公職追放に伴い神戸市長を辞任
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「中井一夫」の記事における「公職追放に伴い神戸市長を辞任」の解説
1945年11月の旧大日本政治会系の日本進歩党結党に参加。大日本政治会を母胎にしたとはいえ進歩党所属議員の大半は政党解消以前は立憲民政党・政友会革新派・政友会統一派に所属しており、政友会正統派に所属していた議員で進歩党結党に参加した者は中井以外では猪野毛利栄・西川貞一・依光好秋・高畠亀太郎・三善信房・綾部健太郎の6名のみである。また中井と同じく戦前政友会正統派に所属していた三土忠造は進歩党と連携し、進歩党が与党となった幣原内閣にも入閣したが、進歩党の結党自体には参加しなかった。 中井は1942年4月30日に実施された第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦候補者として立候補し、当選していた。そのため1946年に公職追放された。但し同年に行われた第22回衆議院議員総選挙には立候補できなかったものの市長の辞任は追放の翌年1947年2月28日である。公職追放中は弁護士として活動する一方、神戸市内の頼母子講を1つにまとめる形で七福相互無尽会社(現在のみなと銀行)を設立し、湊川神社の再建に関与した。
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