除籍・解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 08:53 UTC 版)
2008年秋に山口組執行部から除籍処分を受け、組長・後藤忠政は引退。後藤組にかわり、元傘下の良知組、藤友会が山口組直参となった。 この処分については、六代目山口組執行部による『反執行部勢力の排除』の一環であったとする見方がある。ただ、同時期に、後藤は病気を理由に本部の定例会を欠席しておきながら、芸能人数名を招待しての誕生会を兼ねたゴルフコンペを開いており、これが執行部から問題視されていたのも事実である。 この処分に連座した団体は後藤組のほかに7団体。すなわち、井奥会(神戸)、大門会(熊本)、六代目奥州会津角定一家(福島)、二代目一心会(大阪)、浅川会(大阪)、太田興業(大阪)、二代目浅川一家(福岡)で、わけても井奥会と大門会が受けたのは最も重い処分にあたる絶縁であった。 この処分の意思決定者は、高山清司率いる名古屋の弘道会であった。このことから、警察庁の組織犯罪対策部は、後藤組と弘道会の間での対立抗争の発生の懸念を2008年10月度の愛知県公安委員会に報告するに至っている。
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