近鉄1460系電車とは? わかりやすく解説

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近鉄1460系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 14:48 UTC 版)

近鉄1460系電車
唯一の新塗装編成であった1462F(1987年 鳥羽)
基本情報
製造所 近畿車輛
製造年 1957年
主要諸元
編成 2両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 3.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
車体長 20,720 mm
車体幅 2,709 mm
全高 4,146 mm
車体高 3,990 mm
台車 KD-22
主電動機 MB-3028-A2
主電動機出力 75kW
駆動方式 WNドライブ
歯車比 6.06
制動装置 電磁直通ブレーキ
保安装置 近鉄型ATS
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近鉄1460系電車(きんてつ1460けいでんしゃ)は、1957年に登場した近畿日本鉄道大阪線通勤形電車である。1954年に改造された試作高性能車モ1450形での試験結果に基づき、大阪線初の新製高性能車として量産された。

本項では増備型の1470系電車も含めて記述する。なお、解説の便宜上、賢島側先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:モ1462以下2両編成=1462F)する。

概要

第二次世界大戦中に休止していた西信貴鋼索線(西信貴ケーブル)が1957年に営業再開するのに合わせ、上本町駅 - 信貴線信貴山口駅間直通準急・普通用として同年3月に登場した大阪線初の新製量産型高性能車である[1]

上本町寄りからモ1460形奇数(cM)-モ1460形偶数(Mc)の2両編成で、1462F・1464F・1466Fの3編成6両がMMユニット方式で製造された。

構造

車体構造

車体は全金属であり、両開き3扉、サッシュレス下降窓を採用した。屋根肩のRが大きく幕板に相当する部分が殆ど無い断面形状が特徴である[2]。この片側両開き3扉のスタイルは後に名古屋線の旧車機器流用車6441系旧モ1421形に採用されたが、南大阪線用の6800系ラビットカーで採用された片側4扉が1470系をはじめとするこの後の系列に採用されたため、完全新造車では1988年登場の5200系まで3扉車は製造されることはなかった。

前照灯は一灯形で登場。後にシールドビーム二灯形に改められたが、廃車になるまで外観は一灯形のスタイルのままであった。

車内の化粧板には茶色系統のアルミデコラを採用し、軽量化や不燃化が図られた[3]。座席の表地にはビニルクロスが採用された。

塗装

近鉄一般車ベージュ
 
16進表記 #c4a98f
RGB (196, 169, 143)
マンセル値 7.5YR 7/3
出典 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」
近鉄一般車ブルー
 
16進表記 #1b324a
RGB (27, 50, 74)
マンセル値 2.5PB 2/4
出典 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」

本形式はベージュに100mm幅青帯の塗装を初めて採用し、その後の広軌線高性能一般車の標準塗装となった。この車両色は、当時近鉄の車両部に在職していた近藤恒夫が考案したものである[4]

落成当時は塗装が異なっていたモ1450形も一時期はこの塗装に塗り替えられ、高性能車ではない6441系もこの塗装で落成した。なお、これら広軌線一般車には「ラビットカー」に取り付けられていた「ラビットマーク」 のようなマークは取り付けられていなかった。

主要機器・性能

性能は全電動車方式による高加減速性能を重視し、起動加速度はそれまでの車両より高めの3.5km/h/s、減速度は4.0km/h/sである。

足回りは1954年に試作車として改造されたモ1450形を基本としており、主電動機三菱電機製MB-3028-A2[5]、75kW×4個)を装備し[6]制御装置は1C4M制御の三菱電機製単位スイッチ式ABFM-108-15MDH(主制御器はMU-13-293、停止・抑速用電気制動付)を搭載した[6][7]。駆動方式はWNドライブである[6]

台車は近畿車輛製KD-22を採用し[6]、ブレーキ(制動)方式は電磁直通ブレーキHSC-D型である。空気圧縮機は三菱製D-3-FR、補助電源装置は三菱電機製MG-57-S (交流出力、近鉄初の60Hz機)でありどちらも偶数車に装備された[6]

