編成組替
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1次車は後述の更新工事が施工される時期に、当初の計画が見直され一部編成の廃車が始まった。その際、4両編成3本のうち1編成が2両ずつに分けられ、残りの2編成に振り分け6両固定編成となった。編成組替と同時に新塗装へ塗装変更されており、6100系(現・6300系)中間改造車と同様、編成中間に入る先頭車は帯の塗装を中間車に揃えて前面を無塗装にする処置がなされた。 1000系の増備により、1次車は2003年7月までに全編成が廃車された。廃車時には、編成単位で6両丸ごと廃車されるのではなく、6両編成から中ほどの2両を抜き取り廃車し、残った4両は改めて廃車する手法がほとんどの編成で取られていた。
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編成組替
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 18:13 UTC 版)
本系列は、新造車28両の就役開始後、需要に応じた編成の組替や細部の改修が相次いで実施された。 1966年に電動車の不足していた1800系へ主要機器を供出すべく、電動車の1980型1985・1986の2両を電装解除し、付随車化して1950型1958・1959とした。これにより旧1810系の1851・1852がそれぞれ電装の上で1871→2代目1881と1872→2代目1882に改番されている。 1810系編入車(1905・1906)と新造車(1925・1926)にそれぞれ2両ずつあった増結用の両運転台車は、ATSの導入に伴い高価なATS機器購入コストの節約のために1両単位の機動的な増解結運用を断念したことから、1967年に片方の運転台を簡易撤去した。また、ただ1両の制御車となっていた1950もこの時に運転台撤去・付随車化されている。 側面の特急サボは千里丘陵での日本万国博覧会開催を翌年に控えた1969年頃より英文入り(英文は青地で「LTD.EXPRESS」)となった。 1810系編入車については1969年から1970年にかけて、前照灯を照度アップによる保安性向上を目的としてシールドビームに変更している。これは元の砲弾型ケースを横長のものに取り替え、そこにシールドビームを2つ内蔵したものであった。 正面の貫通幌は当初車体色と同じオレンジ色に塗られていたが、塗装簡略化のため、屋根の塗装を変更したのと同時期に、一般車と同じくグレーの地色のままで使用されるようになった。さらに1971年に3000系第1次車が竣工すると、緊急時にそれとの併結を可能にするため、基本編成の全先頭車の運転台側貫通幌は同系列と同じ成田型リコ式に変更された。もっとも、同系列と本系列が特急車として併用されていた期間には両系列を併結運転する必要が生じなかったため、実際には併結は試運転を含め一度も行われないまま終わっている。 1971年に特急の輸送力増強を目的として一部編成を組み替え、3編成の7両編成化が実施された。この編成替えと同年8月の全面ダイヤ改正における特急の日中15分ヘッド化による特急車不足を補う目的で製造されたのが3000系である。また、4月30日からカセットテープによる自動案内放送装置の使用が開始された。 1972年から特急車をすべて3000系へ置き換えることとなったため、1900系による定期特急運用は翌1973年7月で終了となった。
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