二等寝台車
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5110形ロネ5110 - 51131917年に大井工場で4両が製造された17m級二等寝台車。両端に便所と洗面所を備え、一方には給仕室と物置も併設する。客室は座席定員36人・寝台定員24人のツーリスト式寝台を備え、室内を2:1に区切って座席定員24人・寝台定員16人と座席定員12人・寝台定員8人の2室構成とする仕切が設置されている。台車は明治45年式で屋根は二重屋根である。 関東大震災で5111が被災廃車となった後、1924年に残る3両は称号改正でナロネ5110・5112・5113と改称し、1928年の称号改正では順に10100形ナロネ10100 - 10102へと改形式・改番されている。
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二等寝台車
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9140形オロネ9140 - 9142 9145形スロネ9145 - 9149・10050・100511911年に神戸工場で5両、新橋工場で1両、1912年に神戸工場で1両が製造された19m級二等寝台車。1911年度製造分に含まれる25両のブリル社製台枠・台車使用車両の1つ。 1922年11月にオロネ9145 - 9149・10050・10051へ改番されている。 10055形スロネ10055 - 100591912年1・2列車用に神戸工場で5両が製造された20m級二等寝台車。同列車の客車中、この車両のみ上段のスペース確保のため丸屋根を採用。前後はツーリスト式寝台、中央部はプルマン式寝台で下段は「2人床」と呼ばれる大人2人が寝ることができるダブルベッドを備えたものであったが、1918年(大正7年)11月に「大型寝台」と改称され、大人2人での利用は禁止された。(A寝台も参照)。後にスニ19990(改称後マニ19700)に改造された。 10100形スロネフ10100 - 10104 10105形スロネフ10105 - 10107
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二等寝台車
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「国鉄28400系客車」の記事における「二等寝台車」の解説
スロネ28500形(スロネ27300形) 1・2列車用二等寝台車として当初はスロネ28500 - 28507の8両が1921年に大宮工場で製造され、続いてスロネ28508 - 28512の5両が大宮工場で、スロネ28513・28514の2両が大井工場でそれぞれ製造された。 上下2段で2人ずつの寝台を2組で1室とするツーリスト形の区分室を7室備えていた。 1926年の山陽本線脱線事故ではスロネ28500・28501・28503の3両が脱線大破して喪われ、1927年の称号改正時には欠番を詰めてスロネ27300 - 27311に改称されている。 マロネ48500形の新造開始で特急列車の運用から外され、その後全車マニ29500・29550形へ順次格下げ改造された。
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