改造・廃車
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モ801 - 804は1956年(昭和31年)に台車をKD-20に交換した。モ805 - 812は当初よりKD-20を装着しており、主制御器がMMC-LTB20A、集電装置がS-754-DCになった。 また、当初はMc-T-Mcの3両編成であったが、1958年(昭和33年)に乗客の増加に対応してク710形(簡易運転台付き) が製造され4両編成となった。ク710形は車庫内での入れ替え作業などを考慮して簡易運転台が編成中央となる奈良寄りに設置されており、この妻面に標識灯が設置された。台車はKD-20Aである。本形式は簡易運転台を撤去し、1980年3月31日付けでサ710形に改称された。 705・715は三菱製ラインデリアの実験車となり、のちに正式に装着された。 1969年(昭和44年)の1500V昇圧時には、モ800形の主制御器を日立製作所製のMMC-LHTB-20Cに交換され、主電動機は1時間定格出力が端子電圧の引き上げで125kWとなり、設計時の本来の性能が発揮されるようになった。また、従来はモ800形各車に搭載されていた電動発電機・空気圧縮機はク710形に集約搭載されるように変更されている。 1975年(昭和50年)4月に京都線新祝園 - 山田川間で発生した踏切(現在の木津川台駅付近)事故で807F が転覆大破し、808の先頭部は並行する国鉄片町線(当時は電化前)線路に乗り上げる惨事となった。この結果、復旧不可能な808+704は1977年(昭和52年)に廃車となり、復旧した714+807は暫定的に820系と4連を組んで使用された。この際800系側の抑速制動は使用不可能になり、また714の貫通路の改造が行われた。 1975年(昭和50年)からは生駒線での運用が始まり、1980年(昭和55年)に支線区での運用に最適になるように、モ800形の主電動機の歯数比を79:18から82:15(5.47)に変更され、翌1981年(昭和56年)3月18日のダイヤ改正からは本系列は支線区専用となっている。 その後、1984年(昭和59年)から1987年(昭和62年)にかけて、A動作弁の製造打ち切りで補修部品確保が困難となったことなどから、A-RDブレーキのHSC電磁直通ブレーキへの換装が行われた。ただし、車齢が高かったこと、そして中型車であったことを理由として本系列は冷房改造が行われなかった。 1986年5月には、805Fの805+713が後述のように転出した事から、残存した703+806は2連化された。その際703には平妻貫通運転台が増設された。 後継系列である3200系の登場と前後し、一部車両が後述の880系に改造され、1988年(昭和63年)3月までに伊賀線に転属した。残存車についても1989年(平成元年)の809F・811Fより廃車が始まり、1992年(平成4年)の801Fを最後に系列消滅となった。 廃車後の処分は全車解体で、保存車は存在しない。
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改造・廃車
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伊賀線に移った880系は860系転用までのつなぎという位置づけであり、運転台の改造とその後の塗装変更以外の改造はあまり行われなかった。 導入当初でも車齢が高かったこともあり、860系冷房車の投入によって1993年10月17日に882Fを用いてさよなら運転を実施、同年に廃車され系列消滅となった。
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改造・廃車
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「近鉄10400系電車」の記事における「改造・廃車」の解説
大阪線で運用する場合は、本系列のみでの4両編成を組む際に無理が生じていた(125kw級の主電動機では高速で青山越えを行う場合はMT比2:1が必須であったが、10400系の場合は基本の4両編成の運用ではcM-Mc+Tc+Tcではそれが1:1となるため、特急での運用が困難となる。ただし同じ本系列のみの4両編成であっても、cM-Mc+cM-Mcであれば青山越えの運用が可能であった)こともあったため、1967年に主電動機を11400系と同じ145kWの三菱電機MB-3064ACに取り替え、性能を向上させた。これに伴い電動機の支持架の構造が異なることから電動台車もKD-41Bから新製のKD-41Hへ交換され、外された主電動機と台車(ただし枕ばねは金属ばね化された)は2470系に流用された。 