京都総合運転所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 20:38 UTC 版)

京都総合運転所 | |
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基本情報 | |
鉄道事業者 | 西日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 近畿統括本部 |
所属略号 | 近キト |
京都総合運転所(きょうとそうごううんてんじょ)は、かつて京都府および滋賀県にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)の車両基地である。
本項では向日町操車場および、野洲電車区についても記述する。
京都総合運転所
同社近畿統括本部が管轄し、発足当初から、電車・気動車・客車といったあらゆる種類の特急形車両が配置され、西日本における優等列車の運用をほぼ一手に引き受ける名門車両基地として、配置車両の運用範囲も北は青森から南は九州まで非常に広範囲にわたっていた。普通列車用として山陰本線京都地区で運用される気動車・客車も配置されていた。これらはJR発足後に京都駅 - 園部駅間が電化された際に近郊形電車に置き換えられた。
2012年6月1日に検修体制の見直しにより、京都総合運転所は廃止され、本所は吹田総合車両所京都支所に、野洲派出所は網干総合車両所宮原支所野洲派出所に、米原派出所は網干総合車両所宮原支所米原派出所にそれぞれ継承された[1]。
本所
京都府向日市にあり、東海道本線(JR京都線)向日町駅 - 長岡京駅間に位置していた。京都総合運転所に所属していた車両はすべて本所に配置されていた。
隣接してレールの溶接設備を有しており、京都貨物駅からのレール配給列車が運転されている。長物車チキが当所に配置されているのはこのためである。
構内は大別して東より、東着発線・中線 - 検修庫・西発線 - 西着線・西留置線に分かれている。また端から端まで機回しできるように機走線が設けられている。西発線の本線合流部の手前には転車台があり、まれに運転台付気動車の方向転換用として使用されている。
野洲派出所
滋賀県野洲市の東海道本線(琵琶湖線)篠原駅 - 野洲駅間にあり、JR神戸線・JR京都線・琵琶湖線および草津線に運用される列車の整備・留置のほか、宮原総合運転所の多客期用車両留置としても使われており、かつては修学旅行・山岳夜行急行用の宮原区167系はここを拠点に運用されていた。
開設時から車両の配置はなく、電留線・検修施設・乗務員宿泊所のみである。入出区の線路は京都側にのみあり、米原側からの直接の出入りはできず、米原方面の出入りは野洲駅2・3番線で折り返す。
平日には207・321系が入る運用がある。[要出典]
米原派出所
滋賀県米原市の東海道本線(琵琶湖線)米原駅に隣接しており、電留線のみ設けられ、琵琶湖線(京阪神方面)、東海道本線(JR東海大垣・名古屋方面)、北陸本線の各種列車の整備・留置に使用されている。古くから各種機関車が配置されていた「米原機関区」の名残である。
過去に存在した組織
配置車両の車体に記される略号
所属組織の略号と、京都の電報略号である「キト」から構成されている。
国鉄時代は大ムコ(「大」は大阪鉄道管理局の意味、「ムコ」は向日町電報略号)で、JR発足後は近ムコ(「近」は近畿圏運行本部の意味)であった。その後の組織改正により「本ムコ」(「本」は本社直轄の意味)となり、1993年6月に京都支社が発足して「京ムコ」「京キト」(「京」は京都支社の意味)を経て、2010年12月1日の組織改正により[4]近キト(「近」は近畿統括本部を意味)となった。
所属車両
廃止直前の所属車両
廃止の2か月前にあたる2012年4月1日当時の所属車両は以下の通り[5][6]。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
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346両 | 25両 | 0両 | 0両 | 89両 | 460両 |
電車
- 583系電車(30両)
- 681系電車 (36両)
- 683系電車(54両)
- 特急「サンダーバード」「びわこエクスプレス」用の6両編成(W編成)6本と、付属編成である3両編成(V編成)6本が所属している。
- 113系電車(76両)
- 4両編成19本(C編成×6本・L編成×13本)が所属している。原則として嵯峨野・湖西線・草津線で運用されている。
- 寒地用対策の実施された700・2700番台車が多いが、2000番台車に寒地用対策を施したもの(改番は実施せず)もある。いずれも高速化(110km/h)対策を実施され、5700・7000・7700番台となっている。C編成は先頭車に電気連結器を装備し、C編成同士や福知山電車区所属の2両編成との分割併合運用を行う(ただし、嵯峨野線内で編成間の行き来はできない)。一方湖西・草津線運用のL編成は2本連結による運転も多いが、こちらは電気連結器を装備していない。そのためC編成とL編成は運用分離されているが、予備車両数の関係上L編成運用にC編成が入ることもある。
