鉄道敷設についてとは? わかりやすく解説

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鉄道敷設について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 07:41 UTC 版)

高千穂鉄道高千穂線」の記事における「鉄道敷設について」の解説

.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 夢見公園手前)とトンネルの駅(奥) 葛原トンネル トンネル貯蔵庫 日清戦争直後軍事産業路線として熊本県宮崎県延岡市を結ぶ九州横断鉄道敷設の話が持ち上がり国鉄が延宇線(宇土 - 延岡)を計画したり、熊本 - 延岡を結ぶ鉄道敷設目的として熊延鉄道設立されたりするなどその気運高まった。しかし、いずれも実現には至らなかった。その後1922年改正鉄道敷設法熊本 - 立野 - 高森 - 高千穂 - 日ノ影 - 延岡という鉄道計画最終案となり(熊本 - 立野間は豊肥本線)、同年高森線(現・南阿蘇鉄道高森線立野 - 高森間の工事着手された。しかし国の財政難工事中断されたため、1925年には熊本県宮崎県大分県関係者による「高千穂高森鉄道速成同盟会」が結成され鉄道建設促進運動起こした結果1939年まで延岡 - 日ノ影(現・日之影温泉)間が開通したものの、戦争激化により再び鉄道建設目処が立たないこととなった戦後1947年地元で「日ノ影高森鉄道敷設期成同盟会」が結成され、この鉄道全線貫通を国に請願したことから、1962年鉄道審議会が日ノ影 - 高森間の建設決定した1966年日本鉄道建設公団(以下「鉄道公団」と略)によって日ノ影 - 高千穂間の敷設工事着工され1972年完成、残る高千穂 - 高森間27.0kmの工事1973年着工1977年完成目指し工事進められた。 ところが1977年2月掘削中の高森トンネル予定延長6500m)の入口から2050m地点坑内で、地下水水脈誤って切断したために毎分36tの異常出水発生、これにより高森町内の湧水8か所が枯れ井戸水使用していた約1,000戸もの家庭水道断水する事故起きた。そのため鉄道公団側はトンネルからのポンプ吸い上げ町内の家に配水するよう処置したが、被害町内水田約113haにも及んだ。翌1978年トンネル工事一時中止となり、事故巡って鉄道公団地元との補償交渉開始され事故から10年以上経った1989年補償協定成立した。 この出水事故最大要因となり、鉄道敷設工事中断された。そしてその後モータリゼーション進展により鉄道必要性そのもの小さくなり、1980年国鉄再建法成立により工事予算凍結され全面的に中止となった高千穂 - 高森間の工事の進捗率は30%であったが、当時鉄道公団高千穂鉄道建設所の話では「あと7年あれば全線開通できる」状態であったという。 高森線1986年高千穂線1988年それぞれ第三セクター会社転換されたものの、結局この2つ鉄道結びつける工事再開されることはなく、明治時代からの悲願であった九州横断鉄道の夢は幻と消えた

※この「鉄道敷設について」の解説は、「高千穂鉄道高千穂線」の解説の一部です。
「鉄道敷設について」を含む「高千穂鉄道高千穂線」の記事については、「高千穂鉄道高千穂線」の概要を参照ください。

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