集電装置は三菱電機製S-524-ACであり奇数車の非運転台寄りに設置されている。通風装置は三菱電機製ファンデリアが搭載された。

改造

連結器交換

当初は単独運用であったが、1960年に他系列との併結運用を可能とするために連結器が密着連結器に交換された[3]

運転台の全室化

1972年には運転室が半室式から全室式に改造され、客室ではファンデリアを撤去して扇風機が設置された。

赤色塗装への変更

1965年頃から塗装工程簡略化のためにあかね色一色となった。1986年には1編成のみ近鉄マルーンレッドとシルキーホワイトの塗装となった。

運用・廃車

当初は朝ラッシュ時の上本町駅 - 名張駅伊賀神戸駅間の通勤急行などに充当されることもあったが、その後は各駅停車や準急などの大阪線内での区間運用車や信貴線で運用された。上本町 - 信貴山口間の直通列車は1967年12月20日に廃止されている。

3扉車であるため、1975年に車種統一のためモ1450形とともに名古屋線に転属し、名古屋線や山田線の普通列車に使用された[8]。晩年は主に志摩線および山田線・鳥羽線から志摩線に直通する普通列車に使用されていた[3]1987年6月30日付で老朽化を理由として1464F・1466F[9]が、次いで1988年1月に1462F[10]廃車となり形式消滅した。

1470系

近鉄1470系電車
1470系の大阪線普通列車(1985年頃 鶴橋)
基本情報
製造所 近畿車輛
主要諸元
編成 2両編成
軌間 1435 mm
電気方式 直流1500V
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 3.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
車体長 20720 mm
車体幅 2709 mm
台車 KD-36
主電動機 MB-3028-A2
主電動機出力 75kw
駆動方式 WNドライブ
制動装置 電磁直通ブレーキ
保安装置 近鉄型ATS
テンプレートを表示

1959年に登場した大阪線用通勤車で、車体は南大阪線用の6800系ラビットカー」と同様の片側両開き4扉となった。上本町寄りからモ1470形奇数(cM)-モ1470偶数(Mc)の2両編成を組み、1472F - 1480Fの5編成10両が製造された。

車体

車体は6800系と同様の両開き4扉で、塗装は1460系と同じく肌色の地色に空色の帯が採用された。前照灯もシールドビーム二灯式となった。前照灯の間隔は6800系一次車と異なり、1300mmに広げられており、8800系まで続く近鉄4扉通勤車両の原型ともいうべきスタイルをこの車両で確立している。

内装は1460系と同じ茶色系のアルミデコラの化粧板を採用したが、座席はビニル生地から赤茶色のモケットに変更された[11]

主要機器

足回り・性能は前述の1460系に準じているが、補助電源装置が変更 (三菱電機製 MG-57B-S) され、通風装置は三菱電機製のファンデリアと扇風機が併用された。また、集電装置が大阪線一般車初の東洋電機製造製 (PT-42Q1、奇数車の非運転台寄設置) になり、台車は近畿車輛製 KD-36 になっている。なお、近鉄で初めて電気連結器を搭載している。

改造

赤色塗装への変更

1964年頃から1460系同様に登場時のベージュに100mm幅青帯の塗装からあかね色に塗り替えられた。その後、1972年に運転台を半室式から全室式に改造された。

奇数車の運転台撤去

大阪線列車の長編成化で増結運用が主体となったため、1974年に奇数車の運転台(上本町側)が撤去された[12]。乗務員扉跡には丸妻のまま小窓が設けられ、同時に座席をこの部分まで延長している。

このため本形式単独の編成は不可能となり、2ユニット併結の4両に他形式の制御車(主に増結用先頭車である1480系ク1590形2410系ク2590形など)を連結した5両編成などで運用されるようになった。通風装置は後年になり扇風機のみになった。

