近鉄6800系電車
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近鉄6800系電車(きんてつ6800けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道の電車の一系列。
- ^ 加速度3.3km/h/s超、減速度4.0km/h.s超を基準とした場合。
- ^ JTBパブリッシング JTBキャンブックス「近鉄電車」三好好三著 P.195掲載の近鉄6800系の記事
- ^ 生田誠「近鉄大阪線。近鉄南大阪線 街と駅の1世紀」彩流社(現・アルファベータブックス)刊 p.57
- ^ 『鉄道ピクトリアル』(第313号)1975年11月臨時増刊号、95頁
- ^ 前照灯1灯の設計図については、以下の書籍に掲載されている。中村卓之 「近鉄南大阪線"ラビットカー"の30年」、『関西の鉄道』 19、1988年
- ^ 画家で二科会会員の吉原治良がデザイン。
- ^ 当時の矢田駅は列車の折り返しが可能な配線であった。
- ^ 1957年11月1日実施の列車ダイヤでは、大阪阿部野橋 - 矢田間を優等列車の7分30秒(当時)に対し、途中4駅停車ながらもプラス僅か1分の8分30秒で走破することができた(それまでの在来車による各駅停車では10分10秒かかっていた)。停車時分を15秒とすれば走行時分は同じ7分30秒となる。
- ^ このため、運用開始当初は朝ラッシュ時の下り列車での運用は大阪阿部野橋 - 矢田間の急行(後に河内天美に延長し、準急に変更。当時は矢田・河内天美には、急行列車が矢田折り返しのみ同駅に、準急列車が河内天美折り返し列車のみ矢田と河内天美の両駅に停車していた)を中心に運用していた。なお、この手法は、下り列車の乗客が増えた現在では、空車回送でもない限り困難になっている上に、矢田駅での折り返しも不可能になっている。
- ^ JTBパブリッシング JTBキャンブックス「近鉄電車」の記事中の写真において6800系に取り付けられていた、所属配置検車区を表す「天」の文字が入った写真が掲載されていることで、6800系の新製配置が天美検車区であることが検証できる。なお、車両への所属配置検車区表記は1960年代中頃に中止されている(このため1967年開設の東花園検車区や富吉検車区の所属配置検車区記号は妻面の札でヒハやトシのようになっていたが、これも2000年代前半頃までに掲出を中止した)。
- ^ 近鉄でリバイバル塗装がなされた実績は、本系列以外では生駒ケーブルのコ1形と奈良線の900系、この6800系のラビット塗装をリバイバルした6020系、20100系「あおぞら」の塗装をリバイバルした15200系、団体専用車の増結用で残っていた元特急車18400系の復刻特急塗装、特急車2250系の塗装を復刻させた5200系、820系の塗装とマルーン化前のダーググリーン塗装を復刻させた8400系などがある。なお、過去に近鉄に在籍していた車両で復刻塗装化された事例として、養老鉄道に貸与(2014年以降は養老鉄道所有)の600系の中で6800系の塗装を再現した606F、900系や1600系など初期の高性能車の塗装(名古屋ラビット塗装)を再現した604F、伊賀鉄道に貸与していた860系の中で820系登場時の塗装を再現した863F、1950年代までの吊り掛け駆動車が採用していたダークグリーン塗装を再現した862Fが存在する。
- ^ 消えた車輌写真館 近鉄6800系(ネコ・パブリッシング「鉄道ホビダス」公式サイト)
- ^ 電気車研究会「鉄道ピクトリアル」1988年1月号
- ^ ただし、モ6851のラビットマークは原型が白のペイントであったが、このリバイバル塗装ではステンレス製のものを取り付けていたので、厳密には落成当時の意匠ではなかった。
- 1 近鉄6800系電車とは
- 2 近鉄6800系電車の概要
- 3 改造・廃車
- 4 脚注
固有名詞の分類
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