小西一家
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設立者 | 小西音松 |
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小西一家(こにしいっか)は、静岡県静岡市に本部(旧本部は兵庫県神戸市)を置く暴力団で、指定暴力団山口組の二次団体。[1] 前身は『小西組』。
来歴
初代小西組
1945年の終戦直後、小西豊勝は別府~大阪間を結ぶ関西汽船にて船内賭博を行って資金を得ていた。その後、小西豊勝は、警察の取締りで、関西汽船内での船内賭博ができないようになり、別府市に移った。小西豊勝は、別府にて小西組を結成した。
二代目小西組・初代小西一家
1965年5月、小西豊勝組長が本多会組員に刺殺された。これに伴い弟の小西音松が二代目を継承。その後、二代目小西組を『小西組一家』に改称した[2]。
二代目小西一家
三代目小西一家
埼玉抗争[3]で落合二代目総長および若頭小濱秀治以下40人以上の組幹部らが逮捕され、2013年7月18日にさいたま地方裁判所(多和田隆史裁判長)は落合二代目に無期懲役(求刑 無期懲役)、罰金3千万円の判決を言い渡した[4]。その後、2017年12月、最高裁は落合二代目の上告を棄却、一審・二審の判決が確定。2018年6月に最高裁で二代目若頭の小濱秀治(二代目堀政連合会長)も無期懲役が確定した。このため、留守を守っていた小牧利之二代目総長代行が同年7月5日に三代目小西一家総長に就任、同時に獄中の落合二代目総長は総裁、小濱二代目若頭は最高顧問に就任した[5]。この人事には、組織固めを急ぐ六代目山口組と、一家を維持しようという落合二代目総長の意向が働いたとされる。
歴代総長
- 小西組組長 - 小西豊勝
- 小西一家初代 - 小西音松(三代目山口組若中、四代目山口組舎弟、五代目山口組顧問)
- 小西一家二代目 - 落合勇治(六代目山口組若中→三代目小西一家総裁)[1]
- 小西一家三代目 - 小牧利之(六代目山口組若中)
三代目最高幹部
- 総裁 - 落合勇治(本名:落合益幸、平成25年7月18日,組織犯罪処罰法違反(組織的殺人),無期懲役判決[6])
- 総長 - 小牧利之(1947年〈昭和22年〉12月16日生(77歳)[7])
- 最高顧問 - 小濱秀治(無期懲役判決)
関連書籍
出典
- ^ a b 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6 のP.10
- ^ 溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9 のP.100
- ^ 2008年に住吉会系と山口組系の間で起きた抗争。
- ^ “山口組直系組長に無期懲役 裁判員除外却下の公判”. 日本経済新聞 (2013年7月18日). 2025年9月18日閲覧。
- ^ 六代目山口組に新たな直参が誕生した理由…無期懲役が終身刑化した影響か、沖田臥竜(元山口組二次団体幹部)、ビジネスジャーナル、2018年7月13日、2019年3月10日閲覧
- ^ “山口組直系組長に無期懲役 裁判員除外却下の公判”. 産経新聞ニュース (2013年7月18日). 2025年9月15日閲覧。
- ^ 週刊大衆2025年2025年9月22日・29日合併号 p215「六代目山口組本家組織図(令和7年9月3日現在)」. 2025年9月15日閲覧。
参考文献
固有名詞の分類
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