- C編成1本(C14編成)とL編成2本(L01, L13編成)が岡山電車区に貸し出され、同区のB編成となって山陽本線・宇野線で運用されている。
- 117系電車(52両)
- 6両編成(S編成)6本、8両編成(T編成)2本が所属している。2005年(平成17年)4月25日に発生したJR福知山線脱線事故の影響により、福知山線(JR宝塚線)で運用されていた宮原総合運転所の編成がATS-Pの対応改造を受けないまま2005年6月18日限りで同線の運用から離脱、その後2006年に当区へ転入してきた。2010年までに全編成へのATS-P取り付けが完了している。
- S03編成は300番台車4両に100番台の電動車ユニットを組み入れた編成。
- 草津線と湖西線(京都駅 - 永原駅間)で運用されている。8両編成は嵯峨野線での運用実績もある。
- S06編成は地域色となっている[7]。
- 221系電車(92両)
- クモヤ145形電車(2両)
- 2両(1051, 1201)が所属している牽引車。
- 主電動機をMT46からMT54へと交換したため1000番台(原番号+1000)となっている。
- クモル145形電車(2両)
- 2両編成(クモル145-1015+クル144-5)1本が所属している配給車。
- クモル145形のみクモヤ145形と同じく、主電動機をMT46からMT54へと交換したため1000番台(原番号+1000)となっている。
- 443系電車(2両)
- 2両編成(クモヤ443-2+クモヤ442-2)1本が所属している電気検測車。
- JR四国とJR九州の電化区間の検測にも使用される。
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583系
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681系
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683系
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113系(緑単色塗装)
-
117系(緑単色塗装)
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221系
-
クモヤ145形
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クモル145形
-
443系
気動車
- キハ189系気動車(21両)
- 3両編成(H編成)7本が所属している。キハ181系の老朽化にともなう置き換え用の車両で、山陰本線の特急「はまかぜ」を中心に運用される。最高速度は223系と同等の130km/hである。
- キヤ141系気動車(4両)
- 2両編成2本が所属している。軌道・信号通信試験車。
-
キハ189系気動車
-
キヤ141系気動車
貨車
- チキ5500形貨車(30両)
- チキ6000形貨車(40両)
- レール輸送用長物車。常備駅は安治川口駅と向日町駅である。
- チキ7000形貨車(12両)
- レール輸送用長物車。常備駅は向日町駅である。
- ホキ800形貨車(7両)
過去の所属車両
電車
気動車
- キハ65形気動車
- 600・1600番台「エーデル丹後」の2両編成1本、700・1700番台「エーデル鳥取」の2両編成1本などが所属していた。
- 車内設備は特急形並みのものとされており、一部の先頭車は前面展望タイプとなっており、かつては特急「エーデル丹後」「エーデル鳥取」として運用されていた。
- キハ181系気動車
-
485系
-
キハ65形気動車
-
キハ181系気動車
向日町運転所
向日町運転所時代は次の車両も配置されていた[3]。
客車
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24系
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12系
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14系
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マヤ34形
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マニ44形
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ワキ8000形・ワサフ8000形
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50系
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60系
気動車
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キハ47形
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キハ58系
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キハ28系
歴史
