明治・大正・昭和とは? わかりやすく解説

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明治・大正・昭和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:48 UTC 版)

手本引」の記事における「明治・大正・昭和」の解説

手本引き起源意外と新しく明治時代入ってから、京都府愛宕郡吉田村140(現・京都市左京区吉田本町)に一家構え初代会津の小鉄こと上坂仙吉をはじめ、いろは幸太郎こと長谷川伊三郎柿木之助ら侠客たちによって、江戸時代から遊ばれていた賽子賭博樗蒲一ちょぼいち)」や独楽賭博お花こま」を進化発展させる型で考案された。当時勢力にあった京都大阪神戸奈良大津和歌山の常盆(常設賭場)を中心に西日本都市温泉街へと伝播ていった。常盆からの上納金は、1日平均550円(現在の価値550万円以上)であったという。 明治13年1880年7月17日日本最初西洋流の近代刑法太政官布告36号刑法(4編430条)として公布され明治15年1882年1月1日から施行された。明治16年1883年4月16日上坂仙吉明治政府による博徒狩りで捕えられ、重禁錮10ヵ月罰金百円現在の価値凡そ百万円)の判決を受け服役した明治18年1885年)、西洋かるたトランプ)の輸入販売公認されると、翌年明治19年1886年)には花札メクリカルタ製造販売事実上解禁となった明治22年1889年9月23日セメント販売業石灰問屋「灰岩本店」、後に「灰孝本店」へと社名変更)を営む山内次郎は、京都市下京区正面通り加茂川西入鍵屋町12番戸(現・下京区鍵屋町342)に実父福井宗助の裏稼業であった骨牌製造引き継ぎ丸福商店(後の任天堂)を構えて販売した京都周辺の盆に売り込んだことで注文が入るようになった。さらに、近代煙草産業始祖村井吉兵衛交渉して煙草流通網を利用することに成功大統領はトップブランドの地位確立して全国的に広く知られるうになる明治35年1902年4月5日明治政府北清事変以後財政難理由骨牌(かるた)税法(明治35年法律44号)を制定すると、骨牌一組につき一律20銭(現在の価値で約620円)の収入印紙製造業者事前購入させ、商品添付するよう義務付けた。この年山内次郎日本初国産トランプ製造している。 明治35年1902年6月10代後半から大阪京都の盆に出入りしてきた梅吉は、初代会津の小鉄若頭長谷川伊三郎師事した後、実弟である阪口卯之助(阪卯)、藤治郎、亀吉らの協力得て29歳酒梅組結成大阪市南区難波新地5丁目56(現・浪速区元町3丁目)にあった自宅まで常盆にしている。その勢力直系乾分が140名、配下総勢2000人ともいわれ、盆は大い繁盛した大正12年1923年9月1日起きた関東大震災の頃になると、手本引き東日本にまで波及しており、昭和5年1930年)頃には全国的な流行見せる。第二次世界大戦突入すると、客足が遠のき下火になった戦時中の盆は厳重な灯火管制夜間爆撃警戒して昼間開帳されることが多かった終戦後は、警察要請に応じて治安維持協力した組織お目溢しで盆を開けるようになり、復員兵失業労働者たちが賭客として集まり、再び活況呈すうになる昭和20年1945年8月15日二代目山口組若衆だった田岡一雄は、昼前から神戸市東灘区御影町にあった山丁五島組(組長大野福次郎)の盆で手本引きをしていて、そこで敗戦告げ玉音放送聴いている。田岡一雄は、戦後の混乱警察力弱体化して治安悪くなった神戸の街と闇市第三国人から守るための自警団組織して頭角を現わすと、山口登死後しばらく空位であった組長田岡推す声が高まり昭和21年1946年10月13日神戸市湊川新開地にあったハナヤ食堂」(現・神戸市兵庫区新開地2丁目店舗明石市桜町11-28へ移転)において、三代目山口組組長襲名した。このときの組員は、先代舎弟6人、先代若衆14人、田岡一雄直系若衆13人の総勢33人だった。 