急行「阿蘇」郵便車炎上事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「急行「阿蘇」郵便車炎上事故」の解説
1972年(昭和47年)4月13日 午前0時50分ごろ 名古屋発熊本行きの急行「阿蘇」が山陽本線三石 - 吉永間を走行中、機関車の次位に連結していた郵便車から出火。吉永駅に臨時停車し客車と郵便車との連結を外し400 m引き離して消火活動をした。幸い負傷者はいなかったが郵便車は全焼。郵便物1万数千通が焼失し現金書留など一億円以上の損失が出た。当初は煙草の不始末が原因とみて岡山県警は捜査をしたが、当時名古屋鉄道管理局勤務で事故の対応をした山之内秀一郎の著作によれば、郵便車の蒸気暖房管の周囲にある木材が摂氏160度程度の温度で長時間暖められ蓄熱し、やがて発火に至る低温発火現象が事故車両で発生したとされ、非常に希な現象であるため火災責任はないとして不起訴処分になったという。
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