元々は京都駅構内にあった京都客車区を前身とする。東海道新幹線の建設時に、客車区の場所に新幹線京都駅が建設されることが決定し、さらに新幹線開業後は東京と山陽方面を結ぶ列車がほぼ全て京都・新大阪駅発着に短縮されるため、より多くの列車を収容する設備が必要になったこともあって、現在地に移転した[8]。
年表
- 1920年(大正9年):京都検車所が京都駅南側[9]に開所[10]。
- 時期不詳:京都検車区に改称[10]。
- 1951年(昭和26年)4月:京都客車区に名称変更[10]。
- 1961年(昭和36年)9月10日:向日町運転区として開設[11]。京都客車区は同運転区の京都支区へと組織変更[10]。発足当時の所属車両数は特急用気動車78両、客車が本区147両、支区119両の計266両[12]。
- 1964年(昭和39年)7月20日:向日町運転所に改称[13]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本に承継。
- 1996年(平成8年)3月16日:向日町運転所と向日町操車場が統合し、京都総合運転所が発足[14]。向日町運転所京都派出所は京都総合運転所に継承、米原列車区野洲派出所は京都総合運転所野洲派出所になる[15]。
- 2010年(平成22年)12月1日:組織改正により京都支社から近畿統括本部の管轄に変更[4]。
- 2012年(平成24年)6月1日:組織改正により本所は吹田総合車両所に統合されて京都支所に、野洲派出所・米原派出所は網干総合車両所宮原支所の派出所にそれぞれ変更され、京都総合運転所が廃止[1]。
向日町操車場
向日町操車場 | |
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むこうまち Mukōmachi |
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◄長岡京
桂川►
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所在地 | 京都府向日市 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | 東海道本線 |
向日町操車場は京都総合運転所から東海道本線へ入出区する停車場の名称(いわゆる信号場的な役割)として残っている[16]。
停車場としての隣の駅
野洲電車区
東海道本線の輸送力増強に対応するため、1966年9月1日に高槻電車区野洲派出所として、67両を収容できる電留線5線を設置して発足した[17]。
その後、日本万国博覧会(大阪万博)の輸送とその後の輸送力増強で向日町運転所が過密化すると見込まれたため、電留線を18線に増強させて、1970年3月1日に高槻電車区から分離し野洲電車区として発足した[18]。そのため、機関車列車にも対応できるよう留置線は前後で機回しのできる構造になっており、関西 - 九州の20系や14系の寝台客車列車、あるいは583系寝台特急電車などの整備を行っていた。
歴史
- 1966年(昭和41年)9月1日:高槻電車区野洲派出所として発足[17]。
- 1970年(昭和45年)3月1日:高槻電車区から独立し、野洲電車区として発足[18]。
- 1990年(平成2年)3月10日:米原列車区野洲派出所になる[14]。
- 1996年(平成8年)3月16日:京都総合運転所発足により、京都総合運転所野洲派出所になる[15]。
脚注
- ^ a b 「車両部門の組織改正 JR西日本、近畿統括本部」『交通新聞』2012年6月5日
- ^ 『JR気動車客車情報 87年版』ジェー・アール・アール、1987年。
- ^ a b 『国鉄気動車客車情報 61.11.1改正号』ジェー・アール・アール、1986年。
- ^ a b 組織改正などについて Archived 2010年12月4日, at the Wayback Machine. - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年11月16日
- ^ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表 2012夏』交通新聞社、2012年。ISBN 978-4-330-28612-9。
- ^ 「JR旅客各社の車両配置表」『鉄道ファン』2012年7月号、交友社。
- ^ 117系S6編成が緑一色に- 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2012年1月24日
- ^ 日本国有鉄道『東海道新幹線工事誌 土木編』東海道新幹線支社、1964年、179-182頁 。
- ^ 現在の京都駅東海道新幹線ホーム付近
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻390号、p.54
- ^ 『近畿地方の日本国有鉄道 -大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.365。
- ^ 山之内秀一郎「向日町運転区について」『車両と電気』第13巻第1号、1962年。
- ^ 『近畿地方の日本国有鉄道 -大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.367。