田岡一雄舎弟だった小西豊勝は、大東亜戦争終結直後から関西汽船別府航路船内賭博開帳していたが、すぐに警察取締り船内賭博ができなくなり別府市海門寺町に移って小西組(現・小西一家)を興し街頭賭博を行うようになる。このことで、別府市議会議員井田栄作首領とする的屋組織二代目井田組との対立を生み、昭和24年1949年11月3日小西組石井一郎本名山川一郎)ら刺客4人が、別府市松原町にあった松濤旅館」の前で井田栄作襲撃し瀕死の重傷負わせる事件引き起こした昭和25年1950年10月21日法務府特審局は団体等規制令を適用することで小西組解散命じ小西組別府市から神戸市への撤退余儀なくされる昭和32年1957年3月27日別府温泉観光産業大博覧会会場で、二代目井田組員石井一郎拳銃狙撃し重傷を負わせ、4月2日には、石井組組員井田栄作配下別府市会議員・堀泰二郎刺殺4月8日には、石井組組員7人が井田邸に猟銃拳銃発砲してその後2ヵ月間に渡り県内外の暴力団員400人が両派(石井組三代目山口組二代目井田組=本多会)に集結して別府抗争事件へ発展した昭和40年1965年5月小西豊勝は賭博のもつれから本多会(後の大日本平和会組員刺殺され跡目実弟小西音松継承された。 昭和20年1945年10月大阪市浪速区木津勘助町3丁目(現・敷津西にあった大正時代から続く博徒組織有田組(組長二代目三阪こと有田円太郎)の盆に出入りしてきた松田重は、大阪市西成区松田組興した労働者中心暴力的かつ高圧的な賭場運営とは一線を画して負けた賭客に帰り電車賃や飯代をそっと渡す心遣い評判となり、西成区内だけでも5箇所の常盆を開設して勢力拡大500規模組織へと急成長遂げた西成区今池22(現・太子2丁目3-19にあった本家事務所2階の盆は40畳の広さ誇り全国親分衆が出入りする総長賭博がしばしば開帳された。昭和44年1969年3月6日松田重が66歳で病没すると、跡目は甥の忠義に継承された。 昭和24年1949年4月綱島一家五代目鶴岡政次郎の代貸だった稲川角二(後の稲川聖城)は、山崎屋一家四代目石井秀次郎跡目継承する形で、熱海市咲見町稲川一家興すと、湯河原町旅館島田旅館」を常盆にして莫大な利益上げた昭和31年1956年6月鶴岡政次郎の勢力圏にあった博徒団体糾合して、鶴政会(後の錦政会,現・稲川会)を結成神奈川県静岡県中心に東海道の「稲川時代」を拓き、さらに岐阜県熊本県にまで勢力拡大させ、「関東の雄」としての地盤築いた稲川角二の常盆での種目花札用いたアトサキメインで、稀に手本引きが行われたという。 昭和30年代には、本引き専用張札が各花札メーカーから続々市販されるうになる昭和32年1957年6月14日骨牌税法を全文改正したトランプ類税法 (昭和32年法律173号) が施行されたが、繰札張札はその対象外とされ、非課税となっている。その後トランプ類税は、平成元年1989年)の消費税導入に伴う間接税整理により廃止された。 昭和35年1960年6月26日稲川角二は、錦政会(現・稲川会幹部林一家総長林喜一郎から、自民党安保委員会アイゼンハワー大統領来日備えた活動資金を必要としていたため、政財界フィクサーである児玉誉士夫が、伊豆市長岡旅館2階の盆で、財界人相手に6億円近い金を掠め取ったとの報告を受ける。その後稲川角二世田谷区等々力6丁目29にあった児玉誉士夫邸を訪ねて恫喝したが、「自分自民党貸しはあっても借りはない」と逆に一喝される。これが縁で児玉誉士夫稲川角二実質的な親分となり、鶴政会顧問就任している。 昭和38年1963年12月田岡一雄山口組直系組長会において、「これからヤクザバクチやその寺銭では食えなくなるから、皆事業を持つようにすること」と直参組長たちにフロント企業合法企業)の経営強く呼びかけた。 