運用・廃車

1460系同様に編成全体の出力が低かったことから、青山越えの運用ができないため、出場当初は主に大阪線の上本町 - 伊賀神戸間および信貴線直通列車で用いられた。本系列をベースに主電動機の出力をアップした1480系出場後は、主に河内国分以西の区間車や信貴線で用いられるようになった。

本系列は冷房改造や1980年代中頃に実施されたツートンカラー(シルキーホワイトとマルーンレッドの二色塗り)への変更は行われず、1984年6月15日付で1476F・1478Fが廃車[13]、1474Fが1985年1月16日付で廃車となった[14]。そして1987年8月30日付で1472F・1480Fが廃車された[9]ため、全車が廃車されて系列消滅した。

なお、廃車まで大阪線に在籍した。また、本系列の廃車により、大阪線の河内国分駅以西および信貴線のみでしか運用できない、いわゆる「区間車」の所属がなくなった。

保存車

1474は廃車後、東大阪短期大学(現・東大阪大学)付属幼稚園の遊具施設として譲渡された[12]

脚注

  1. ^ 三好好三『近鉄電車』p.111
  2. ^ このため、後に側面方向幕を追加した後継形式では方向幕面が斜めになるよう取り付けざるを得なくなった。
  3. ^ a b c 三木理史「私鉄車両めぐり 146 近畿日本鉄道」『鉄道ピクトリアル』1992年12月臨時増刊号、p.231
  4. ^ 徳永慶太郎「近鉄特急アラカルト」、p.79
  5. ^ 標準軌間用75kW級主電動機として以後同系列のものが京成3050形西鉄1000形(80kW仕様)などに採用されたが、近鉄での採用例は本項の2形式のみである。
  6. ^ a b c d e 飯島・藤井・井上『私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.166-167
  7. ^ 鹿島雅美『近鉄II』p.24
  8. ^ 三好好三『近鉄電車』p.166
  9. ^ a b 鉄道ピクトリアル1988年5月号「新車年鑑」226頁
  10. ^ 鉄道ピクトリアル1992年12月臨時増刊号「近畿日本鉄道」289頁
  11. ^ 三木理史「私鉄車両めぐり 146 近畿日本鉄道」『鉄道ピクトリアル』1992年12月臨時増刊号、p.232
  12. ^ a b 三木理史「私鉄車両めぐり 146 近畿日本鉄道」『鉄道ピクトリアル』1992年12月臨時増刊号、p.233
  13. ^ 『鉄道ピクトリアル』1985年5月臨時増刊号、154頁
  14. ^ 『鉄道ピクトリアル』1986年5月臨時増刊号、171 - 172頁

参考文献

  • 慶應義塾大学鉄道研究会編 『近鉄』 (私鉄ガイドブックシリーズ第4巻)、1970年。
  • 鹿島雅美 『近鉄II』、保育社 (カラーブックス 日本の私鉄31)、1983年。
  • 飯島厳・藤井信夫・井上広和『私鉄の車両13 近畿日本鉄道II 通勤車他』保育社、1986年 ISBN 4-586-53213-0
  • 徳永慶太郎 「近鉄特急アラカルト」、『鉄道ピクトリアル』505、1988年。
  • 三好好三『近鉄電車 大軌デボ1形から「しまかぜ」「青の交響曲」まで100年余りの電車のすべて』(JTBキャンブックス)、JTBパブリッシング、2016年。ISBN 978-4-533-11435-9
  • 三木理史「私鉄車両めぐり 146 近畿日本鉄道」『鉄道ピクトリアル』1992年12月臨時増刊号、電気車研究会。pp.227-265
  • 中山嘉彦 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」、『鉄道ピクトリアル』2003年12月臨時増刊号、2003年。
  • 中山嘉彦 「近鉄車両 -主要機器のあゆみ-」、『鉄道ピクトリアル』954、電気車研究会、2018年。

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