日本における起動加速度の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 21:31 UTC 版)
「起動加速度」の記事における「日本における起動加速度の動向」の解説
電車はもともと単行(1両)での運転から始まり、徐々に編成を伸ばしてゆく中で付随車を連結するようになったという過程がある。旧型国電など以前の電車の多くは固定編成ではなく、最短は単行車両から様々な車種を組み合わせて長編成を組んでいた。したがってMT比もまちまちであり、1950年代半ば頃まで製造された吊り掛け駆動方式の電車については、カタログデータとして起動加速度が明記されているものは非常に少ない(新性能電車になってからも国鉄電車にはこの傾向がある)。また創成期の電車は直接制御などの手動加速式であったため、起動加速度という概念自体が存在し得なかった。後年の計測などによって、概ね4個モーターの単行車両で 2.3 - 3.5 km/h/s 、そのMT比 1:1 編成または2個モーターの単行車両が 1.3 - 2.0 km/h/s の範囲内にあるとわかることになる。当時は応荷重装置が無く、乗車率によって加速度は変動した。 いわゆる高性能車の初期段階である1950年代後半から1960年代初頭にかけては、日本で初めての高加減速車両となった「ラビットカー」近鉄6800系電車 (4.0km/h/s)を皮切りに、阪神5001形電車 (初代) (4.5 km/h/s)や営団3000系電車など、全車電動車編成により起動加速度が 4 km/h/s 台の通勤形電車が開発された。近鉄6800系は試運転時に加速度 5.6 km/h/sを達成したことがあった。阪神では試運転時に加速度 6.5 km/h/sまで上昇させ、また加速度 8.0 km/h/s まで可能な設計であったという。しかし加速度 6.5 km/h/sの設定では満員での乗車状態では難しく、また加速度 8.0 km/h/sでは全員着席=立席を一切認めないことが明らかとなったため、最終的には加速度 4.5 km/h/sで設定した。国鉄においても101系がやはり全車電動車で加速度3.2km/h/sを試みたが、電力事情により断念することになった。 その一方で、小田急はMT比 1:1 で起動加速度 3.0 km/h/s を可能とした2400形を1959年に登場させた。その後、1960年代から1980年代にかけては、経済性を重視してこの小田急のように付随車を組み込んだ編成が主流となり、電機子チョッパ制御などの開発もあったが、通勤形電車の起動加速度は地上線専用車で 2.0 ‐ 3.0 km/h/s 、地下鉄車両および地下鉄直通車で 2.5 ‐ 3.5 km/h が標準的な値として推移していた。 VVVFインバータ制御が普及した1990年代以降においては、電動車比率の低い編成でも比較的容易に起動加速度の向上が可能となり、以前と同じMT比ながら起動加速度を引き上げた (2.5 km/h/s → 3.0 km/h/s)JR東日本E231系電車や阪神9000系電車のような例も現れている。逆に起動加速度を従来通りとする場合、JR東日本209系電車や営団06系電車のように電動車比率を低下させた例もある。 関東と関西の比較では、地下鉄との相互直通運転が盛んで、運転間隔や混雑度などの点で使用条件が過酷な関東の通勤形電車の方が平均的に 3.0 km/h/s 以上としている例が多い。中でも京成電鉄は通勤車で起動加速度 3.5 km/h/s (営業最高速度120km/h)とスカイライナーで営業最高速度 160 km/h (起動加速度2.0km/h/s)を両立させている例として特筆に値する。対する関西では前出の阪神電気鉄道(ジェットカー、青胴車)、近畿日本鉄道のシリーズ21、急勾配対策を要する南海電気鉄道(ズームカー)や神戸電鉄などの特殊な例以外は、会社間競争が盛んで通勤形電車であっても高速性能を重視する必要もあり、一部を除き2km/h/s台に留まっている。中間の名古屋地区などでは、起動加速度を始め、電車の走行性能に関しても一概にどちら寄りとも言えない。 本項では鉄のレールに鉄輪を用いた粘着式鉄道の車両に関して述べているため、ゴムタイヤを用いるモノレールや新交通システム、札幌市交通局の地下鉄車両などの案内軌条式鉄道、また磁気浮上式鉄道については各記事を参照。
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