昭和39年1964年2月13日警視庁警視総監委員長とする対策会議が、その下に刑事部長を長とする組織暴力犯罪取締本部設置されると、都道府県警察が一体となっていわゆる第一次頂上作戦実施違法な資金獲得活動狙った取締り強化したそれ以降証言さえあれば非現行でも逮捕するようになり、盆茣蓙が鋲で固定されていたり目木があれば、現金有無拘らず玄人賭博物的証拠とされ、常盆は壊滅的な打撃受けて激減した昭和39年1964年3月19日神奈川県足柄下郡箱根町塔之沢92温泉旅館紫雲荘」で、住吉一家現・住吉会)三代目阿部重作の引退に伴う総長賭博錦政会(現・稲川会会長稲川角二上萬一家貸元住吉一家四代目継承した磧上義光が共同開帳すると、関東代紋違い一家総長幹部らが30人超えて馳せ参じた一晩動いた総額が約5億5200万円祝金として阿部重作のもとに約4400万円届けられたという。このことは、翌年昭和40年1965年2月17日組織暴力犯罪取締本部中心とする家宅捜査発覚し同年2月27日には稲川角二碑文谷警察署出頭賭博開帳図利容疑逮捕され懲役3年の実刑判決確定した昭和40年1965年1月14日錦政会(現・稲川会幹部林喜一郎、同幹部山川一家総長山川修身ら5人が賭博開帳容疑指名手配されると、錦政会会員16人が逮捕された。昭和43年1968年)から稲川角二服役した関係で、その3年間林喜一郎錦政会会長代行務めた昭和45年1970年8月3日大阪府警察捜査4課暴力団対策課通称マル暴」)は、同年2月14日から15日にかけ、西成区今池41(現・天下茶屋北1丁目3-4にあった松田組愚連隊組織・互久楽会事務所2階の常盆で手本引きをしていたとして、奈良市明日香村村会議長島田弥八郎常習賭博容疑逮捕するとともに、賭客として同席していた四代目酒梅組組長中納幸男を指名手配している。島田弥八郎は、帳付役の互久楽常任参与平沼高男幼馴染で、数年前から盆に出入りしており、この逮捕により村会議長辞職することになるが、昭和48年1973年7月2日には再び村会議長返り咲いている。 昭和47年1972年6月17日神奈川県警察捜査4課は、川崎市高津区二子772にあった高木實方において、花札使った絵本引きをしていたとして、博徒集団加藤組元組員西山勁を常習賭博容疑逮捕した横浜地方裁判所川崎支部では、賭金供した金額が約2万円にすぎなかったことから、常習性はなかったとして、懲役3ヶ月判決下している。 昭和47年1972年10月竹中正久は、姫路市十二所前町28にあった竹中組事務所3階大広間全国から錚々たる親分衆を集め5,6日間ぶっ通し総長賭博開帳すると、総額で約15億円が動き寺銭は約1億円に昇ったという。竹中正久発案により、その日付は最後まで伏せるように根回しされていたため、兵庫県警察暴力対策2課は開帳日を特定できずに逮捕者全員無罪放免となり、罪に問われることはなかった。 昭和48年1973年)、山本集は、東淀川区淡路新町諏訪一家淡路内山本組興し、週2回のペースで盆を開帳すると、一晩寺銭は約500万円に昇ったという。平成元年1989年10月10日山本組を解散する画家へ転身代表作雄渾ゆうこん)」 が関西国際空港正面玄関掲げられている。 平成23年2011年12月16日山本集病没享年71昭和48年1973年9月28日三代目山口組本部長小田秀組組長小田秀臣は、姫路市内の竹中組事務所3階大広間稲川会幹部らを招いて総長賭博開帳すると、総額で約50億円が動いた兵庫県警察暴力対策2課による検挙者は43人に昇ったが、決定的な証拠得られず、全員起訴猶予となっている。 昭和62年1987年11月5日小田秀臣病没享年57昭和49年1974年2月5日神奈川県警察捜査4課鶴見警察署は、前年9月15日から16日にかけ、横浜市中区宮川町3丁目68にあった稲川会山田一植草事務所に、組長大幹部クラスの他、近所パチンコ店麻雀店の経営者などを加えた10余り集め手本引きで約1000万円の利益上げていたとして、稲川会木島一家総長木島無名ら5人を常習賭博容疑逮捕するとともに稲川会山田一植草組長植草昭一ら3人を指名手配している。 昭和50年1975年7月24日松田組溝口組組長溝口正雄)は大阪市北区曾根崎上1丁目10宝山ビル地階にあったスナック喫茶ヒット」を常盆にしており、そこへ賭客として来た山口組佐々木組組長佐々木道雄内徳元組(組長徳元敏雄)舎弟頭・切原大二郎らとのトラブル発端となって大阪戦争へと突入した。