艦形について
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「アンリ4世 (海防戦艦)」の記事における「艦形について」の解説
設計はエミール・ベルタンが腕を振るい、新機軸を惜しげもなく盛り込んだ本級は船としての出来もよく、見かけの奇妙さとは一転して実際の外洋航行性能は良好だった。本艦は沿岸部での行動の為に、船体の吃水を浅く取る典型的な海防戦艦の船型である。外洋航行時の凌波性を向上させるために艦首の乾舷を高くとった船首楼船体である。排水量を低く抑えるため、船体は水線部から上は極端に狭められて体積を減らし、高い艦首とは対照的に艦尾甲板は低くされていた。 高い艦首からさらに一段甲板が上がって「1896年型27cm(40口径)ライフル砲」を単装砲塔に収め1基、同甲板上に艦橋とミリタリーマスト、2本煙突の両脇には片舷1基ずつボート・クレーンが計2基配置された。船体中央部最上甲板に砲盾の付いた「1893年型14cm(45口径)速射砲」を単装砲架で1基ずつ、船首楼に舷側ケースメイト配置で2基を装備し、簡素な後部マストの背後に砲塔に収められた14cm砲が後ろ向きに1基の計7基が配置された。そこから甲板一段分下がった喫水線すれすれの後部甲板上に後部主砲塔が後ろ向きに1基配置され、疑似的な背負い式配置となっていた。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 14:01 UTC 版)
本級の船体は平甲板型船体で外洋での凌波性の良好なクリッパー・バウ式艦首を持っていた。乾舷の高い艦首甲板上に「10cm(-口径)速射砲」を防楯の付いた単装砲架で1基、その後ろに両脇に船橋をもつ箱型の艦橋が立ち、それを基部として簡素な単脚式の前部マストが配置。船体中央部に煙突が立つが、煙突の本数は造船所により異なり、「マルヌ」のみ2本で「イーゼル」「ソーム」は1本煙突であった。 煙突の周りは艦載艇置き場となっており、煙突の後方にクレーン1基により艦載艇は運用された。左右の舷側甲板上に片舷1基ずつ10cm速射砲が1基ずつ配置された。後部居住区を基部として立つ単脚式の後部マストの背後に4番主砲が後ろ向きに1基装備される。
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艦形について
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「ブーゲンヴィル級通報艦」の記事における「艦形について」の解説
本級の船体は艦首乾舷の高い短単船首楼型船体で外洋での凌波性の良好なクリッパー・バウ式艦首を持っていた。乾舷の高い艦首から「13.8cm(40口径)速射砲」を防楯の付いた単装砲架で背負い式に2基、その後ろに近代的な箱型の艦橋と三脚式の前部マストが配置された所で船首楼甲板は終了し、甲板は一段分下がるが、舷側部は船首楼甲板から同じ高さでフライング・デッキ(空中甲板)が後部主砲近辺まで伸びており艦上で使えるスペースは広くする工夫が成されていた。 2本煙突の周りは艦載艇置き場となっており、煙突の間にグース・ネック(鴨の首型)式クレーンを片舷1基ずつ計2基により艦載艇は揚収された。2番煙突と後檣の間が水上機置き場となっており、単脚式の後部マストの基部に着いたクレーンにより水上に下ろされて運用されるため、カタパルトは無い。 後部マストの背後に3番主砲が後ろ向きに1基装備される。艦尾甲板には機雷投下用のレールが2条設置され、艦尾より投下される。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/17 03:24 UTC 版)
船体形状は典型的な船首楼型船体で艦首から12cm(50口径)単装砲架で1基、甲板一段分上がって連装砲架で1基、箱型の艦橋後部には単脚檣、その背後に集合煙突が一本と魚雷発射管を前後に挟むように4cm(56口径)連装機関砲が1基ずつの計2基。そこから甲板一段分上がって後檣の後部後ろ向きで12cm(50口径)連装砲架が背負い式で2基ずつの順である。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/17 03:22 UTC 版)
船体形状はこの当時のフランス駆逐艦に用いられた船首楼型船体でクリッパー・バウ型の艦首から「13cm(40口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架を背負い式で2基、風雪厳しいバルト海での運用に耐える重厚な箱型の艦橋後部には三脚型の前部マストが立ち、船体中央部に後方に向けやや傾斜した3本煙突が1番煙突と2番煙突の間がシフト配置のためにやや離されて立つ。 煙突の左右甲板は艦載艇置き場となっており、3番煙突左右に4cm対空機関砲が単装砲架で1基ずつ。その後部から55cm三連装魚雷発射管が直列に2基配置された。 その背後に単脚式の後部マストが立ち、後部甲板上に後ろ向きに13cm主砲が背負い式で2基の順である。艦尾甲板上は機雷置き場となり、艦尾へと伸びた二本のレールにより投下される。 第二次世界大戦後の1952年4月~1955年3月にかけて駆逐艦へと復帰工事が行われ、武装は10cm(56口径)連装砲2基、3.7cm(70口径)連装機関砲4基、新型レーダーとソナーを装備して再就役した。排水量は2,240トンで速力は30ノットとなった。
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艦形について
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「ブヴィーヌ級海防戦艦」の記事における「艦形について」の解説
海防戦艦として甲板の低いデザインから、艦首甲板の高い長船首楼型船体となった。艦首から30.5cm主砲塔が1基、司令塔を組み込むミリタリーマストの立つ艦橋、二本煙突、簡素な単脚檣、甲板一段分下がって後ろ向きの2番主砲塔が1基の順である。
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艦形について
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「クレッシー級装甲巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
未だ帆船時代のデザインが色濃く残る時代のイギリスらしく気品ある印象を受ける。船体は長船首楼型である。艦首から新設計の「1897年型23.4cm(40口径)砲」を単装砲塔で1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋に組込まれた単棒檣、その背後に四本煙突と後檣の間は艦載艇スペースとなり、後檣基部に設置されたジブ・クレーンにより甲板から海上に艦載艇を下す。単棒後檣を組込んだ後部艦橋から一段下がって、後部単装主砲塔を配置した。艦尾には旧い時代の艦船らしく艦名を記入したスタン・ウォークが設置されている。なお、写真の船体舷側の二つの黒い物は舷側に吊るされたカッターの影である。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 10:18 UTC 版)
「デュピュイ・ド・ローム (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出するといった特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的で採用された手法である。艦首はプラウ・バウ(豚鼻艦首)と呼ばれ、これも船殻重量は増加させずに、水線長だけを延長する目的が有る。
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艦形について
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「ドレイク級装甲巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
未だ帆船時代のデザインが色濃く残る時代のイギリスらしく気品ある印象を受ける。船体は長船首楼型である。艦首から新設計の「1897年型23,4cm(45口径)砲」を単装砲塔で1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋に組込まれた単棒檣、その背後に四本煙突と後檣の間は艦載艇スペースとなり、後檣基部に設置されたジブ・クレーンにより甲板から海上に艦載艇を下す。単棒後檣を組込んだ後部艦橋から一段下がって、後部単装主砲塔を配置した。艦尾には旧い時代の艦船らしく艦名を記入したスタン・ウォークが設置されている。なお、換気用に煙突付近に設置されていたキノコ型換気筒は被弾時の被害極限の思想から廃止され、同様の理由から後艦橋構造も簡素化された。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 14:46 UTC 版)
全長に比べて船体の幅が狭いと言う海防戦艦特有の船体は平甲板型で、艦首には当時の主流である衝角(ラム)が付く。主砲は「20.8cm(44口径)砲」を箱形の単装砲塔に纏め、1番主砲塔、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、円柱状の主脚の上には見張り台の二段のフロア。前級から一本増えた二本煙突を挟み込むように両舷にボート・ダビッド、後檣は前檣と同じく主脚に二段の見張り台がつき、後向きに2番主砲塔がある。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 02:59 UTC 版)