- ^ a b ジェー・アール・アール編『JR気動車客車編成表 2010』交通新聞社、2010年、p.237。ISBN 978-4-330-14710-9。
- ^ a b 『JR気動車客車編成表 '97年版』ジェー・アール・アール、1997年。ISBN 4-88283-118-X。
- ^ 『鉄道ダイヤ情報』2011年5月号、交通新聞社、p.124。
- ^ a b 『近畿地方の日本国有鉄道 -大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.87, p.369。
- ^ a b 『近畿地方の日本国有鉄道 -大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.110, p.372。
参考文献
- 結城学「JR西日本 吹田総合車両所京都支所」『鉄道ダイヤ情報』第390号、交通新聞社、2016年10月、54 - 61頁。
関連項目
京都総合運転所(現・吹田総合車両所京都支所〈近キト〉)
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「国鉄485系電車」の記事における「京都総合運転所(現・吹田総合車両所京都支所〈近キト〉)」の解説
本系列配置終了後の2012年6月1日に統合を伴う組織変更が略称近キトのまま行われ、現名称に変更となったため所属区所は当時のままとする。 国鉄向日町運転所時代から本系列最初の配置車両基地であり1975年3月までは山陽・九州特急を担当。以後は「雷鳥」「北越」などの北陸特急を主に運用された。489系との混結や「シュプール号」などでの夜行運用に対応した客室減光装置搭載編成も在籍し、1997年3月 - 2001年3月までは在来線電車特急として最長運転距離となる「白鳥」にも投入され青森まで広域運用されていたが、それ以降は「雷鳥」のみが定期運用となった。2011年3月12日のダイヤ改正で「雷鳥」は「サンダーバード」に統合され同月11日の「雷鳥33号」を最後に本系列での定期運用を終了。同年8月までに全車廃車となった。 なお分割民営化後も北陸特急の運用形態の変更に伴う大きな編成変更を度々実施しており、その動きを以下で解説する。 1987年:分割民営化時 以下の編成が在籍。 向日町運転所485系(1987年) ← 大阪 富山 → 10両9本クハ481モハ484モハ485サロ481サロ481-500モハ484モハ485モハ484モハ485クハ4819両11本クハ481モハ484モハ485サロ481モハ484モハ485モハ484モハ485クハ481 1989年:「スーパー雷鳥」運行開始に伴う一部運用の見直し サロ481形500番台組込10両編成のうち3本を分割し18両が金沢運転所へ転出。残存編成は「だんらん」廃止により、号車にサロ481形組込9両編成に変更・統一。 「ゆぅトピア和倉」併結編成は密着連結器・ジャンパ連結器装備の制約からクハ481形200・300番台組込編成の限定運用であったが、運用効率化の観点から同年10月までに100番台にも併結対応改造を施工(詳細は前述)。 1991年3月・9月:「スーパー雷鳥」を含む金沢運転所担当列車増発に伴う転出 1990年10月より計19両が金沢運転所へ転出。 9両編成×15本 1991年度から1992年度にかけて以下の改造工事を施工。サロ481形の大阪側洗面所をカード式公衆電話室に改装。 各車の洗面所改良。 A03・A05編成に夜行運用対応の客室減光装置を装備。 1996年3月:山陰本線園部 - 綾部間電化開業に伴う福知山運転所担当列車増発に伴う転属と変更 以下の編成に組成変更。 4号車サロ481形組込9両編成×9本。A02・A03・A06編成に客室減光装置を装備。583系との併結運用にも本編成が使用された。 多客期には一部編成に増結用MM'ユニット組込の11両編成 で運用。 その後、各編成の座席定員を統一するため、1999年迄に中間車を以下の様に編成を組み替え。 2・3号車および7・8号車MM'ユニットは基本番台後期型に限定 5・6号車MM'ユニットは基本番台初期型・1000番台に限定5号車のモハ484形業務用室は1999年9 - 11月に車販準備室に改造。 京都総合運転所485系(1999年) ← 金沢 大阪 → 編成番号クハ481モハ485モハ484モハ485モハ484サロ481モハ485モハ484クハ481A011191852877549186288123A023222133157386125229253A033231062107674141244228A041051912938046212314121A051111032077268128232103A069-303188290100448162264223A07101139242102670190292118A081201892918136119223122A09126992038271211313106備考 9-=489形 斜字-=クハ481形100番台 ライトカバー無し 2001年3月3日ダイヤ改正に伴う増備 クハ481形100番台による特急「白鳥」 「スーパー雷鳥」が681・683系化されて消滅。大阪-青森間の「白鳥」が、「雷鳥」・「北越」・「いなほ」に分割されて廃止。 