それにより、最盛期30数ヶ所もあった松田組の常盆は全て閉鎖へ追い込まれ松田組の常盆で使用する張札などの用具供給してきた生野区見町2丁目13現・生野区小路東5丁目1-1にあった小原商店本店経営難陥った昭和53年1978年11月1日三代目山口組若頭山健組組長山本健一若頭補佐で山広組組長山本広本部長小田秀臣は、神戸市灘区篠原本町4丁目3-1(現・六代目山口組総本部)の田岡邸に報道陣を招くと、一方的に抗争終結宣言した。それに呼応するように、11月22日には松田組大阪府警察終結宣言提出すると、組織建て直し図って松田連合」と改称したが、傘下組織相次ぐ離脱弱体化進み昭和58年1983年5月25日二代目松田組組長忠義は、松田連合解散したその後堅気となった忠義は、大阪東部市場輸送協力組合理事長就任するなどして成功収めたが、平成4年1992年)には会社売却平成8年1996年8月18日自殺している。享年58昭和51年1976年3月6日山本健一大平一雄(本名杉浦一雄)、竹中正久小西音松益田佳於細田利明、加茂田重政山崎正桜井隆之らが、神戸市中央区多聞通2丁目5-13にあった山口組本部2階集結して徹夜総長賭博開帳した。細田利明が胴元務め動いた総額推定で2億5000万円寺銭1500万円のうち、450万円大平一雄へ渡りそのうち225万円山本健一渡った同年3月20日にも同メンバー山口組本部2階再集結して総長賭博開帳竹中正久胴元務め加茂田重政負け通算3500万円になったという。このことを知った三代目組長田岡一雄は、山本健一竹中正久大平一雄、小西音松入院先の関西労災病院新館517号室に呼び出して厳重注意をした。この事実掴んだ兵庫県警察暴力対策2課は、昭和53年1978年11月22日山本健一竹中正久大平一雄や細田利明ら14人を指名手配すると逮捕している。本部長だった大平一雄が全ての責任引き受けて執行猶予付き懲役刑となり、他の者は罰金刑となった昭和52年1977年11月2日神奈川県警察捜査4課神奈川警察署は、同年9月14日から15日にかけ、神奈川区亀住町にあった左官業沢地正の自宅顔見知り商店10数人集め手本引きの盆を開帳総額6000万円現金動き、約300万円利益上げたとして、稲川会山田一家門脇組幹部宮原二ら4人を賭博開帳図利容疑逮捕している。 昭和55年1980年2月12日警視庁捜査4課渋谷目黒荏原警察署は、前年9月4日から5日にかけ、世田谷区千歳台にあった住吉一家現・住吉会)向後睦会福島組が管理する部屋に賭客十数人を集め手本引きで約500万円利益上げ、さらに都内組員自宅などでも約30以上に渡り盆を開帳総額20億円近く現金動き、約2億円の利益上げたとして、福島組長福島靖倫ら8人を賭博開帳図利容疑逮捕している。 昭和55年1980年3月上旬中旬竹中正久は、矢嶋長次長谷一雄、稲川会会長補佐林喜一郎、忠政会会長大森忠明松正会長山本真喜夫らを招待し竹中組若頭補佐大西康雄宅などで2回に渡って賽本引きの総長賭博開帳すると、両日3、4億円の金額動いた。この事実掴んだ兵庫県警察暴力対策2課は、昭和56年1981年10月29日竹中正久竹中武杉本明政、矢嶋長次長谷一雄、林喜一郎大森忠明山本真喜夫らを逮捕している。警察では寺銭を約1億5000万円推定大阪国税局所得税法違反容疑通報している。昭和56年1981年7月23日田岡一雄病没享年68翌年昭和57年1982年2月4日山本健一病没享年56同年8月15日田岡邸の隣で総長賭博開帳された際、四代目山口組組長山本広推す佐々木道雄と、それに反対する竹中正久口論となり対立表面化した昭和59年1984年3月12日警視庁捜査4課宮坂警察署は、前年11月23日から24日にかけ、京都市東山区民家京都東京会社役員商店主など賭客20人を集め手本引きの盆を開帳、約1500万円利益上げたとして、下京区東高瀬川筋上ノ口上岩滝町176-1(現・下京区岩滝町223会津会館)にある会津小鉄会事務所など11所を京都府警察協力得て一斉捜索した上で三代目会津小鉄会総裁図越利一最高幹部を含む8人を賭博開帳図利容疑指名手配している。