本級の船体形状は長船首楼型船体を採用した。この時代のフランス戦艦特有の全長に比べて船体の幅が狭い安定性の良い形状で、艦首形状は垂直に断ち落とされた形状に改められた。前級であるリベルテ級の錨が巻き上げられると艦首に埋め込まれるという凝った作りは本級にも踏襲され、後のクールベ級、プロヴァンス級にも受け継がれた。一方で前級の「装飾過多のため、外洋航行時の安定性が悪い」という悪評を改善する為に艦橋構造は簡略化され、「鉄の城」という趣の外観である。 垂直に切り立つ艦首から前部甲板上に新設計の「Model 1906 30.5cm(45口)砲」を収めた連装式の1番主砲塔1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ箱型とし、その上に簡素な単脚檣が立つ。 艦橋の背後に5本の煙突が立っているが、この時期のフランス海軍はボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために3番煙突と4番煙突の間隔は広く取られ、間に箱型の通風筒が立てられた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇揚収用のクレーンが船体中央部に片舷に1基ずつ計2基が立つ。5番煙突の背後に簡素な後部マストが立ち、そこから甲板一段分下がって後部甲板上に後ろ向きに2番主砲塔1基が配置された。 左右の舷側甲板上には新設計の「Model 1906 24cm(50口径)速射砲|」を収めた連装式の副砲塔が片舷に3基ずつ配置された。この武装配置により前後方向に30.5cm砲2門と24cm砲8門、左右方向に最大で30.5cm砲4門と24cm砲6門を向けることが出来た。他に対水雷艇用として「7.5cm(65口径)速射砲」が舷側ケースメイト配置で艦橋の側面部に2基、船体中央部に4基、後部艦橋と2番主砲塔の間の壁面に2基ずつの片舷8基の計16基を配置していた。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/31 04:46 UTC 版)
「テトゥアン (装甲艦)」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は乾舷の高い平甲板型船体を採用しており、艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付いている。船体には3本の帆走用マストを持っており、1番・2番マストの間に2本煙突を立てていた。艦内の砲郭内に主砲の68ポンドカノン砲を単装で40~41基搭載しており、舷側に片舷20箇所の砲門から砲身を出していた。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 02:51 UTC 版)
「ロード・ネルソン級戦艦」の記事における「艦形について」の解説
船体は水平甲板型で、ほぼ垂直に切り立った艦首から新設計の「1908年型 Mark10 30.5cm(45口径)砲」を連装砲塔で1基、司令塔を上に載せた操舵艦橋、単脚檣、二本煙突、後部三脚檣、その両舷には中間砲として「1908年型 23.4cm(50口径)砲」を連装砲塔・単装砲塔・連装砲塔の順に連装砲塔四基・単装砲塔二基を配置した。後部主砲塔の順である。前部艦橋と後部艦橋の間に、煙突を囲むようにフライング・デッキ(空中甲板:渡り廊下の様なもの)が設けられ、二層構造で上段が艦載艇置き場、下段が76mm単装砲がケースメイト配置で片舷12基で計24基配置された。 元来、主砲と副砲以外に中間砲を装備するのが準弩級戦艦であるが、本級の場合は中間砲を装備する代わりに副砲を廃止するという、変則的な準弩級戦艦である。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 02:57 UTC 版)
船体は前弩級戦艦以来の平甲板型を採用した。艦首から構造を記述すると、新設計の「1909年型 28.3cm(45口径)砲」を連装砲塔に収めて1基を配置し、司令塔を組み込んだ操舵艦橋に単脚式の前檣を立て、その背後の1番・2番煙突および後檣の間の部分は甲板一段分が高められて艦載艇スペースとなり、中央部にグース・ネック(雁の首)式クレーンを片舷1基ずつ計2基配置した。その中央部の甲板上に、背中合わせ配置で主砲塔を片舷2基ずつ4基を配置した。後部甲板上に後部艦橋に組込まれた単脚式の後檣、6番主砲塔を後ろ向きに1基を配置した。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:14 UTC 版)
本型の船体形状は前型に引き続き艦首のみ乾舷の高い短船首楼型船体である。艦首から続く船首楼は舷側副砲塔の射界を得るために幅は狭い。その船首楼上に主砲の「四一式 30.5cm(45口径)砲」を収めたを連装砲塔に納めた1番主砲塔を1基配置した。司令塔を下部に組み込んだ操舵艦橋を基部として頂部に射撃方位盤を持つ前部三脚檣が立つ。その背後に3本煙突が立ち、舷側甲板上に「20.3cm(45口径)砲」を八角柱型の連装砲塔に収め、中央部構造物を挟んで片舷2基ずつ計4基を配置した。3番煙突の後方に前向きの後部三脚マストの下に後部司令塔が立ち、後部甲板上に2番主砲塔が後向きに1基配置した。他に対水雷用の12cm速射砲を船体中央部に防楯の付いた単装砲架で1基、艦首側に1基、舷側部に舷側ケースメイト配置で4基ずつ、艦尾に1基ずつの片舷7基の計14基を配置した。
※この「艦形について」の解説は、「鞍馬型巡洋戦艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:45 UTC 版)
「ブランデンブルク級戦艦」の記事における「艦形について」の解説
当時のドイツ海軍は港湾防御の装甲艦か外洋航行の困難な海防戦艦しか持てない未熟な海軍であったが、1890年計画艦で初めて「戦時に洋上で敵戦闘艦隊と交戦が可能」と言う前提で設計されたのが本級である。当時のドイツ海軍の仮想敵国はイギリスと海洋国家の雌雄を競っていたフランス海軍で、また、情報も多く入って来る都合上、フランス式の様式で纏められた。計画の出た1890年にはフランス海軍では艦隊装甲艦(諸国の前弩級戦艦に相当)アミラル・ボーダン級が竣工しており、本級の基本デザイン・コンセプトはこの艦を可能な限り模倣する事で始まった。 船体形状はきついタンブル・ホーム型の短船首楼型船体を採用、艦首から新設計の40口径28cm砲を露砲塔形式で連装砲とし1番主砲塔を1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、円柱状のミリタリー・マストと二本煙突を挟み込まれるように建てられた戦闘艦橋の両側は艦載艇置き場となっている。この艦載艇置き場の内部は副砲の10.5cm単装砲の砲郭に充てられており、片舷3門ずつ計6門が装備する。その後部に第一甲板より一段分下げられて中部甲板となっており、そこに上に2番主砲塔として35口径28cm砲を後向きに1基配置した。その後に居住スペースを兼ねたボート・スペースとなっており、運用は前檣・後檣基部に2本ずつ付けられた棒状のボート・クレーンで上げ下しされる。後檣もミリタリー・マスト方式で、その背後の後部甲板上に3番主砲40口径28cm砲が連装砲で1基配置された。
※この「艦形について」の解説は、「ブランデンブルク級戦艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 02:05 UTC 版)
「スウィフトシュア級戦艦」の記事における「艦形について」の解説
本級の基本設計は同年代の前弩級戦艦の艦形を小型化し、砲力・装甲を減じ、代わりに速力を増加した艦として纏められた。 本級の船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、艦首水面下に衝角を持つ艦首から前部甲板上に「アームストロング 1904年型 Mark VI 25.4cm(45口径)砲」を連装式の砲塔に収めて1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ船橋を両側に持つ箱型艦橋の背後に二段の見張り所を持つミリタリー・マストが1本立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、船体中央部にイギリス式設計では珍しいグース・ネック(鴨の首)型クレーンが片舷に1基ずつの計2基で運用される。2番煙突の後部に後部ミリタリー・マストが1本立ち、後部甲板上に後向きの25.4cm連装主砲塔が1基配置された。主砲口径を妥協した代わりとして副砲を強化しており、19.1cm単装砲を7基計14門搭載し、左右の舷側には1番煙突から2番煙突の間に、甲板上に2基、舷側ケースメイト配置で5基配置された。 装甲防御は妥協したものの同じく妥協している砲力とはバランスしており、速度も当時の戦艦としてはかなり優速であり、言わば、前弩級小型高速戦艦、あるいは大型装甲巡洋艦、後の巡洋戦艦の先駆と呼べる性格の艦であった。しかしながら小型の主砲と大型の副砲の組み合わせは、フィッシャー提督が推進する単一巨砲艦とは正反対の性格の艦であり、英国艦隊では継子扱いであった。
