500ccクラス復帰~MotoGPクラス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:58 UTC 版)
「ロリス・カピロッシ」の記事における「500ccクラス復帰~MotoGPクラス」の解説
2000年、グレシーニとの報酬を巡る交渉決裂により、カピロッシは再び最高峰500ccクラスで戦うこととなった。シト・ポンスのチームで駆ったホンダ・NSR500は1年落ちだったものの、第6戦イタリアGPではロッシ、ビアッジとのバトルを制して地元初優勝を遂げ、その勝利が、従来MVアグスタが保持していた500ccにおける最多勝記録更新する等の活躍を見せ、年間ランキング7位を記録した。 引き続き型落ちのNSRを駆った翌2001年、カピロッシは勝利こそ挙げられなかったものの、2位を4回、3位を5回、ポールポジションを4回記録するなど安定した速さを見せ、クラス自己ベストの年間ランキング3位となった。 2002年、最高峰クラスは4ストローク990ccマシン主体のMotoGPクラスに改編となったが、カピロッシは従来型2ストロークマシンに乗り続けることとなった。4ストロークマシンには歯が立たず、第7戦ダッチTTでは右手首を骨折し2戦欠場となるなど苦戦が続き、3位表彰台2回の獲得に留まってランキング8位に終わった。
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