「雷鳥」は新潟発着列車が「雷鳥」・「北越」に分割され、ダイヤ改正前の9往復から10往復に増発。上沼垂運転区担当運用3往復が移管され、すべて当所での運用となった。 2001年2月22日に金沢総合車両所より「しらさぎ」「加越」用初代K編成のうちK25編成7両が転入。増結用予備MM'ユニットを組込みA10編成とし、4号車サロ481形組込9両編成×10本となった。 この後に金沢総合車両所の「スーパー雷鳥」「しらさぎ」で使用されていた車両が一部転入し、先頭車両をクハ481形100番台と交換する形で「雷鳥」編成に組込み。 2003年:「しらさぎ」「加越」への683系電車化による変更 クハ481形100番台・サロ481形は同年9月までに運用離脱 → 廃車も含め大規模な編成組替を実施。金沢総合車両所より以下の車両が転入。 「しらさぎ」用車両…計25両クロ481形2000・2100番台…6両 モハ485形500番台組込MM'ユニット…6組12両 サハ481形500・600番台…7両 「加越」用車両…計5両クロ480形2300番台・クロ481形2300番台…4両 クハ481形300番台…1両 不足するサハ481形はモハ485形よりサハ481形700・750番台へ3両改造施工により落成させ、クロ481・480形を大阪方先頭車とした上で以下の組成変更を実施。 1号車=パノラマグリーン車(クロ481形2000・2100番台)組込9両編成×6本(A01 - A06編成)2号車はCP搭載のモハ485形500番台が限定されることからMM'ユニットを含み全車方向転換 「雷鳥」4・5・9・12・17・30・31・38・41・48号に充当 1号車=非パノラマグリーン車(クロ480形2300番台・クロ481形2300番台)組込9両編成×4本(A07 - A10編成)3号車のトイレ・洗面所撤去を施工 「雷鳥」8・13・16・34・37・47号に充当 予備編成が無いためパノラマ編成が充当される場合があった。 さらに各編成の座席定員を統一するため中間車は以下の車両で編成組成となった。 2 - 4号車は金沢総合車両所より転入したシートピッチを1,010 mmへ拡大したグレードアップ車を充当 5 - 9号車は金沢転入車ならびに従来から京都配置車も含めシートピッチ910 mmのアコモ改善車を充当 3号車=モハ484形は車掌室装備600番台・1000番台に限定 5・6号車MM'ユニットは基本番台初期型・1000番台に限定6号車のモハ484形は90を除いて1999年9 - 11月に業務用室→車販準備室改造施工。90も2002年5月に金沢から転入後に改造施工。 7・8号車MM'ユニットは基本番台後期型に限定 京都総合運転所485系(2003年) ← 大阪 金沢 → 編成番号クロ481モハ485モハ484サハ481モハ485モハ484モハ485モハ484クハ481A0120015046066041004162264323A022002505102950172128232801A032003501102560182211313701A04200450261360273213315322A052005503607603909-268-2119-702A0621015066055031026190292326A0723011027751751862889-604A0823021003701802123149-704A09230325261170276141244228A100-230125161050281119223324 備考 9-=489形 8-=488形 0-=480形 A04編成 2009年10月1日:「雷鳥」5往復減便による変更 パノラマグリーン車を連結していないA07 - A09編成が定期運用から離脱することになり、残存編成間で一部車両交換を実施。 クハ489-604:A07 → A04編成 クハ489-704・モハ485・484-1003:A08 → A10編成 モハ485・484-80:A08 → A06編成 モハ485・484-76・サハ481-702:A09 → A01編成 離脱編成は4 - 6号車のサハ481形+MM'ユニット1組を廃車とし、残存した6両が2009年9月から12月にかけて183系に改造され福知山電車区に転出。 2010年3月13日:「雷鳥」定期列車1往復化による変更 定期運用が「雷鳥8・33号」のみとなり、編成も9両からサハ481形+MM'ユニット1組をカットした6両に減車。ただし多客期には「雷鳥」もサハ481形+MM'ユニットを増結した9両で運用されるケースも発生したため各編成の組成両数固定化は未実施。 A02・A10編成は運用離脱しその後廃車。A05編成は同年夏の多客期輸送終了後に、A04編成は2011年に運用離脱となり廃車となった。 2011年3月12日:「雷鳥」廃止による定期運用終了 同年3月27日運転の団体臨時列車を最後に運用離脱。順次吹田工場へ廃車回送を実施。同年8月までに全車が廃車となった。
※この「京都総合運転所(現・吹田総合車両所京都支所〈近キト〉)」の解説は、「国鉄485系電車」の解説の一部です。
「京都総合運転所(現・吹田総合車両所京都支所〈近キト〉)」を含む「国鉄485系電車」の記事については、「国鉄485系電車」の概要を参照ください。
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