※この「艦形について」の解説は、「スウィフトシュア級戦艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:29 UTC 版)
「吾妻 (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は典型的な平甲板型船体であり、同世代に建造された装甲巡洋艦「八雲」と同様の様式であるが、本艦はフランス式設計のために六六艦隊の中でも異彩を放った。 この頃のフランス装甲巡洋艦の常として排水量に比して船体が前後に長く、幅の狭い船型であった。また、缶室を二つに分離し、前後に離して配置したために二番煙突と三番煙突の間が離れていた。そのため、同じ三本煙突の「八雲」とは遠方からでも容易に区別がついた。また、装甲巡洋艦の中では本艦のみ吸気と排気を同時に行う二重構造のフランス式煙突と強制通風装置を採用しており、同世代のイギリス・ドイツ・イタリア軍艦は煙突付近に煙管を立てたような「通風筒」がニョキニョキと林立しているものだが、本艦では数が少ない。これら通風筒は戦闘時に甲板上の火災や砲弾の破片を艦内に引き込んだりするため、日露戦争後の戦訓で本数を減少させたり、通風装置を強化したが、本型は設計段階で考慮に入れられており、非常に先進的な考えで建造された艦といえる。だがこの特徴的な二重煙突は後年、他艦同様の単純な構造の煙突に交換されている。 船体は凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。艦首には未だ衝角(ラム)が付いている。主砲は新設計の「20.3cm(45口径)砲」を楕円筒形の連装砲塔に纏め、1番主砲塔、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、単脚の前檣、三本煙突のうち2番煙突と3番煙突の間隔は広い。その後ろに艦載艇置き場、ボート・クレーンの基部を兼ねる単脚の後檣、2番主砲塔の順である。15.2cm(40口径)単装砲12基、甲板砲廓部4基に舷側に2基の片舷6基が配置。他には水雷艇対策に艦首・艦尾と上甲板に8cm(40口径)単装速射砲が12基、47mm砲が単装12基が前檣と後檣、上甲板に12基配されるのは「八雲」と同じである。 側面からの吾妻 1930年代の吾妻
※この「艦形について」の解説は、「吾妻 (装甲巡洋艦)」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:15 UTC 版)
船体形状は典型的な平甲板型船体であり、凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。艦首には未だ衝角(ラム)が付いている。 主砲は新設計の「20.3cm (40口径) 砲」を楕円筒形の連装砲塔に纏め、1番主砲塔、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、単脚の前檣、等間隔に並んだ二本煙突の両脇に太い通風筒が3本ずつ計6本立つ。その後ろに艦載艇置き場、ボート・クレーンの基部を兼ねる単脚の後檣、2番主砲塔の順である。「1895年型 15.2cm (40口径) 砲」は「八雲」「吾妻」の12基に対して、舷側中央部に1基追加され、片舷7基計14基になった。 他には水雷艇対策に艦首・艦尾と上甲板に「 8cm (40口径) 単装速射砲」が12基、47mm砲は15.2cm副砲が増えた代償に単装8基と減少している。
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艦形について
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「アルミランテ・ラトーレ級戦艦」も参照 船体形状はアイアン・デューク級と同じく短船首楼型船体で、艦首形状はこの頃のイギリス式設計の特徴である艦首浮力を稼ぐために水線下部は前方向にせり出した形状となっていた。傾斜のまったくない艦首甲板に35.6cm連装砲塔を背負い式で2基装備し、2番砲塔基部から上方から見て菱形の上部構造物が始まり、甲板一段分上がって三角柱型の艦橋構造を基部として頂上部と中段に見張り所を持つ三脚式の前檣が建っていた。その背後には間隔の狭い2本煙突が立つ。煙突の周りは艦載艇置き場となっており、煙突の間に設置されたジブ・クレーン1基により運用された。2本の煙突は前後で大きさが異なっており、1番煙突の断面は円形だが2番煙突は前後に長い小判型をしていた。2番煙突の背後から中部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基、その後ろに後部見張り台と単脚式の後檣が立ち、艦尾甲板上に35.6cm連装砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基が配置された。 船体サイズは主砲に35.6cm(英国式、45口径14インチ砲)を採用したため、アイアン・デューク級よりも船体長を約11.4m伸ばし全長は201mとなった。これは、当時のグランド・フリートの戦艦では最長のエジンコート (HMS Agincourts) の204.7mに次いで長かった。また、船首楼甲板は短くなった代わりに後部甲板の面積は広くなった。完成当時のイギリス海軍の超弩級戦艦の中で本艦は最も全長が長く、均等に配置された主砲塔配置と相まって最も強力かつ見栄えのする戦艦と称された。また14インチ連装砲塔5基10門を備えており、日本海軍の扶桑型戦艦や伊勢型戦艦を彷彿とさせる艦型であった。 本艦は1929年(昭和4年)から1931年(昭和6年)にかけてイギリスのデヴォンポート造船所にて近代化改装を受けた。外観面では水雷防御を強化すべく船体の水線部にバルジを追加したために艦幅は31.4mとなり排水量も常備28,662トン・満載32,800トンへと増加した。老朽化した機関もボイラーが重油専焼水管缶へ換装されて推進機関もギヤード・タービンとなったが、煙突の本数は変わらなかった。この時に7.6cm速射砲2基を撤去し、対空火器として「10.2cm(45口径)高角砲」を単装砲架で艦橋の側面と後部マストの側面に片舷1基ずつの4基を追加した。 1932年にカタパルト1基とフェアリー III型水上機1基を搭載した。1938年に「ヴィッカーズ 4cm(39口径)単装ポンポン砲」を単装砲架で2基と「オチキス 13.2mm(76口径)機関銃」を単装砲架で2基を追加した。1944年にカタパルトと水上機を撤去し、13.2mm単装機銃4丁を追加した。1950年代に4cmポンポン砲を全てと13.2mm単装機銃全てと53.3cm水中魚雷発射管4門を撤去し、「エリコン 2cm(70口径)機関砲」を単装砲架で19基を搭載し、SG型対空レーダーを装備した。
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艦形について
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「インディファティガブル級巡洋戦艦」の記事における「艦形について」の解説
船体は前級に引き続き長船首楼型で艦首に軽いシアがつき、本級の凌波性能が高いことをうかがわせる。クリッパー・バウの艦首甲板から前級に引き続き「Mark X型 30.5cm(45口径)砲」を連装式の砲塔に納め、1基を配置する。その背後に操舵艦橋に組み込まれた装甲司令塔の上に三脚式の前部マストが立ち、艦橋後部には1番煙突があり、2番煙突を挟むように左端に2番砲塔と右端に3番砲塔が乗る。艦載艇は3番煙突と後部三脚檣の周囲の上部構造物上部に並べられ、後部構造物の後ろに甲板一段分下がって、後ろ向きに4番主砲塔の順である。 副砲は前級では主砲塔の上に配置されていたが、本級から前部艦橋と後部構造物の壁面にケースメイト式配置で装備された。これは、前級のように主砲塔天蓋部に副砲を配置する従来の方式では主砲発射時は砲員が爆風で吹き飛ばされるためである。よって、副砲を甲板上の上部構造物壁面に埋め込むことにより主砲の爆風対策と外洋航行時に波風に砲員が吹き飛ばされることを対策したものである。しかし、船体の上部に副砲と弾薬庫を配置したためにトップヘビーに悩まされることになった。配置は前部単装6基に後部単装10基の計16基である。
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艦形について
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「クイーン・エリザベス級戦艦」の記事における「艦形について」の解説
本級の船体形状は長船首楼型船体を採用している。水面下に浮力確保の膨らみを持つ艦首から艦首甲板上に「Mark I 38.1cm(42口径)砲」を連装式の主砲塔に収めて背負い式に2基を配置。2番主砲塔の基部から甲板よりも一段高い艦上構造物が始まり、その上に操舵装置を組み込んだ司令塔が立つ。天蓋部に測距儀を乗せた司令塔の背後から、三脚式の前部マストが立つ。構成は頂上部に射撃方位盤室を持ち、中部に三段の見張り所をもっていた。前部マストの後部に1本煙突が立ち、左右舷側甲板上が艦載艇置き場となっており、単脚式の後部マストを基部とするクレーン1本により運用された。後部マストの後方に後部司令塔が立つ。後部甲板上に3番主砲塔の基部で船首楼は終了し、4番主砲塔は後部甲板上に直に配置する後ろ向き背負い式配置であった。 本級の副砲である「Mark XII 15.2cm(45口径)速射砲」は前級同様に舷側ケースメイト(砲郭)配置である。2番主砲塔の側面から舷側に単装で前方3基・舷側3基で6基を配置し、舷側配置と別個に甲板上に防盾付きで片舷1基ずつを配置した。これにより片舷7基の計14基を装備した。この武装配置により前方向に最大で38.1cm砲4門と15.2cm砲6門、後方向に38.1cm砲4門、左右方向に最大で38.1cm砲8門と15.2cm砲7門を向けることが出来たが甲板上の2基は波浪の被害があったために後に撤去されて副砲は12基となった。