1974年には、車体更新工事を行い、4両固定編成化された。両端の車両は、11400系と同じようにすべての前面窓が運転席側にあわせて高い位置に変更された。 また、特急標識は大型のものをやめて、18200系と同じX字型のシルバーエンブレムを貫通扉に取り付け、両側に電照式の特急表示と方向板を装備する形となった。前面の塗り分けも12000系に合わせたものとなった。ただし、側面の方向幕は設けられなかった。中間に挟まる2両については営業運転では先頭に立つ機会がないため前面は改造されず、運転台は車庫内での入れ替え用として残された。性能の不足から夏場に苦情が多かった冷房装置も集中式を止め、奈良線用通勤車である8000系などと共通の三菱電機CU-19(冷凍能力10,500kcal/h)集約分散式ユニットクーラー3基と熱交換型換気装置(ロスナイ:三菱電機製)1基のセットに取り替えられ、面目を一新した(但し冷風ダクトは集中式時代のものをそのまま使用)。その後、1977年に両端の2両には前面排障器が取り付けられた。 また、4両編成中2両が電動車であるが、145kW級モーターをもってしても、MT比1:1では後に登場した180kW級モーター搭載の特急車各系列に比べ性能面(青山越えなど、特に勾配区間での高速性能面)で劣るため、改造後は高安検車区所属編成は富吉検車区に転出し、名古屋 - 鳥羽間名伊乙特急での限定運用となり、大阪線や京都・橿原・奈良線(京都・橿原・奈良線では1973年から1年のみ運用)に入線することはなくなった。また特急車では唯一、五位堂検修車庫完成後も塩浜検修車庫で全般検査を受けていた。 1992年に老朽化により、全車が廃車・解体されて現存しない。後継には22000系が製造されている。
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改造・廃車
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1960年に他系列と併結を可能とするために一部の改造が施された。1972年には運転室が半室式から全室式に改造され、客室ではファンデリアを撤去して扇風機が設置された。その他、上記の塗色変更が行われている。 1987年6月30日付で老朽化を理由として1464F・1466Fが廃車となった。次いで1988年1月に1462Fが廃車となり形式消滅した。
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改造・廃車
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1964年頃から1460系同様に登場時のベージュに100mm幅青帯の塗装からあかね色に塗り替えられた。その後、1972年に運転台を半室式から全室式に改造された。長編成化のため、1974年に奇数車の運転台が撤去され、乗務員扉跡には丸妻のまま小窓が設けられ、同時に座席をこの部分まで延長している。このため本形式単独の編成は不可能となり、本形式4両に他形式の制御車(1480系ク1590形・2410系ク2590形など)を連結した5両編成などで運用されるようになった。また出力とMT比の関係から、専ら河内国分以西の運用となった。通風装置は扇風機のみになった。 1980年代中頃に実施されたツートンカラーへの塗色変更の時点で車齢が25年以上経過していたため、本系列は冷房改造や現行塗色(シルキーホワイトとマルーンレッドの二色塗り)への変更は行われず、1984年6月15日付で1476F・1478Fが廃車、1474Fが1985年1月16日付で廃車となった。そして1987年8月30日付で1472F・1480Fが廃車されたため、全車が廃車されて系列消滅した。なお、廃車まで大阪線に在籍した。また、本系列の廃車により、大阪線の河内国分駅以西および信貴線のみでしか運用できない、いわゆる「区間車」の所属がなくなった。
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改造・廃車
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「大阪電気軌道デボ61形電車」の記事における「改造・廃車」の解説
