鉄再建監理委員会は、児島-坂出ルート鉄道敷設工事とりやめることを緊急提言盛り込むよう中曽根康弘首相に働きかけたが、「国鉄以外事業主体が行国鉄関係の設備投資についても徹底した見直し行い、さらに工事規模抑制及び工事費節減努めるべきである」という文言に留まった。 明石鳴門架橋促進議員連盟原健三郎会長)は1984年昭和59年10月17日政府対し同大道路単独として早期着工するよう求めた要望決議したが、その際に、鉄道省運輸省OB細田吉蔵運輸相は「明石大橋は四国新幹線を通す道路鉄道併用計画だが、現在の国鉄財政事情鉄道採算性からすると併用は非常に困難である。道路単独にするのに足を引っ張ることは避けたい」と計画変更やむを得ないとの考え示した。同議員連盟は、あわせて鉄道についてトンネル工法採用しその実調査促進する」ことも決議している。 そして、「その後社会経済情勢国鉄財政事情等を勘案し国土運輸建設三省庁で協議のうえ、1981年6月建設省から道路単独架橋可能性等についても所要調査検討を行うよう指示された。」 これを受け、「昭和60年4月調査結果報告なされた。この報告をもとに、60年8月国土庁長官建設大臣運輸大臣の3大臣より道単独として整備する方針合意された。」10月には国鉄分割民営化方針閣議決定されている。 大鳴門橋最低限鉄道設備備えて1985年昭和60年6月供用開始したが、そのわずか2箇月後に明石海峡大橋利用した神戸鳴門ルートへの鉄道敷設行わないことが決定されたことになる。 なお、井上孝建設事務次官国土庁長官は「明石海峡をやめたのは、やはりあれだけ長大吊り橋になると、たわみが大きくて吊り橋ジョイントというのか、あそこで非常に危険があるというようなのが最後決め手になったみたいでやめましたけれども」と述べており、技術的困難性が明石海峡大橋への鉄道敷設断念最後決め手であった指摘している。 また、山根元本四国連絡橋公団総裁は、「トンネルにする案では、水深100m明石海峡の下をトンネル通っても、明石海峡大橋乗せても、鉄道の規格にもよりますが、神戸の駅に取り付かないのですね。」と明石海峡トンネルによって鉄道敷設することの困難性述べとともに、「明石はもう現にやめてしまったわけだ、当分はね。ただ、夢は消さないけれども、多分できないでしょうね。」「備讃線でもう十分行けると思うのですよ」と見通し述べている。

※この「四国新幹線」の解説は、「明石海峡大橋」の解説の一部です。
「四国新幹線」を含む「明石海峡大橋」の記事については、「明石海峡大橋」の概要を参照ください。

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