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艦形について
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「デカルト級防護巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体で主砲の16cm単装速射砲は船体中央部の2箇所に設けられた張り出し部にケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつ計4基が配置された。水面部が突出した艦首から艦首甲板に副砲の10cm(45口径)単装速射砲が並列配置で2基、司令塔を下部に組み込んだ箱型艦橋を基部にして簡素な単脚式の前部マストが立つ。その背後に2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、片舷2本ずつを1組として片舷3組計6組のボート・ダビットにより運用された。舷側部に10cm速射砲がケースメイト配置で3か所に1基ずつ配置された。後部甲板には簡素な単脚式の後部マストが立ち、その後方に16cm単装速射砲が後ろ向きに並列配置2基である。この武装配置により首尾線方向に最大16cm砲2門、左右方向に最大10cm砲4門、舷側方向で最大16cm砲2門・10cm砲5門が指向出来た。
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艦形について
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本型は近藤基樹博士の設計である扶桑型の船体設計を参考として、経験を積み重ねて成長してきた艦政本部の若き精鋭陣の知恵を結集して設計され、随所に日本的発想と設計を感じ取ることができる物である。 本級の船体形状は前級の長船首楼型船体と打って変わって、艦首側のみ乾舷の高い短船首楼型船体を採用している。これは前級では甲板に直置きだった3番・4番主砲塔が本級では背負い式配置になった事で重心の上昇を抑えるために船首楼甲板が3番主砲塔基部で終了させたためである。このため、船首楼の居住区画の一部を副砲ケースメイトとして配置したために日本海軍戦艦中、居住性スペースは最悪の艦になってしまった。 艦首形状は弱く傾斜したクリッパー・バウでその下は底部まで垂直に切り立っている。傾斜(シア)のまったくない艦首甲板上に35.6cm連装砲塔を背負い式で2基装備し、2番砲塔基部から上方から見て六角形の上部構造物が始まり、甲板一段分上がって司令塔を基部として三角柱上の見張り所が設けられ、それを基部として頂上部に射撃指揮所と中段に操舵艦橋を持つ三脚式の前部マストが建つ。その背後には間隔の狭い2本煙突が立つ。2本の煙突は断面は小判型で共通だが前後で高さが異なっており、1番煙突のみ高かった。2番煙突の背後3番主砲塔が配置し、そこで船首楼甲板は終了し、中甲板上に4番主砲塔が直置きされる形で後ろ向きの背負い式配置で2基となっていた。艦載艇は3番・4番主砲塔砲撃時の爆風による損傷を避けるために2番煙突の左右に爆風避けの壁(ブラスト・スクリーン)を設けてその中に艦載艇置き場とした。艦載艇は前部マスト後方の2脚のそれぞれ1脚を基部とするジブ・クレーンが片舷1基ずつ計2基により運用された。4番主砲塔の後ろに後部司令塔を基部に持つ後部三脚式マストが立ち、艦尾甲板上に35.6cm連装砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基が配置された。これはアメリカ海軍の「ワイオミング級」と同一の配置で、好設計と言えた。こうした外国の設計を取り入れる柔軟さは副砲にも引き継がれた。なお、砲塔前盾も強化され305mmとなった。 本級の副砲である「三年式 14cm(50口径)速射砲」は前級では船体中央部から放射線状に配置したが、本級は船体形状が短い船首楼型船体となったために必然的に艦首側の船首楼に集中配置された。このため、1番主砲塔前方に単独で1基、船首楼舷側部に8基、甲板上に防盾付きで片舷1基ずつを配置した。これにより片舷10基の計20基を装備したが、艦首側の2基は波浪による浸水を招いたために竣工後に撤去されて18基となった。 また、竣工後対空攻撃用に「7.6cm(40口径)高角砲」が採用され、これを単装砲架で艦橋側面部の張り出しに片舷1基と後部三脚檣の左右に片舷1基ずつの計4基を配置した。これに伴って甲板上の14cm砲2基を撤去して副砲は片舷8基ずつの計16基となった。 この武装配置により前方向に最大で35.6cm砲4門と14cm砲2門と7.6cm砲2門、後方向に35.6cm砲4門と14cm砲4門と7.6cm砲2門、左右方向に最大で35.6cm砲12門と14cm砲10門と7.6cm砲2門を向けることが出来た。
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艦形について
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「ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
基本設計は同年代の前弩級戦艦「エマニュエレ・フィリベルト級」の艦形を小型化し、装甲を減じ、代わりに速力を増加した艦として設計士官エドアルド・マスデアの手により纏められた。 船体は前級に引き続き平甲板型船体で、艦首には鋭角な衝角(ラム)が付いている。 船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、水面下に衝角を持つ艦首から前部甲板上に本級の主砲として「アームストロング 1898年型 25.4cm(40口径)砲」を楔型の単装砲塔で1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ船橋を両側に持つ箱型艦橋の背後の2本煙突は機関の缶室分離配置のために前後に離されており、船体中央部に二段の見張り所を持つ主マストが1本立ち、各見張り所には対水雷艇用に4.7cm単装機砲が前後に1基ずつ配置されていた。煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が立てられており、その外側には艦載艇置き場となっており、主マストの基部に付いたクレーン1基により運用された。 後部甲板上には20.3cm連装砲塔が後ろ向きに1基配置。本級の副砲として「アームストロング 1892年型 15.2cm(40口径)速射砲」が防盾の付いた単装砲架で舷側甲板上に背中合わせで片舷2基、舷側ケースメイト配置で5基の計7基配置され、計14基14門搭載された。
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艦形について
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「トレ・クロノール級軽巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
本級の設計はイタリアのアンサルド社の手による物で円筒形艦橋が特徴的であった。船体形状は艦首にクリッパー・バウを持った長船首楼型船体である。バルト海で運用するために殆ど傾斜の無い艦首甲板に15cm三連装砲塔が1基、その後ろの艦橋構造は5層構造の円筒と箱を交互に積み重ねたような形状の鐘楼型艦橋である。機関配置はボイラーとタービンを交互に配置する「シフト配置」を採用していたために、艦橋の後部に簡素な三角マストと後方に強く傾斜した煙突が「前部マスト→1番煙突→後部マスト→2番煙突」の順に立つ。煙突の左右の舷側甲板上にはボフォース4cm連装機関砲が並んだ。2番煙突の後ろに後部射撃方位盤があり、そこから甲板一段分下がって後部甲板上に15cm連装両用砲後ろ向きに背負い式で2基が配置され、2番主砲塔の左右に53.3cm三連装水上魚雷発射管が片舷1基ずつの計2基配置された。 本級は1950年代に近代化改装が行われ、対空火器の増備に伴って艦橋構造を一部開放式の箱型艦橋に改装され、頂上部に測距儀と対空指揮装置が搭載された。
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艦形について
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「ハーラル・ホールファグレ級海防戦艦」の記事における「艦形について」の解説
