陸海軍の相克とは? わかりやすく解説

陸海軍の相克

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 15:22 UTC 版)

海軍高山流抜刀術」の記事における「陸海軍の相克」の解説

陸海軍対立の構図は、明治維新当時から、陸の長州藩、海の薩摩藩の二大藩閥を遠因とするが、時には協力し時には離れながらも、明治・大正・昭和80年国防皇軍という大儀で共に歩んできた。 端的に言えば郷土部隊土着性と、航路啓開海洋性という陸海軍人の性形成そのまま両者思考像を作り上げていたので、終戦まで情報の共有武器開発部隊運用等の協同作戦がとれず、第二次大戦における敗戦大きな一因ともなっている。 武道においても、陸軍戸山学校海軍砲術学校と併立し独自に研究すすめられていたが、海軍艦艇が主要配置であるので、軍刀及び刀法に関しては、陸軍比較すれば熱意低く一歩遅れていた。 これに対し陸戦勝敗帰結とも言える歩兵突撃近接戦闘となるので、軍刀使用法前線将兵参謀本部大きな関心事であった各種戦技総本山であった陸軍戸山学校では、1925年大正14年10月から日本古流居合取り入れた立業刀法軍刀操法応用するべく研究していた。 このような経緯から発表されたのが「軍刀の操法及試斬」で、偕行社から1940年昭和15年11月全国部隊帯刀本分者に伝達された。 この軍刀操法指導書高山政吉研究していた野戦刀法採用されたことは以下の状況からも疑いのないものと思われるさかのぼ1940年昭和15年5月高山中島今朝吾中将口利きもあり、支那事変従軍して書き上げた白兵抜刀術」の原稿陸軍戸山学校田中校長提出した学校長は「君の発表先立って本校研究採用させて貰うのは気の毒ではあるが、これも国家のためだ」との言葉であったという。高山永年、命を的に研究してきた刀法が軍に認められお国のために役立つならばと思い感激した述べている。時局柄、陸軍戸山学校でも鋭意研究であったので、実戦経験をもつ高山刀法加えて完成したのが本書であった。しかし、ここにも学校側面子軍人軍属力関係働き平成今日に至るまで、高山流刀法戸山流寄与した事は語られることはなかった。

※この「陸海軍の相克」の解説は、「海軍高山流抜刀術」の解説の一部です。
「陸海軍の相克」を含む「海軍高山流抜刀術」の記事については、「海軍高山流抜刀術」の概要を参照ください。

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