火災による焼失
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二度目の危機は1963年に発生した病院火災である。1963年(昭和38年)6月18日早朝に火災が発生、漏電により管理棟、病棟、治療室などを焼失したが、人的被害はなかった。他のハンセン病療養所と異なり、市街地にあることから住民の一部から再建反対の声もあったが、関係者の努力により再建された。鉄筋コンクリート造2階建の病院管理棟、病棟、治療棟が新築され、1964年(昭和39年)8月22日に落成、落成式には秩父宮妃の臨席を賜った。
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火災による焼失
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「正法寺 (奥州市)」の記事における「火災による焼失」の解説
正法寺は火災が多く、1444年(文安元年)から1799年(寛政11年)までの6回を記録している。1799年の最後の火事は、月泉良印の400回忌の当日に庫裏から出火したもので、惣門、土蔵、宝蔵を残すのみでほぼ全焼してしまった。このときは、仙台藩の庇護を受けていて、復興は仙台藩が行うことになっていたが、藩側も財政がひっ迫しており、50年経って、本堂と庫裏は再建された。仙台藩は、スポンサーのような存在だったらしく、藩が関わったものには、藩の家紋が随所に入れられている。しかし、仏殿と山門は修理されず今日に至る。
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