全長に比べて船体の幅が狭いと言う海防戦艦特有の形状の平甲板型船体で、艦首水面下には当時の主流である衝角(ラム)が付く。主砲は「20.8cm(44口径)砲」を箱形の単装砲塔に収めて1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、円柱状の主脚の上には見張り台の二段のフロア。1本煙突が立つ。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、運用には両舷にボート・ダビッドが付く。後檣は前檣と同じく主脚に二段の見張り台がつき、後部甲板上に後向きに2番主砲塔が配置された。舷側甲板上には12cm単装砲が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ計6基装備された。 主砲は「アームストロング 1896年型 20.8cm(44口径)砲」を採用した。副砲は「12cm(46口径)砲」を採用した。その他に対水雷艇用に12ポンド[7.6cm](40口径)単装砲を最上甲板下部に計6基、近接戦闘用にオチキス社の3.7cm(23口径)五連装ガトリング砲を前後マスト上に2基ずつと片舷1基ずつ計6基搭載した。他に対艦攻撃用に45cm(実際には17.6インチだが18インチ魚雷と呼称した)水中魚雷発射管を単装2基装備した。
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艦形について
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「フリアン級防護巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に16cm(45口径)速射砲が防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋の側面に副武装の10cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で両舷に1基ずつ。マストは設計時はミリタリー・マストであったが安定性改善のために簡素な単脚式のマストとなった 船体中央部には3本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風筒が立っている。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組として片舷3組で計6組のボート・ダビットにより運用された。舷側部には片舷2か所の張り出しが設けられ、そこに16cm速射砲が2基ずつ搭載された。 後部甲板には後部マストと16cm単装速射砲が後ろ向きに1基と10cm速射砲が両舷に1基ずつ配置された。この武装配置により首尾線方向に最大16cm砲3門・10cm砲2門、左右方向に最大16cm砲4門、10cm砲2門が指向出来た。
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「ファン・キンスベルゲン (スループ)」の記事における「艦形について」の解説
船体は艦首乾舷の高い単船首楼型で、クリッパー・バウ式艦首を持つ。艦首甲板から「Mark 6 12cm(50口径)砲」を単装砲架で背負い式に2基、その後ろに近代的な箱型艦橋が立ち、頂部の見張り所の前部に4cm連装機関砲が1基配置され、その後部の測距儀塔の上に付いたT字型のアンテナにより前檣を兼ねる。艦橋の後部で船首楼甲板は終了し、甲板は一段分下がるが、船首楼甲板から同じ高さでフライング・デッキが後部主砲近辺まで伸びており艦上のスペースは広い。黒いファンネルキャップを持つ一本煙突の周りは艦載艇置き場となっており、煙突の間に左右4本ずつボート・ダビッドにより艦載艇は揚収された。煙突の後ろに探照灯台と測距儀塔が配置される。後部甲板上に後ろ向きで4cm連装機関砲が1基、その背後に12cm単装砲が後ろ向きに背負い式に2基配置される。
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艦形について
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「フォルバン級防護巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
本級の船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体でスクーナー形式の帆走用マストを3本供えていた。水面部が突出した艦首から艦首甲板上に帆走用の前部マストが立ち、両脇に船橋の付いた箱型の艦橋の背後に間に中部マストを配置する細身の2本煙突。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、船体中央部の舷側に2本1組のボート・ダビットが片舷3組の計6組により運用された。後部甲板上に後部マストの順である。舷側には箱型の砲郭(ケースメイト)を片舷2箇所を設け、そこに「14cm(30口径)単装砲」を単装砲架で片舷2基の計4基を配置した。
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艦形について
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「リゴー・ド・ジュヌイイー級巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
本級の船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体で「リゴー・ド・ジュヌイイー」はバーク式で「エクレルール」がシップ式で異なる形式の帆走用マストを3本供えていた。水面部が突出した艦首から艦首甲板上に主砲の14cm単装砲が旋回砲架に載せられて1基、船体中央部に防楯の付いた単装砲架で片舷3基ずつ、艦尾側に14cm単装砲が旋回砲架に載せられて1基の計8基である。1番マストと2番マストの間に箱型の艦橋が設けられ、その上は船橋が設けられて露天の操舵艦橋となっている。船体中央部の1本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、船体中央部の舷側に2本1組のボート・ダビットが片舷2組の計4組により運用された。後部甲板上に3番マストの順である。
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艦形について
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「アドヴェンチャー (敷設巡洋艦)」の記事における「艦形について」の解説
本級の船体形状は同時期の軽巡洋艦と同じく典型的な平甲板型船体で、乾舷は高いが全く傾斜の無い艦首甲板上に12cm(40口径)速射砲を防楯の付いた単装砲架で1基、その背後から上部構造物が始まり、その上の波切り板の背後に4cmポンポン砲が並列で2基、上部に測距儀を載せた箱型の操舵艦橋と簡素な三脚型の前部マストが立つ。船体中央部には後方に傾斜した2本煙突が立つが後のカウンティ級重巡洋艦のように2番煙突のみ太く、その後部には前述のディーゼル機関の排気筒が密接して立てられた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷に3組ずつ計6組で運用された。船体後部には簡素な単脚の後部マスト1本と4cmポンポン砲が並列で2基配置し、その後方に2番・3番主砲が直列に配置した所で上部構造物は終了し、後部甲板上に4番主砲が1基配置された。 機雷は艦橋と後部マストの両脇に1基ずつ計4基設けられたクレーンにより積み込まれ、船体内部に大型機雷280発か小型機雷340発が搭載でき、片舷1条ずつ計2条のレールに乗せられてトランサム型艦尾の2つの扉から投下される設計であったが竣工後に機雷敷設に不適当であることが判明し、1932年に巡洋艦型の丸い艦尾に改正されてレールは片舷2条ずつの計4条となり、扉は倍の4枚となった。
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艦形について
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「ジャンヌ・ダルク (軽巡洋艦)」の記事における「艦形について」の解説
船体型式は「デュゲイ・トルーアン級軽巡洋艦」と同じく船首楼型である。軽くシア(傾斜)の付いた艦首甲板から「1920年型15.5cm(55口径)砲」を連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、箱型艦橋を基部に持つ軽量な三脚檣、シフト機関配置のため間隔の空いた二本煙突の中間点に艦載艇の揚収クレーンがあり、周りは艦載艇置き場となっていた。 2番煙突の背後には水上機2基が置かれ、簡便な単脚後檣の基部に2対のジブ・クレーンにより艦載機は水面に下ろされて運用された。後檣の背後に主砲塔二基を後ろ向きで背負い式に配置した。舷側には上下二列に丸い舷窓が並ぶが、これは酷暑の植民地で乗員が熱射病にやられないように通風を考えてのことである。 左右の舷側甲板には「1922年型 7.5cm(60口径)高角砲」を単装砲型式で左右2基ずつ計4基装備する。また、雷装としてプロムナード・デッキ下層の舷側に55cm単装水上魚雷発射管を片舷2基ずつの計2基2門を配置した。
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艦形について
