陸海軍による神宮防衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 08:55 UTC 版)
「宇治山田空襲」の記事における「陸海軍による神宮防衛」の解説
この空襲を受け、大日本帝国陸軍は2月に宇治山田防空隊を配備した。伊勢神宮の防空と警護のため、672人の独立高射砲第5大隊と1,648人の伊勢警備隊を編成し、宇治山田市に配備したのであった。高射砲がどこに置かれたのかは不明であるが、そのうちの1つである高射砲の弾薬庫とされるコンクリート製の戦争遺跡が伊勢市立五十鈴中学校の北側に残る。 またこの年の第一次兵備で動員された第153師団(護京師団)を宇治山田市周辺に置き、伊勢湾口と神宮を防衛することとなった。第153師団は主力の歩兵連隊を志摩半島に、歩兵第441連隊を対岸の愛知県渥美半島に配し、神宮周辺は伊勢警備隊が防衛に当たった。 大日本帝国海軍も伊勢湾内への敵艦の侵入を阻止するため菅島・神島沖に機雷約194個を設置、第4特攻戦隊を志摩半島に配備した。 こうした手厚い防衛体制が敷かれた神社は日本で唯一であり、いかに伊勢神宮が重視されていたかが窺える。
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