500・600番台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:04 UTC 版)
「国鉄415系電車」の記事における「500・600番台」の解説
クハ411-619 モハ414-519 クハ411-615車内(JR九州譲渡車) 老朽化した401系初期車取替えと、常磐線の混雑緩和を目的として1982年より製造された。4両編成×24本の計96両のロングシート車グループで、全車が勝田電車区へ新製配置された。トイレはクハ411形偶数向き車に設置されている。その対向側はクロスシートが設置されたため600番台が区分がされた。 外観は運転室・窓配置・客室扉などの割付きは100番台から踏襲されたが、ロングシート化により定員は20 %増加。車体の経年劣化対策として屋根材を絶縁屋根布からポリウレタン系樹脂系塗屋根材に変更。腐食防止の観点から外板腰下部の約400 mmにステンレスを使用した。そのほか、客室扉部は連続溶接化され、屋上通風器はFRP製箱型に変更された。内装は当時増備されていた201系と同じく、化粧板がクリーム色、腰掛けモケットがロームブラウンの暖色系を基調とした。座席端部には袖仕切りを設置した。 ロングシートは座面高400 mm・奥行600 mmとされた。また当初は禁煙区間が上野 - 土浦間のみだったため、各車両の出入台戸袋窓下と妻部に灰皿が設置された。 台車は従来車と同じだが、ロングシート化による定員増により荷重が増加したため、枕ばね・軸ばねのばね定数を変更した。 搭載される電気機器と配置は100番台を踏襲しているが、床下のブレーキユニット箱を廃止して重量軽減を図ったほか、電動車の重量バランス均等化の観点から、従来モハ414形に搭載されていた蓄電池と付属設備をモハ415形に移設した。これはモハ414形の定員乗車時車両重量が52 t(軸重13 t)を超過するためであり、100番台と比べて1 t軽量化された。 腐食防止の観点から車体裾部にステンレスを使用したほか、設計変更が数度実施された。 1982年(昭和57年)製510以降は冷房装置外キセ(カバー)をステンレス化。 1984年(昭和59年)製513以降は新塗装で落成 1985年(昭和60年)製521は主整流器を後述の700番台と同様のRS49形に、床面高さを201系などの通勤電車と同じ1,200 mmに、天井を平天井に変更。 ドアエンジン部分にも製造時期による相違があるほか、JR東日本車には腰掛けがバケット化され、座面が高くなった車両も存在する。 国鉄時代の1986年(昭和61年)3月に513 - 517の5編成が421系初期車置換えのため南福岡電車区へ転出した。その後はJR九州に継承されてから、2007年(平成19年)2月に、FM513と517の2編成が、同年3月にFM514~516の3編成が、457・475系を置換えるため鹿児島総合車両所(現・鹿児島車両センター)へ転出した。 勝田に残存していたJR東日本車は、一部の編成がモハ415とクハ411-500番台の間にサハ411の0番台または700番台とモハ415・414の100番台または700番台を組み込んで7両編成化した。2007年(平成19年)に運用離脱した。そのうちの2編成8両は、1500番台1編成と共に2008年(平成20年)12月24日付で廃車後JR九州へ譲渡され、南福岡車両区へ配置された(詳細は後述)。その後、2012年(平成24年)に、0・300番台の置換えを目的に大分車両センターへ転出した。さらにその後、2016年(平成28年)3月にはFo520編成が鹿児島車両センターへ再び転出した。このため2021年4月1日現在では、鹿児島車両センターにFK513 - 517・520の6編成24両が、大分車両センターにFo507の1編成4両が配置される。
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