1929年にデボ73 - 77はデボ300形デボ303 - 306に電装品を流用するため電装解除され、制御車のクボ30形となった。 デボ61形デボ73 - 77 → クボ30形31 - 34 1935年に78・79が鋼体化改造されデボ301形デボ307・308となった。1937年には80・81・88・89についても同様の改造が行われ、デボ301形309 - 312となっている。 また1935年に30・63・67が瓢箪山駅で事故に遭遇した。このうち63と67は復旧時に鋼体化を行いデボ103形デボ103・104となった。同年には90・93 - 96が同じく鋼体化改造され、デボ103形デボ105 - 109となっている。一方、30については鋼体化によって余剰となる木造の旧車体で復旧され、このためガーランドベンチレーターは同車のみ5個になった(他のクボ30形はいずれも3個) 。旧車体の供給元は96だとされている。 いずれも製造後わずか十数年程度での鋼体化であるが、78・79の車体は電動貨車デワボ1800・1801に、80・81・88・89の車体は新形式デボ150形(後述)に流用された。90・93 - 96の車体は博多湾鉄道汽船(現・西鉄貝塚線)に譲渡され、コハフ1・5 - 8となった。また67の車体は、高安工場構内の入換用車両に流用されている。この入換車両は当初無番号であったが、1959年にモワ1850形1851となり、その後モワ2820形2821となっている。 1937年には61・62・64・65が番号はそのままで手荷物合造車(デボニ61形)に改造されている。また91・92は制御器を交換しデボ400形(後述)となっている。 デボ61形デボ61・62・64・65 → デボニ61形デボニ61・62・64・65 1942年の称号改正で番号はそのまま、記号をデボ→モ、デボニ→モニ、クボ→クに変更されている。1949年、87・97 - 102が鋼体化され、600系となった。 残った車両は1950年の称号形式整理の時に改番され、モ61形・モニ61形はモ261形・モニ261形に、ク30形はク101形になった。 モニ61形モニ61・62・64・65 → モニ261形モニ261 - 264 モ61形モ66・68 - 72・82 - 86 → モ261形モニ265 - 275 ク30形30 - 34 → ク101形ク101 - 105 そして1955年から1956年にかけてすべて鋼体化改造を施され、モ460形・サ300形となる。これらの車両も老朽化や機器が昇圧非対応のため、1969年9月21日の昇圧時に全車廃車された。一方、高安工場入換用として製造されたモワ2820形2821はその後も現存し、1970年にモワ80形85に改番された。廃車は1976年である。
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改造・廃車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 17:18 UTC 版)
1968年から塗装工程簡略化のため、マルーンレッド一色となり、それと同時にラビットマークも取り外された。 モ6851は1987年にデビュー30周年を記念して元のオレンジに白帯に戻され、同年10月18日の1日のみであったが、団体専用列車で運用された(この運転を最後に廃車)。なお、養老鉄道に転籍した6857(現モ606)・6858(現ク506)は2009年9月にオレンジに白帯への塗装変更を受け、ラビットマークも復活させている。 2次車6813 - 6821の奇数車は列車無線設置が省略され半室運転台で残り、構内の入換や列車の増解結の時に使用され営業運転で先頭に立つことはなかった。 1978年 - 1979年頃に行われた通勤形車両の冷房化については、登場後年数が経っている車両には施されず、同形式の中で製造年月が比較的新しかった6855 - 6858の4両のみ1989年に実施され、長野線などでの5両編成の運用のための増結用として利用された。6855 - 6858は冷房改造時にパンタグラフをPT-48形に変更の上、連結面寄に移設している。冷房電源用のMGを設置できる床下スペースがないため、併結可能な編成を限定し、冷房電源のみ併結した編成から供給する方法を採用した。増結可能な編成は6020系6128F・6129F及び6200系6301F・6302F・6307F・6308F・6309Fであった。冷房以外のサービス用電源は自車のMG(HG-583形)から供給する方法をとった。 廃車は1983年の6803Fから始まり、1993年に6855 - 6858が養老線に転出し、改番されたのを最後に系列消滅した。モ6851は廃車後古市検車区内の入換車として数年間機械扱いで使用されていたが、解体されて現存していない。 2009年9月に養老線にて、ラビットカー塗装が復活し、同年11月まで特製のヘッドマークが掲出されたが、一周年を迎えた2010年9月にも同年11月まで特製ヘッドマークが掲出された。
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