国鉄旧形電車の車両形式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 15:45 UTC 版)
国鉄旧形電車の車両形式(こくてつきゅうがたでんしゃのしゃりょうけいしき)では、日本国有鉄道における新性能電車以前の旧形電車の称号方式について述べる。
- ^ 、コントロール由来で「コ」が客車の重量記号にすでにあったので「クォントロール」と呼んだ」という説もある。
なお、福原俊一は『日本の電車物語 旧性能電車編』p.55で「「ク」は「駆動制御」由来」という説について触れ「俗説であり正しくない」としている。 - ^ 挟むという意味の英語のサース、もしくは(走行・制御のための機器がないので)ギ装がサっぱりからという説もある。
- ^ グリーン車となった旧形電車は存在しない(旧形電車における一等車は1968年までに全て二等車に格下げ)。
- ^ 等級制の改訂経緯については等級 (鉄道車両)を参照。
- ^ 語源は「乗客ではなく職員(ヤクニン)が使用する」とされる。((福原2007)p.80「国鉄電車の形式称号の変遷(その3)」)
- ^ 『機関車・電車』のp.120原文では「20m以下」だが、これではちょうど20mの車両も入ってしまうので「20m未満」の誤記と判断した。
- ^ これ以前は甲武鉄道時代はただ単に番号(1から通し)、明治39年(1906)に国有化後は「デ」(デんしゃのデ)の記号が付けられ、2軸車であったこれらの車両と区別するため明治42年に製造されたボギーの電車(後のホデ6100形)は「ホデ」と呼ばれた((福原2007)p.52「国鉄電車の形式称号の変遷(その1)」)。
- ^ 「ト」の語源は「トレーラーのト」とされる。((福原2007)p.55「国鉄電車の形式称号の変遷(その2)」)
- ^ 私鉄も同じようなことを考えており、南海電鉄に初めて出た制御車の称号は「電附1形」である(なお電動車は「電○形」)。((福原2007)p.49)
- ^ 当時は電動車は必ず運転台があったので、この「モ」は後の「クモ」にあたる。
- ^ (福原2007)p.55・80「国鉄電車の形式称号の変遷(その2)」・「(その3)」
- ^ 萩原政男 『学研の図鑑 機関車・電車』 株式会社学習研究社、(改訂)1977、p.120。
- ^ 萩原政男 『学研の図鑑 機関車・電車』 株式会社学習研究社、(改訂)1977、p.121。
- ^ (寺田2007)p.156-157
- ^ (福原2007)p.52・55・80「国鉄電車の形式称号の変遷(その1)」「(その2)」「(その3)」
- ^ (福原2007)p.52「国鉄電車の形式称号の変遷(その1)」
- ^ a b (福原2007)p.55「国鉄電車の形式称号の変遷(その2)」
- ^ (福原2007)p.55「国鉄電車の形式称号の変遷(その2)」
- 1 国鉄旧形電車の車両形式とは
- 2 国鉄旧形電車の車両形式の概要
- 3 注釈
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