陸海軍共同の山東作戦とは? わかりやすく解説

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陸海軍共同の山東作戦(北洋艦隊の降伏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:03 UTC 版)

日清戦争」の記事における「陸海軍共同の山東作戦(北洋艦隊降伏)」の解説

詳細は「威海衛の戦い」を参照 12月14日大本営山東作戦の実施決定した第二軍司令部連合艦隊司令部との調整後、翌年1月8日実施計画固まった作戦目的は、直隷決戦向けて制海権を完全に掌握するため、威海衛湾に立てこもる北洋艦隊残存艦艇と、海軍基地破壊にあった20日、4艦の砲撃援護の下、山東半島先端海軍陸戦隊等が上陸し、栄城湾に歩兵第16連隊等が上陸始めた26日夜、最後輸送船4隻が到着)。26日第二師団第六師団並進開始した目標地点まで移動距離、約60km)。30日陸戦用の防御設備があったにもかかわらず、清軍の抵抗強くなかったため、半日威海衛湾の南岸要塞制圧した日本軍戦死54人、負傷152人)。陸上での清軍の抵抗は、2月1日終わり翌日日本軍は、北岸要塞などを無血占領し、湾の出入口にある要衝の劉公島と日島停泊中の北洋艦隊包囲した。なお1月30日占領砲台視察していた歩兵第11旅団長大寺安純陸軍少将敵艦砲撃を受け、戦傷死した。 劉公島・日島守備隊北洋艦隊残存艦艇は、孤立して健在であり、旗艦定遠」の30センチ砲などで抗戦続けた。しかし、水雷艇による魚雷攻撃加え日本艦隊艦砲および対岸から日本軍占領され砲台備砲砲撃続け、清側の被害大きくなると、清の陸兵お雇い外国人は、北洋艦隊提督丁汝昌降伏求めた2月11日降伏拒否していた丁提督は、北洋通商大臣李鴻章打電後、服毒自決14日両軍合意に基づき17日に清の陸海軍将兵お雇い外国人解放された。

※この「陸海軍共同の山東作戦(北洋艦隊の降伏)」の解説は、「日清戦争」の解説の一部です。
「陸海軍共同の山東作戦(北洋艦隊の降伏)」を含む「日清戦争」の記事については、「日清戦争」の概要を参照ください。

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