編成経緯とは? わかりやすく解説

編成経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 20:20 UTC 版)

第三十一戦隊」の記事における「編成経緯」の解説

太平洋戦争勃発後、次第威力増してきたアメリカ海軍潜水艦による通商破壊対抗するため、日本海軍1943年昭和18年11月海上護衛総司令部新編以降海上護衛関係の部隊編成進めたそのような流れ1944年昭和19年6月19日マリアナ沖海戦日本海軍主力空母大鳳翔鶴潜水艦雷撃喪失した7月5日サイパン島地上戦アメリカ軍勝利終わりサイパン島取り残されていた第六艦隊司令部司令長官高木武雄中将)、第三水雷戦隊司令部司令官中川少将)、第二海上護衛隊司令部司令官辻村武久少将)の三司令部は日本軍守備隊中部太平洋方面艦隊第31軍など)と共に玉砕した第三水雷戦隊7月18日付で中部太平洋方面艦隊から除かれ連合艦隊付属となった米軍潜水艦跳梁対し大本営海軍次官軍令部次長連名で、対潜活動活発化関係各位奮起奮励うながした日本海軍連合艦隊司令部司令長官豊田副武大将参謀長草鹿龍之介中将)及び第一機動艦隊司令部司令長官小沢治三郎中将)では、上述のように全滅した第三水雷戦隊司令部再建し、さらに海防艦甲型海防艦丁型海防艦)を編入将来的には対潜空母大鷹型航空母艦)や対潜基地航空隊増強し専門対潜掃討部隊編成することを要望した。連合艦隊表現によれば「現戦況ニ鑑ミ可及的速ニ潜水艦名人部隊編成シ」であるが、理想的編成になるのは11月以後判断していた。当初戦隊旗艦長良型軽巡洋艦3番艦の名取予定していた。 他方軍令部12課(防備担当)からも、海防艦及び航空機主体とする対潜攻撃部隊構想持ち上がった。これらの構想は、海上護衛総司令部参謀長であった島本久五郎少将回想によると、大西洋の戦いにおける連合国軍対潜機動作部隊(ハンター・キラー・グループ(英語版))の活躍Uボート封殺成功したという評価影響を受けたものであった。 そして、目的及び用法において両構想共通性があること、現有兵力では複数部隊の編成難しいことから、さしあたり1個戦隊編成されることになった軍令部8月14日までに及川古志郎軍令部総長以下の承認得たその結果日本海軍1944年昭和19年8月20日第三十一戦隊新編した。第三十一戦隊司令官には、第三水雷戦隊司令官江戸太郎少将任命された。 当初戦隊旗艦には、上述のとおり旧第三水雷戦隊旗艦だった「名取」を予定していた。だが姉妹艦五十鈴」の方がレーダー兵器が優秀と判明した軍令部は、急遽予定変更する。「名取」は、8月7日撃沈された軽巡洋艦長良」の代艦として第十一水戦隊旗艦予定となった。ところがフィリピンパラオ諸島方面輸送作戦従事中の8月18日に米潜水艦ハードヘッド)の雷撃撃沈されてしまった。なお『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊 <6>』では上記経緯述べられているが、『戦史叢書 海上護衛戦』では「名取第三十一戦隊旗艦にする予定だったが、撃沈されたので五十鈴急遽変更した」と記述している。 新編時の第三十一戦隊兵力は、旗艦五十鈴」のほかに、第三水雷戦隊残存駆逐艦5隻(卯月夕月秋風皐月夕凪から成る30駆逐隊と、新造松型駆逐艦から成る43駆逐隊(竹、)、海防艦5隻(満珠干珠笠戸三宅第22号海防艦であった新編後も戦力増強おこなわれ同年9月1日には新編の第933海軍航空隊編入された。

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編成経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 01:53 UTC 版)

新撰旅団」の記事における「編成経緯」の解説

西南戦争勃発により、官軍兵力の不足が征討軍より訴えられ軍部当局として兵員徴募急務になり、政府部内即戦力となる士族臨時徴募し、これを以って兵員不足を補う案が出た。 しかし、明治6年1873年制定徴兵令によらずに、士族徴募することになると、軍政的に徴兵制度破壊することになるとして、山縣有朋反対。 そこで、徴兵令抵触しない方法として、身分警部 巡査として東北諸藩士族新たに徴募したうえで、その警部 巡査軍隊組織化して戦地増援することになった。 (川路利良率い現職警視庁 警部 巡査構成した別働第三旅団とは別に徴募