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前級の「サウスカロライナ級」は長船首楼型船体であったが、本級の船体形状は武装増加に伴う関係の肥大化を防ぐべく、艦形を小型化するための工夫として艦首の乾舷のみ高い短船首楼型船体となった。 艦水面下に浮力確保用の膨らみを持つ艦首から艦首甲板上に「Mark 6 30.5cm(45口径)カノン砲」を連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、2番主砲塔の基部から甲板よりも一段高い艦上構造物が始まり、その上に操舵装置を組み込んだ司令塔が立つ。司令塔の背後からこの当時のアメリカ海軍の大型艦の特色である籠状の前部マストが立ち、司令塔と前部マストを基部として断面図が三角形状の船橋が設けられていた。船橋の中央部に航海艦橋、前部マストの頂上部には露天の見張り所を持つ。前部マストの後部に1番煙突が立ち、そこから甲板一段分下がった左右舷側甲板上が艦載艇置き場となっており、艦載艇置き場の後方に左右に1基ずつ立つ探照灯台を基部とするクレーンにより運用された。1番煙突の後方に籠状の後部マストが立ち、頂上部に露天の見張り台が置かれた。その後方に2番煙突と後部見張所が立つ。 後部甲板上には3番主砲塔が後ろ向きに高所に配置され、その下に4番主砲塔と5番主砲塔が背中合わせに1基ずつ配置されていた。本級の舷側部には「12.7cm(51口径)速射砲」が重心低下を狙って1番主砲塔の側面部に独立して1基が配置されたが、この位置は波浪の影響を受けやすかったので竣工後に2番主砲塔の側面に移設された。他に船体中央部にケースメイト(砲郭)配置で放射状に単装で5基、艦尾に1基ずつの片舷7基ずつ計14基を配置していた。
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艦形について
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「デュゲイ・トルーアン級軽巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
船体型式は前述の通り船首楼型で、水面から甲板までの乾舷は高く、本級の凌波性能は良好であった。クリッパー型艦首から甲板は軽く傾斜(シア)が付いた艦首甲板上に本級より新設計の「1920年型 15.5cm(50口径)速射砲」を連装砲塔に収め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、測距儀を載せた艦橋を組み込んだ軽量な三脚型の前部マストが立ち、そこから甲板一段武下がった中央部に2本煙突が立つ。2本煙突の側面にはの舷側甲板には「1922年型 7.5cm(60口径)高角砲」を単装砲型式で左右2基ずつ計4基装備する。また、雷装として53.3cm三連装水上魚雷発射管を片舷2基ずつの計4基12門と強雷装を持った。その後方は艦載艇置き場となっており、艦載艇は中央部に揚収クレーンにより運用された。後部甲板上に簡素な単脚式の後部マストの背後に後ろ向きに3・4番主砲塔を背負い式で2基配置し、末端に水上機射出用カタパルトが載る。舷側には上下二列に丸い舷窓が並ぶが、これは酷暑の植民地で乗員が熱射病にやられないように通風を考えてのことである。
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艦形について
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「カティナ級防護巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体で主砲の16cm単装速射砲は船体中央部の2箇所に設けられた張り出し部にケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつ計4基が配置された。水面部が突出した艦首から艦首甲板に副砲の10cm(45口径)単装速射砲が並列配置で2基、司令塔を下部に組み込んだ箱型艦橋を基部にして簡素な単脚式の前部マストが立つ。その背後に2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、片舷2本ずつを1組として片舷3組計6組のボート・ダビットにより運用された。舷側部に10cm速射砲がケースメイト配置で5か所に1基ずつ配置された計10基。後部甲板には簡素な単脚式の後部マストが立ち、その後方に16cm単装速射砲が後ろ向きに並列配置2基である。この武装配置により首尾線方向に最大16cm砲2門、左右方向に最大10cm砲4門、舷側方向で最大16cm砲2門・10cm砲5門が指向出来た。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 16:23 UTC 版)
本級は未だ将来のデザインの固まっていなかった戦艦と違い、本級は海防戦艦としての要求性能が定まっていたため、コンセプトを決める事が出来たので戦艦より纏まった艦となった。乾舷の低い平甲板型船体の艦首甲板上に蒸気動力のクレーンが片舷1基ずつ計2基が搭載され、錨の操作や巨大な42cm砲弾を積むために使用された。その後ろに新設計の「Model 1875 42cm(22口径)後装填砲」を収める露砲塔が単装で1基が配置された。なお、「テリブル」のみ主砲公試中に砲口に亀裂が入ったために砲身を切断して長さを詰めたために口径は19.3口径となった。このため、1898年に「テリブル」のみ主砲を「Model 1893 34cm(35口径)砲」に更新、ついでに副砲も「Model 1893 10cm砲」に更新された。その後ろに頂上部に2段の見張り所を持つ前部三脚檣が前向きに1基が立てられ、その背後に箱型の司令塔の上に露天式の操舵艦橋が設けられた。「テリブル」のみ煙突は4本煙突であるが、煙突を2本ずつ直列に纏め、それを並列に2基配置する独特な煙突配置を採用しており、「アンドンタブル」と「ルカン」は小判型の煙突を2本並列に配置していた。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、煙突後部の舷側部に2本1組のボート・ダビッドが片舷1組ずつの計2組により運用された。舷側甲板上の四隅に副砲の「10cm(26口径)単装砲」が単装砲架で片舷2基ずつ計4基が配置された。後部見張り所を基部とする前向きの後部三脚檣の背後に2番42cm砲塔が後向きに1基を配置した。 なお、ルカンのみ1895年から1896年にかけて試験的に新技術を用いて近代化改装が施された。露砲塔だった42cm主砲2基は「Model 1896 27cm(45口径)単装砲」を収めた円筒型の主砲塔に換装、露天式であった艦橋も新たに司令塔を組み込んだ屋根付きの操舵艦橋が新設された。独特な4本煙突は主機関をニクローズ式石炭専焼水管缶12基と直立型三段膨張式レシプロ機関2基2軸に換装した時に、直列に並べられた2本煙突となった。前後の三脚檣も前部は頂上部に見張り所を、中部に探照灯台と持つ単脚檣に更新され、後部には簡素な単脚式マストが立てられた。なお、魚雷発射管は全て撤去された。 「ルカン」以外の3隻は1910年までに除籍されたが、近代化改装を受けて新造艦並となった「ルカン」のみ砲術学校付属の練習艦となり、まもなく始まった第一次世界大戦ではフランス海軍最古の戦艦として地中海艦隊で船団護衛に使用され、1917年には日英同盟に基づき連合軍に参加した日本海軍の第二特務艦隊の「日進」と一緒になった。「ルカン」は大戦後の1920年に除籍、解体処分となった。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 09:25 UTC 版)
船体形状は長船首楼型船体を採用しており、大西洋での作戦時での凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付いている。主砲は「1893-1896年型 30.5cm(40口径)砲」を楕円筒形の連装砲塔に収めて1基を配置、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、単脚式の前部ミリタリー・マスト、船体中央部の3本煙突はこの頃のフランス海軍の特徴である缶室分離配置により2番煙突と3番煙突の間が大きく離されており、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2番煙突付近の片舷1基ずつのクレーンにより運用された。左右甲板上には16.4cm速射砲を椀を伏せたような形状の連装砲塔に収め片舷3基ずつ計6基と、単装砲架で前部主砲塔の側面部に1基と船体中央部に2基で計6基を搭載していた。3番煙突の後部に見張り所を基部にした簡素な単脚式の後檣が立ち、その後ろは甲板一段分下がって後ろ向きに2番主砲塔が1基配置された。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 02:34 UTC 版)
本級の船体形状は、前級とは異なり凌波性を考慮した船首楼型とした。船首楼後端に艦橋と簡素な単脚式の前部マストが設けられた。 船体中央部に1本煙突が立つが、煙突の周りは艦載艇置き場となっており、上部構造物後部の舷側の2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基により運用された。 煙突の後方の後部見張り台を基部として単脚式の後部マストが立ち、船体後部の居住区の上に主武装が配置された。設計時は1892年型 10cm単装速射砲1基もしくは9cm連装高角砲1基が配置された。後に自由フランス軍時代にはイギリス海軍の10.2cm(45口径)連装高角砲が搭載された艦もあった。艦尾甲板上には掃海具が設置された。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 14:21 UTC 版)
