小西一家とは? わかりやすく解説

小西一家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/01 22:45 UTC 版)

三代目小西一家
設立者 小西音松
本部 静岡県静岡市駿河区西島741-4
首領
  • 総裁 - 落合勇治
  • 総長 - 小牧利之
上部団体 六代目山口組

小西一家(こにしいっか)は、兵庫県神戸市に本部を置く暴力団で、指定暴力団山口組の二次団体。[1] 前身は『小西組』。

来歴

初代小西組

1945年の終戦直後、小西豊勝は別府大阪間を結ぶ関西汽船にて船内賭博を行って資金を得ていた。その後、小西豊勝は、警察の取締りで、関西汽船内での船内賭博ができないようになり、別府市に移った。小西豊勝は、別府にて小西組を結成した。

二代目小西組・初代小西一家

1965年5月、小西豊勝組長が本多会組員に刺殺された。これに伴い弟の小西音松が二代目を継承。その後、二代目小西組を『小西組一家』に改称した[2]

二代目小西一家

三代目小西一家

埼玉抗争で落合二代目総長以下40人以上の組幹部らが逮捕され、二代目若頭の小濱秀治(二代目堀政連合会長)も2018年6月に最高裁で無期懲役が確定した。このため、留守を守っていた小牧利之二代目総長代行が同年7月5日に三代目小西一家総長に就任、同時に獄中の落合二代目総長は総裁、小濱二代目若頭は最高顧問に就任した[3]。この人事には、組織固めを急ぐ六代目山口組と、一家を維持しようという落合二代目総長の意向が働いたとされる。

歴代総長

  • 小西組組長 - 小西豊勝
  • 小西一家初代 - 小西音松(三代目山口組若中、四代目山口組舎弟、五代目山口組顧問)
  • 小西一家二代目 - 落合勇治(六代目山口組若中)[1]
  • 小西一家三代目 - 小牧利之(六代目山口組若中)

最高幹部

  • 総長 - 小牧利之
  • 総裁 - 落合勇治(本名:落合益幸、平成25年7月18日,組織犯罪処罰法違反(組織的殺人),無期懲役判決)
  • 最高顧問 - 小濱秀治(無期懲役判決)

出典

  1. ^ a b 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6 のP.10
  2. ^ 溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9 のP.100
  3. ^ 六代目山口組に新たな直参が誕生した理由…無期懲役が終身刑化した影響か、沖田臥竜(元山口組二次団体幹部)、ビジネスジャーナル、2018年7月13日、2019年3月10日閲覧

参考文献





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