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編成経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/23 17:12 UTC 版)

雷神隊」の記事における「編成経緯」の解説

柏崎集結した桑名藩交戦派(以下桑名軍)は北越きな臭くなるや、部隊を以下の様に編成する雷神隊 立見鑑三郎立見尚文75名 致人隊 松浦秀八 65名 神風隊 町田老之丞 57名 大砲隊 梶川弥左衛門 47事実上主将はわずか24歳の鑑三郎会津藩家老山川浩同年齢)。因みに町田老之丞は鑑三郎実兄。総兵力350名程。正面切って戦闘困難な為、機動戦遊撃戦基本方針となっていく。

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編成経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 15:25 UTC 版)

海上挺進部隊」の記事における「編成経緯」の解説

1945年昭和20年初頭大日本帝国海軍は、レイテ沖海戦および多号作戦多数艦艇喪失し、あるいは損害受けた残存し艦艇のうち、大型艦軍港繋留されて浮砲台化した駆逐艦主力とする第二水雷戦隊第三十一戦隊第十一水戦隊第二艦隊所属して作戦可能であった4月7日沖縄戦にともなう坊ノ岬沖海戦第二艦隊旗艦大和」が沈没第二水雷戦隊主力艦艇をうしなう。連合艦隊はなおも「第三十一戦隊又ハ第十一水戦隊突入計画計画中」であると言及した4月20日大本営第二艦隊第一航空戦隊第二水雷戦隊解隊し、空母葛城」を連合艦隊付属に、空母3隻(天城龍鳳隼鷹)を予備艦指定する。また第三十一戦隊第十一水戦隊連合艦隊付属とした。さらに二水残存部隊を第三十一戦隊編入した。このうち第7駆逐隊5月5日解隊され、駆逐艦「潮」は連合艦隊付属に、駆逐艦「響」は新編の第105戦隊編入され旗艦となった一方5月中旬以降には沖縄本島陥落時間の問題となり、本土決戦現実味帯びていた。海軍攻撃方針は、すでに特攻作戦基本となっていた。航空特攻はもちろん、水上特攻特攻ボート震洋など)、水中特攻人間魚雷回天人間爆雷伏竜など)、あらゆる特攻兵器準備もしくは投入されることになった大本営海軍部(軍令部)が6月12日にまとめた「決号作戦ニ於ケル海軍作戦計画大綱(案)」によれば作戦目的は「本土ニ来攻スル上陸船団過半海上撃破地上戦相俟テ敵ノ進攻企図挫折シ 以テ皇国悠久護持スルニ在リ」で、作戦方針以下のとおり。 一、 帝国海軍ハ其ノ全力ヲ緊急戦力化シ特ニ航空兵力ノ実動率ヲ画期的ニ向上セシムルト共ニ航空関係竝ニ水上水中特攻作戦準備促進ス 右作戦準備間 敵空襲予期極力本土所要枢要部特ニ生産交通竝ニ作戦準備掩護ス 二、 敵上陸船団本土ニ来攻セバ 初動十日間ニ其ノ来攻隻数ノ尠クモ半数ハ之ヲ海上撃破残敵地上ニ於テ掃滅シ得ル如クス 三、 前項作戦実施ニ当リテハ 爾他一切ヲ顧ミルコトナク航空水上水中特攻集中可能全力ヲ以テ当面撃滅戦ヲ展開スルモノトシ 凡百戦闘特攻基調トシテ之ヲ遂行ス この大綱では作戦指導において「二 敵ノ初期来攻兵力十五師団船艇一,五〇〇隻ノ半数七五〇隻ヲ地上決戦生起前即チ約十日間撃沈スル為」、7月15日までに特攻機3,000機(実動2,500機)を用意して400隻以上を撃沈日本陸軍同様に航空特攻400隻以上を撃沈、さらに水上特攻部隊輸送船団襲撃するとされる

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