公職追放について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:17 UTC 版)
「戦後の追放で大政翼賛会岡崎支部長菅野経三郎氏がやられたが、これよりさき菅野氏の手で青年団副団長の私を壮年団長に推したところ本部で拒まれ、こんどは当時閑職にいた竹内京治氏にお鉢が回ったけれども、結局海軍大佐太田増右エ門氏が就任したので追放の身代りになってくれたようなものだ。おかげで、竹内さんも私も政治生活を絶たれずにすんだ。また、山本英輔という海軍大将をよんで〝八光会〟の支部をつくる責任者になったことがあるがスンデのことにこの件でも追放になるところを、山本大将が親英派だったため辛うじて助かったのだから、これらはみな私が幸運に恵まれていたからだと思う。」
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