急行「津軽」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 01:46 UTC 版)
津軽 (列車)はこの節に転送されます。 急行「津軽」は、1922年(大正11年)3月に上野 - 青森間を東北本線・奥羽本線経由で結ぶ夜行急行701・702列車が夜行普通703・704・705・706列車とともに新設されたのが起源である。 その後、列車番号を401・402列車にあらため二等寝台車(現在のB寝台車に相当)の連結を開始、太平洋戦争に伴って運行区間を上野 - 秋田間に短縮し、普通列車へ格下げとなるが、戦後間もなく夜行準急405・406列車として優等列車に復帰し、1947年(昭和22年)6月には急行列車に格上げとなった。列車番号も401・402に変更された後の1950年(昭和25年)12月には急行「鳥海」(ちょうかい)の愛称が付されている。 一方で、上野 - 秋田間を高崎線・上越線・羽越本線経由で結ぶ優等列車は、上越線が開通した1931年(昭和6年)9月より二等寝台列車連結で設定され、寝台夜行急行「天の川」の起源となった。この列車は戦争中に廃止となったが、戦後、1948年(昭和23年)7月のダイヤ改正で、上野 - 新潟間毎日運転の夜行急行701・702列車の運行区間を延長する形で不定期急行2701・2702列車として運転を再開する。 「津軽」という列車名は、1954年(昭和29年)10月に開設された上野 - 青森間を上越線・羽越本線経由で結ぶ臨時の夜行急行列車にはじめて付されたものだが、2年後の1956年(昭和31年)11月には、東北本線・奥羽本線の定期夜行急行「鳥海」の運行区間を、戦前の運行体系どおりに青森駅まで延長復旧させた401・402列車の愛称として命名され、その後4半世紀にわたり東北本線・奥羽本線を経由して上野 - 青森間を結ぶ夜行急行列車として運行されることとなる。 この頃、1950年代から1960年代にかけては、東北地方から東京方面への出稼ぎや集団就職が盛んに行われていた時代であり、これら出稼ぎ者や集団就職者のうち、奥羽本線沿線(山形県・秋田県・青森県西部の地域)の人々にとっては、急行「津軽」は沿線唯一の優等列車であり、集団就職列車や長距離普通列車によって上京した人々にとっては、急行「津軽」の、特に一等寝台車(のちのA寝台車)を使用して帰郷することがいつしか成功の象徴ともなり、急行「津軽」はマスコミなどからは「出世列車」と呼ばれることとなった。 急行「津軽」は1965年(昭和40年)10月に2往復体制となったが、1982年(昭和57年)11月の東北新幹線本格開業に伴い1往復を特急「あけぼの」に格上げされ1往復となり、1993年(平成5年)12月には臨時列車化され1998年(平成10年)1月の年始運転をもって廃止となった。 その後、 2001年(平成13年)12月29日から30日(下り)、2002年(平成14年)1月3日から4日(上り)にかけて上野 - 青森間を「なつかしの津軽」として東北本線・陸羽東線・奥羽本線経由で14系客車(座席車6両)を使用したリバイバル運行が行われ、2019年(令和元年)7月27日から28日には、秋田 - 青森間でED75形700番台と12系客車6両を使用し急行「津軽」としてリバイバル運行された。詳細は後述の沿革参照。
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