3050系
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3050系(3050けい)とは、3050の数値を使用するものを指す。
- 1 3050系とは
- 2 3050系の概要
3050系
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「山陽電気鉄道3000系電車」の記事における「3050系」の解説
1972年の新造車からは、サービス向上のため冷房装置を装備しての導入となった。形式番号は電動車は50番台以降、付随車・制御車については30番台以降とされ、このグループは「3050系」と総称される。 クモハ3050形 (Mc) 神戸方制御電動車(偶数車) モハ3050形 (M) 中間電動車(奇数車) サハ3530形 (T) 付随車 クハ3630形 (Tc) 姫路方制御車 冷房装置は集約分散式で、三菱電機CU-17形ユニットクーラー(8,500kcal/h)が1両あたり4基搭載される。パンタグラフは冷房装置の搭載に伴うスペースの制約から下枠交差式となり、PK-57を奇数電動車に2基搭載、取付部の低屋根は廃止された。PK-57は後にPK-60へ換装、続いてPK-80に変更された。 補助電源装置はM'c車に4両分の給電能力を有する120kVAの電動発電機 (MG) を搭載したほか、Tc車にも予備として従来の6kVAの小型MGを1台装備している。制御器はKMC-201、電動機はMB-3020S、歯数比は82:15という基本的な機器仕様については3000系と同様である。 前面の意匠は3000系に準じているが、幌の形状が変更されており、幌釣り金具が無くなっている。車内天井部には風洞を設置して、天井を平面構造とした。
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3050系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 04:48 UTC 版)
1971年(昭和46年)12月から1973年(昭和48年)12月にかけて2両編成14本・4両編成10本の計68両が製造された。種車はデハ10系のうち一般車仕様であったモハ5440形・5450形、戦時規格統制形モハ5410形、戦災国電復旧車クハ450形、木造客車鋼体化形クハ550形(2代)等、54系各形式である。これらは制御器形式から「PR」との別称を持ち、いずれも日立製作所製の電装品(主電動機はHS-266-A、制御器は電動カム軸式MCH-200D)を搭載した旧型車両群であった。 主幹制御器は3000系同様M-8Dを搭載し、制御シーケンスも同一であったことから、両系列の種車である32系・54系が何ら区別されることなく併結されていたのと同じく、両系列の併結運転は可能であった。 なお、本系列の種車中、HS-266-A主電動機とデッカー形制御器を搭載した異端形式モハ5200形5201 - 5203(→モハ3360・3560・3160)については、更新に際して制御器をMCH-200Dに換装し、仕様の統一が図られている。 本系列の新製に際しては、3000系における反省を踏まえ、当初から4両編成が浅草方よりモハ3150形-サハ3250形-モハ3350形-クハ3450形、2両編成がモハ3550形-クハ3650形とそれぞれ付番されている。 その他、本系列では運転室の前後寸法が拡大され、居住性が改善された。4両編成全車と2両編成の3551 - 3553編成は、運転台部分のみ1,600mmに拡張され、中央乗務員扉から車掌台側にかけては1,113mmのままとされたことから、客室側に張り出しが生じている。また、2両編成の3554 - 3564編成については、運転室スペース全ての奥行が1,420mmに変更された。
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