表示幕設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 15:30 UTC 版)
1986年より種別・行先表示器が設置された。上部の標識灯2灯は撤去され、窓下に種別灯と尾灯が別々に計4灯新設された。この工事は5146Fより始まり1993年の5132Fをもって終了したが、大半の中間先頭車の正面には設置されていない。5132Fは中間先頭部にも表示幕を設置し、箕面線の4両編成運用を可能とした。中間先頭車の連結器は6000系と同一のものに変更された。
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表示幕設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:44 UTC 版)
1986年から1989年にかけて、本線運用の7両編成を対象に種別・行先表示幕が設置され、2311Fを除く全編成に施工された。尾灯や標識灯は窓下に移され、側面は従来の種別表示灯を撤去して種別・行先一体の表示幕を新設、表示灯の跡は埋められた。中間組込の先頭車の正面には設置されていない。 京都線に幅広車体の車両が増加したことから、車体とホームの隙間を埋めるため、非表示幕車を含む全車両の客用扉にステップが設置された。これにより最大幅が2,808mmとなり、神宝線への入線が不可能となった。2800系も2300系への組込車にドアステップが設けられている。 2300形:2313・2315・2317・2319・2321・2323・2325 2350形:2364・2366・2368・2370・2372・2374・2376
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表示幕設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 12:46 UTC 版)
1981年より種別・行先表示幕(方向幕)が設置された。3100系3152Fが阪急最初の表示幕改造車となり、3000系では1982年(昭和57年)より実施された。 前面は5000系や3300系の改造車と同じく妻窓上部に行先・種別の表示器が設置され、標識灯は通過標識灯と尾灯が別々となり、窓下に移設された。側面幕は種別・行先一体型となり、従来の列車種別表示灯があった場所に設置された。なお、改造時点で中間に組み込まれていた先頭車の前面には設置されていない。 表示幕の「急行」は、当時の2200系・6300系以降で採用の白地に赤文字ではなく、黒地に黄色文字となった(後に黄色地に黒文字へ再変更)。 1985年度から1989年度にかけて、冷房化改造済みの非表示幕車のうち、3000系の5編成と3100系の1編成で表示幕を設置する工事が行われた。側面表示幕は一体型であるが、若干幅の狭い表示幕が中央の側引戸の右側に設置され、従来の種別表示灯の窓は埋められた。 一部の方向幕未設置車は種別表示灯に行先を表示していた。表示は固定となる。表示幕設置車を伊丹線用4連として編成組替の際に先頭車の正面が未設置(乗務員室に操作盤が無い)の場合、側面表示幕は「普通 塚口-伊丹」の固定表示となっていたが、該当編成は廃車された。
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表示幕設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 15:03 UTC 版)
1984年から1990年にかけて表示幕設置工事が行われ、先頭車の前面上部と2071系も含めた全車両の側面に方向幕が設置された。標識灯は窓下に下ろされ、種別灯と尾灯が別々に4灯新設された。伊丹線予備車となった5000Fを除いて4両編成での運用機会はなくなっていたため、この時点で1、8両目に連結されていた先頭車のみが施工された。5000F中の5040、5030以外の4、5両目の先頭車は、後にマスコン、ブレーキ、スタフ切替器といった運転機器が撤去されて先頭車としての機能を失っている(乗務員室自体は残存)。 これに合わせ、車体の補修や車内化粧板の張替えなどが施工された。パンタグラフ下に残っていた通風ダクトも撤去されている。
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