陸海軍における藩閥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 03:24 UTC 版)
一般に「薩の海軍、長の陸軍」というように海軍では山本権兵衛や東郷平八郎、西郷従道に代表される薩摩閥が、陸軍では乃木希典や児玉源太郎、山縣有朋、桂太郎に代表される長州閥が勢力を握っていたとされる。しかし、決して単純に分類できるわけではない。例えば、日露戦争において、満州軍総司令官は薩摩閥の大山巌が務めており、総参謀長に児玉源太郎が配される、第一軍、第四軍の司令官は黒木為楨、野津道貫と薩摩閥、第三軍の司令官は乃木希典であるが参謀長に伊地知幸介をあてるなど、藩閥間のバランスに配慮している。これらの軍隊内の藩閥勢力は、要職者に陸軍大学校や海軍兵学校卒業者が就任するようになると学校時代の成績が重要視されるようになったため、徐々に減少していった。 後に陸軍では山縣有朋の影響力が増大し、寺内正毅や田中義一らが山縣閥を形成し、陸軍内の主流派となった。しかし、大正時代後期に山縣の影響力は低下し、やがて陸軍内の派閥は統制派と皇道派に分かれていくことになる。1921年(大正10年)にバーデン=バーデンの密約で山縣閥(長州閥)排除を誓ったメンバーも、この2つの派閥に分かれた。 海軍では出身地閥より閨閥が重視される傾向が生まれ、海外留学経験・海軍兵学校での席次とともに、夫人の血縁が出世の要件と言われた。後に海軍内での派閥には条約派・艦隊派が生まれていった。 昭和期に入ると藩閥出身者が高官を独占する事はなくなり、陸軍三長官を務めた長州出身者は寺内寿一元帥陸軍大将(南方軍総司令官、教育総監。寺内正毅の子)一人であり、海軍の顕職に就いた薩摩出身者も財部彪大将(海軍大臣、横須賀鎮守府司令長官。山本権兵衛の女婿)、山本英輔大将(横須賀鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官。山本権兵衛の甥)、野村直邦大将(横須賀鎮守府司令長官 兼 海上護衛司令長官、海軍大臣)など少数に留まった。
※この「陸海軍における藩閥」の解説は、「藩閥」の解説の一部です。
「陸海軍における藩閥」を含む「藩閥」の記事については、「藩閥」の概要を参照ください。
- 陸海軍における藩閥のページへのリンク