会津小鉄会の盆のことを的屋符牒隠語)を使って「オキジョウ(七条という意味)」と呼んだ昭和61年1986年7月図越利一は、三代目会津小鉄会総裁代行理事長高山登久太郎本名姜外秀)を四代目会津小鉄会会長据え平成10年1998年7月7日京都で歿している。享年84昭和59年1984年6月8日兵庫県警察暴力対策2課と姫路警察署は、竹中組事務所への家宅捜索行った容疑は、2年前の昭和57年1982年7月竹中組小西一家との喧嘩の際に使用され拳銃竹中組事務所隠されていることと、8月竹中組組員賽本引賭博加わっていたというものだった昭和59年1984年7月10日竹中正久四代目山口組組長襲名。これを不服とする三代目山口組組長代行山本広中心となり、ひと月前の6月13日には山口組離脱して一和会結成8月5日和歌山県東牟婁郡串本町にあった山口組松山組組長松山政雄)内岸根組長岸根敏春が経営する盆で、多額借金抱えていた一和会坂井組(組長坂井奈良芳)串本支部若頭補佐潮崎進を岸根敏春が串本町路上刺殺した。この事件きっかけ山一抗争勃発すると、8月23日竹中正久義絶状友誼団体送り一和会対す実質的な絶縁表明したことで、両組の対立深刻なものとなった昭和60年1985年1月9日5年前昭和55年賭博事件の上告が棄却され竹中正久懲役5ヶ月未決勾留日数差し引かれ実際50日程)が確定すると、竹中正久2月から服役する予定だったが、1月26日一和会二代目山広組系組員長尾直美田辺豊記、立花和夫らに、内縁の妻・山坂しのぶの住む吹田市江坂町2丁目4-25にあるマンションGSハイム第2江坂1階エレベーター前で銃撃され意識不明のまま翌27日死亡した享年51昭和59年1984年8月27日放送したNHK特集山口組 知られざる組織内幕」では、西成区天下茶屋北1丁目4にあった酒梅組系陸野組の常盆(通称:たぬき)の摘発現場映し出されこの頃大阪だけでも30箇所上の盆が開帳されていたことが報告されており、盆茣蓙の下に仕込んだ電極操作することで、胴がサイコロ出目コントロールしていたことなど、イカサマ実態暴かれている。 昭和60年1985年4月10日警視庁捜査4課府中警察署は、渋谷区広尾の高級マンション手本引きをしていた住吉連合会現・住吉会)系幹部周文吉ら9人を現行犯逮捕している。 昭和61年1986年7月21日警視庁捜査4課巣鴨高島平警察署は、同年4月12日22日の2回、豊島区巣鴨飲食店2階住吉連合会現・住吉会)滝野川一家堀越睦会幹部マンション稲川会幹部不動産業者ゲーム機販売業者10人を集め手本引きの盆を開帳総額で約4億9000万円現金動き、約1600万円利益上げていたとして、堀越睦会幹部ら6人を賭博開帳図利容疑逮捕している。 昭和62年1987年5月21日警視庁池袋警察署は、同年2月7日夜から8日朝にかけて、豊島区池袋2丁目928番地パラッツォ田中201に賭客を集め手本引きの盆を開帳総額で約9600万円動き、約500万円利益上げていたとして、極東関口会(現・極東会田中一家高田幹部外崎二三男を賭博開帳図利容疑、賭客の喫茶店経営者ら7人を単純賭博容疑逮捕している。外崎二三男は1月から4月渡ってマンションホテル使って十数回の盆を開帳して総額5千万円の寺銭稼ぎ組織運営資金充てていた。 昭和63年1988年5月31日警視庁捜査4課月島荏原四谷警察署は、都内ホテル客室大規模な手本引きの盆を開帳判明しているだけでも3晩で約10億円動き2400万円利益上げていたとして、稲川会幹部ら5人を賭博開帳図利容疑で、賭客11人を常習賭博容疑逮捕している。 昭和63年1988年12月13日四万十市下田中学校教諭山口周三(51歳)が、宿毛市内のマンション山口組二代目豪友会会長岡崎文夫)の組員らと賽本引きをしているところを宿毛警察署署員現行犯逮捕された。そのため、山口周三は取調室捜査立ち合いのもと、2学期通信簿作成することとなり、教育関係者衝撃与えた

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