船体形状は前型に引き続き平甲板型船体を採用しており、大西洋での作戦時での凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付いている。主砲は「1893-1896年型 30.5cm(40口径)砲」を楕円筒形の連装砲塔に収めて1基を配置、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、単脚式の前部ミリタリー・マスト、船体中央部の2本煙突は前よりに配置されており、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、船体中央部に片舷2基ずつのクレーンにより運用された。副砲の16.4cm速射砲は単装砲架で船体中央部に等間隔に片舷4基で計8基を搭載していた。後部甲板上に後部ミリタリー・マストが立ち、その後に2番主砲塔が後ろ向きに1基配置された。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 14:02 UTC 版)
「シュフラン (戦艦)」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は前型に引き続き平甲板型船体を採用しており、大西洋での作戦時での凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付いている。主砲は「1893-1896年型 30.5cm(40口径)砲」を楕円筒形の連装砲塔に収めて1基を配置、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、単脚式の前部ミリタリー・マスト、船体中央部の2本煙突は前よりに配置されており、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、船体中オブに片舷2基ずつのクレーンにより運用された。左右甲板上には16.4cm速射砲を椀を伏せたような形状の単装砲塔に収め3基ずつ計6基と、単装砲架で船体中央部に2基で計5基を搭載していた。後部甲板上に後部ミリタリー・マストが立ち、その後に2番主砲塔が後ろ向きに1基配置された。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/16 14:07 UTC 版)
本級の船体は平甲板型船体で外洋での凌波性の良好なクリッパー・バウ式艦首を持っていた。乾舷の低い艦首甲板上に丸みを帯びた上部構造物設けられており、前部に単装機銃を配置した。その後ろに両脇に船橋をもつ塔型の艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立ち、艦橋基部で上部構造物が終了。 船体中央部に1本煙突が立つが、煙突の周りは艦載艇置き場となっており、上部構造物後部の舷側の2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基により運用された。 煙突の後方の後部見張り台を基部として単脚式の後部マストが立ち、船体後部の居住区の上に主武装が配置された。設計時は1925年型 10cm(45口径)連装砲を1基の設定であったが、艦によって1892年型 10cm単装速射砲1基もしくは9cm連装高角砲1基など異なる武装が搭載された。後に自由フランス軍時代にはイギリス海軍の10.2cm(45口径)連装高角砲が搭載された艦もあった。艦尾甲板上には掃海具が設置された。
※この「艦形について」の解説は、「エラン級通報艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/15 07:31 UTC 版)
「アルジェ級防護巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に14cm(30口径)単装速射砲が1基、基部に司令塔と艦橋を持つ三段の見張り所を持つミリタリーマストが1本立つ。本艦のミリタリーマストは中央部見張り台に4.7cm機関砲が前後左右に1基ずつ計4基。その背後に2本の煙突の間にはキセル型の通風筒が立っている。2本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、片舷2本ずつを1組として計3組のボート・ダビットにより運用された。後部甲板には後部ミリタリー・マストと14cm単装速射砲が後ろ向きに1基である。 主砲の16cm単装速射砲は船体中央部の2箇所に設けられた張り出し部にケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつ計4基4問が配置された。この武装配置により首尾線方向に最大16cm砲2門・14cm砲1門、左右方向に最大16cm砲2門、14cm砲2門が指向出来た。
※この「艦形について」の解説は、「アルジェ級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/15 16:33 UTC 版)
艦形状は典型的な長船首楼型船体で、艦首形状はクリッパー・バウを採用している。本来の設計での上部構造物の配置は、艦首から順に連装主砲塔を背負い式に2基、その後方に箱型の艦橋、煙突、航空甲板、後部測距儀、後ろ向きに連装主砲塔1基となっている。煙突の後方の航空甲板には門型のデリックポストが立っており、水上機の吊り降ろし用のデリックが設置されている。水上機射出用のカタパルトは装備されていない。
※この「艦形について」の解説は、「トロンプ級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/03 11:02 UTC 版)
「プレシデンテ・エラースリス級防護巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本級の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板上に12cm単装速射砲が1基、二段の見張り所を持つミリタリーマストが1本立つ。マストの後部には司令塔を基部に持つ艦橋が配置され、両脇に船橋(ブリッジ)が設けられた。その背後に1本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、片舷2本ずつを1組として片舷2組ずつ計4組のボート・ダビットにより運用された。主砲の15cm単装速射砲は船体中央部の2箇所に設けられた張り出し部にケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつ計4基4問が配置された。後部甲板には後部ミリタリー・マストと12cm単装速射砲が後ろ向きに1基である。この武装配置により首尾線方向に最大15cm砲2門・12cm砲1門、左右方向に最大15cm砲2門、12cm砲2門が指向出来た。
※この「艦形について」の解説は、「プレシデンテ・エラースリス級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 04:33 UTC 版)
「ジョッフル級航空母艦」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は戦艦の船体を流用した前級とは違い、フランス近代巡洋艦の様なスマートな船体形状になっている。船体構造は水面から乾舷までの高さがある中央楼型船体である。そしてシアの付いた艦首甲板から航空機格納庫がせりあがり、格納庫右舷部の前後に航空機積み込み用のクレーンが立ち、その上に飛行甲板へと続く。 飛行甲板右舷部には艦橋構造と一体化したファンネル付き直立煙突が一本あり、前後を挟むように「1932年型13cm(45口径)両用砲)」を連装砲塔で背負い式で2基ずつの計4基配置される。上部構造物と両用砲塔の間に「1933年型37 mm(50口径)機関砲」を連装砲架で前に2基、後部主砲塔の前に2基ずつの計4基配置される。飛行甲板は右舷に寄せられた上部構造物のため約5mほど左舷に向けてずらされ、左舷から5.1mほど張り出される。飛行甲板上にはイギリス航空母艦のようなT字型のエレベーターが前後に1基ずつの計2基が配置された。飛行甲板後端部には水上機運用のための大型のクレーンが付き、海面から水上機を艦尾の昇降機に載せて飛行甲板まで上げられた。 特徴として左舷側に航空甲板が張り出しており、飛行甲板全体が中心線上よりずれた配置となっている。この形状は艦橋構造物によって甲板幅を狭められずに使用できる。
※この「艦形について」の解説は、「ジョッフル級航空母艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 16:44 UTC 版)
