アーク・ロイヤル
(空母アークロイヤル から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 15:08 UTC 版)
アーク・ロイヤル(Ark Royal)
- 1 アーク・ロイヤルとは
- 2 アーク・ロイヤルの概要
空母アークロイヤル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:47 UTC 版)
オスカーは空母アークロイヤルの乗員に紹介され、今度はアークロイヤルに乗船することになった。2回の沈没を経験し生き抜いたオスカーは、艦長によって「不沈のサム」というニックネームを付けられた(ここでいう不沈とは船が沈まないという意味ではなく、オスカー自身が海に沈まなかったという意味)。アークロイヤルは、オスカーが乗ったビスマルクに、航空機からの雷撃で致命傷を負わせた空母であった。しかし「オスカー」改め「サム」はここでも不運であった。1941年11月、空母アークロイヤルは、地中海のマルタへの戦闘機輸送の作戦(パーペテュアル作戦)に参加した。マルタからの帰路の11月13日、アークロイヤルはドイツ潜水艦U-81の攻撃を受けた。U-81は4発の魚雷を発射し、そのうち1発がアークロイヤルの右舷中央部艦橋直下に命中した。魚雷の深度は深く調整されており、アークロイヤルの右舷から艦底にかけて39.6m×9.1mの破孔が形成された。ジブラルタル港から駆け付けた曳船テムズによって曳航が試みられたが、アークロイヤルは、建造に様々な制限があったために重心が高く元々不安定であり、また被雷後の応急処置にも様々な不手際があったため大きく傾斜し、翌日の午前4時に乗員は全員退避した。この攻撃での死者は、魚雷命中の衝撃によって甲板上の雷撃機が海面に落下して亡くなった操縦員1名だけであった。11月14日午前6時頃より急激に傾斜が増したために曳航も中止された。曳航が中止されて間もなく、アークロイヤルはジブラルタルの沖30マイルで転覆して沈没した。「サム」は、内火艇の破片にしがみ付いて漂流しているところを発見された。発見時は「不機嫌だが全く負傷していない状態(angry but quite unharmed)」と報告されている。「サム」がしがみ付いていたのは水上機の羽の破片だったという証言もある。アークロイヤルの乗員とサムは駆逐艦ライトニング(英語版)と駆逐艦リージョンに救助された。なお「サム」を救助したこの2隻の軍艦もその後に沈没して失われた。駆逐艦リージョンは、4か月後の1942年3月に沈没。駆逐艦ライトニングも1943年3月に沈没し、サムに関わった艦船5隻が沈んだ。
※この「空母アークロイヤル」の解説は、「不沈のサム」の解説の一部です。
「空母アークロイヤル」を含む「不沈のサム」の記事については、「不沈のサム」の概要を参照ください。
- 空母アークロイヤルのページへのリンク