日本における起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 00:19 UTC 版)
日本における目隠し鬼の起源は不明である。日本における民俗学を開拓し、明治期から民族学資料を集め、分析した柳田國男は、伝統的な子供の遊戯は大人の真似によって生じたものであり、鬼ごっこの原型である「鬼事(オニゴト)」もまた、もとは神の功績を称える演劇を子供が真似たという説を唱えた。柳田は確証はないものの、同様にして「盲鬼(メクラオニ)」や「隠坊(カクレンボウ)」も以前は神事として大人がやっていたものを子供が真似たものだと推測しており、また起源が不明瞭なものほど、古くからあったといえると述べている。この鬼事の起源となったと見なされている神事とは「追儺(ツイナ)」のことであり、これは1年間の災厄を模した鬼を追う行事で、特に節分の豆まきの「鬼は外、福は内」と同様の起源とされている。この説が民俗学でも一般論であったが、多田道太郎は、論文「鬼ごっこの起源」の中で、もし追儺が起源だとすれば、鬼の役割が鬼ごっことは正反対であるとして、追儺の模倣とする柳田説を否定した。多田は代わりに何かによって子供が浚われてしまうという神隠しに鬼ごっこの起源を求めた。 宮田登は、柳田説と多田説を比較したうえで、神隠しなどの神秘的領域から鬼事が生じたとする多田説を取るのであれば、意味不明とされてきた隠れ鬼や盲鬼にも一つの示唆が与えられるだろうと述べている。ただし、宮田は、鬼ごっこの起源が追儺や鬼やらいにあることは明らかだと断言している。
※この「日本における起源」の解説は、「目隠し鬼」の解説の一部です。
「日本における起源」を含む「目隠し鬼」の記事については、「目隠し鬼」の概要を参照ください。
- 日本における起源のページへのリンク