「アミラル・シャルネ級装甲巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に19.4cm単装主砲塔が1基、下部に司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリー・マストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。本級のミリタリーマストは3段の装甲化された見張り所があり、中段に4.7cm機関砲が計4基配置され、前後合わせて計8基である。前部マストの後部には2本煙突若干離れて並び、間にはキセル型の通風筒が片舷3本ずつ計6本立っている。2番煙突から単脚式の後部マストまでは艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビットが片舷2組の計4組により運用された。後部甲板には19.4cm単装主砲塔が後ろ向きに1基である。船体の舷側部には前級と同じく副砲が砲塔に収められ、13.8cm単装副砲塔を前後ミリタリー・マストの側面と2番煙突の左右で片舷3基ずつ計6基を配置した。
※この「艦形について」の解説は、「アミラル・シャルネ級装甲巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 18:07 UTC 版)
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に16cm(45口径)単装速射砲が1基、司令塔を下部に組み込んだ箱型艦橋を基部にして簡素な単脚式の前檣が立つ。その背後の等間隔に並んだ3本の煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、片舷2本ずつを1組として片舷3組計6組のボート・ダビットにより運用された。後部甲板には簡素な単脚式の後檣と16cm単装速射砲が後ろ向きに1基である。主砲の16cm単装速射砲は船体中央部の2箇所に設けられた張り出し部にケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつ計4基4で計6基が配置された。この武装配置により首尾線方向に最大16cm砲3門、左右方向に最大16cm砲4門、14cm砲2門が指向出来た。
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艦形について
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「ポテュオ (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ上甲板よりも水線部装甲の部分が突出する特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のため、船体の重心を下げる効果を狙ったものである。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に19.4cm単装主砲塔が1基、下部に司令塔を組み込んだ艦橋から簡素なミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。本艦のミリタリーマストは頂部には二層式の見張り台があり、下段に4.7cm速射砲が前後左右に1基ずつ計4基、上部には3.7cm回転式機関砲が前後左右に1基ずつ計4基である。マストの後部には3本の煙突が等間隔に並び、間にはキセル型の通風筒が片舷2本ずつ計4本立っている。3番煙突から単脚式のマストまでは艦載艇置き場となっており、片舷2本ずつのボート・ダビットにより運用された。後部甲板には19.4cm単装主砲塔が後ろ向きに1基である。また、煙突の側面には副砲として13.8cm単装速射砲をケースメイト(砲郭)配置で片舷5基ずつ計10基を配置した。
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艦形について
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「デ・ロイテル (軽巡洋艦・初代)」の記事における「艦形について」の解説
デ・ロイテルの船体は、長船首楼型船体で排水量に比して乾舷の高い船体は良好な凌波性を持っていた。船体デザインは設計にドイツ(ヴァイマル共和政)のクルップ・ゲルマニア社が携わっているために、同世代の共和国海軍 (Reichsmarine) ドイッチュラント級装甲艦(通称“ポケット戦艦”)に似ている。特に艦橋構造の両脇に船橋を持つ艦橋デザインは装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペー (Die Admiral Graf Spee) に類似性が見られる近代的なフォルムを持っている。また、装甲板を船体の構造材の一部として設計し、材料には溶接に適した鋼材や軽合金が使用された。 垂直に切り立ったクリッパー型艦首には錨が左舷に2つ・右舷に1つが配置され、使用しない時はフランス海軍のクールベ級戦艦の様に、艦首に錨が埋め込まれる巧妙な細工となっていた。艦首甲板上に「ボフォース 1938年型 15cm(50口径)速射砲」を収めた箱型の連装式主砲塔が1基、その背後から上部構造物が始まり、その上に防楯の付いた15cm速射砲を単装砲架で1基が配置されて背負い式配置となっていた。 塔型艦橋は基部に船体幅一杯までの船橋(ブリッジ)を持つ前後に細長い形状で、艦橋の構成は丸窓が並ぶ操舵艦橋・戦闘艦橋・見張り所の上には6m測距儀塔の順である。艦橋には探照灯台が艦橋側面に片舷1基ずつ、前部に1基の計3基配置されていた。 艦橋の背後に大型の1本煙突が立てられた。煤煙の逆流を防ぐために竣工時には開口部に板を立てたが効果はなく、後に黒いファンネルキャップを装着した。デ・ロイテルは同時期のドイッチュラント級装甲艦と同様に後部マストを持たない設計であったために、アンテナ線展開のために煙突後部にT字型のヤードを設置して代用とした。 艦橋と煙突の間は艦載艇置き場とされ、煙突の後方にはハインケル(Heinkel)K8型旋回式カタパルトを中心線上に1基を配置し、その後ろにフォッカー(Fokker)C 11水上機2機が露天で置かれた。艦載艇と水上機の運用のために煙突の基部に付いた「くの字」型のクレーンが片舷1基ずつ計2基が設置された。 上部構造物の末端部に位置する4m対空測距儀を載せた後部見張所は上から見て底辺を前方に向けた五角形状となっており、そこに対空火器としてボフォース 4cm(56口径)機関砲を連装砲架で5基を集中配置された。その下の船首楼の末端部に3番主砲塔1基と、一段下がった後部甲板上に4番主砲塔が後向きの背負い式配置で計2基配置された。
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艦形について
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「モンマス級装甲巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
艦橋構造の簡略化は本級において更に進化され、戦闘艦としての性格が色濃くなったクラスである。船体は長船首楼型である。艦首から新設計の「1901年型 Mark Ⅷ 15.2cm(45口径)砲」を英国装甲巡洋艦として初めて連装砲塔に収めた、これを1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋に組込まれた単棒檣、その背後にこれまた初の三本煙突と後檣の間は艦載艇スペースとなり、後檣基部に設置されたジブ・クレーンにより甲板から海上に艦載艇を下ろす。艦尾甲板から単脚式の後檣を組込んだ後部艦橋から一段下がって、後部連装主砲塔を後ろ向きに1基配置した。なお、本級にはスタン・ウォークは設置されていない。
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艦形について
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「プリンシペ・アルフォンソ級軽巡洋艦」の記事における「艦形について」の解説
船体形状は、艦首乾舷を高めた船首楼型船体である。船体長を長くとり、船体の幅を抑え水の抵抗を少なくし、少ない機関出力でも高速を出しやすい形状とした。また、乾舷が高いということは外洋航行時の凌波性にも良好な性質が出るので巡洋艦には最適な艦形であった。艦首甲板上に15.2cm単装砲を1基と、甲板1段分上がった高所に15.2cm連装砲を1基の背負い式配置とした。重心が上昇するのを覚悟して重量のある連装砲架を上部構造物に配置したのは、少しでも波飛沫の影響の受けにくい箇所に有力な門数を確保する工夫であった。その後部に頂上部に測距儀を配置する近代的な箱型艦橋が設けられ、艦橋後部に2本煙突が後方にやや傾斜して立っており、間には探照灯台が設けられている。船体中央部の高所に15.2cm連装砲架が後ろ向きに1基配置し、その後部に後部艦橋と簡素な三脚式の後部マストが立ち並び、後部甲板上に15.2cm連装砲架と15.2cm単装砲架が背負い式配置で1基ずつ配置された。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 18:19 UTC 版)
本級は艦橋前部に主砲塔を集中配置したという点で、イギリスの「ネルソン級」を模倣したとされる。ただしフランスとしては、自国の未成艦のノルマンディー級戦艦やリヨン級戦艦を元にした独自の工夫である。実際、ネルソン級の前部集中配置は、艦橋への影響が甚大で三番砲塔を後方に発砲できないという問題を引き起こしたが、本級ではそのような問題は起きていない。 船体形状は中央楼型船体でクリッパー型艦首の乾舷は高く、外洋での凌波性能は良好であった。軽くシア(甲板の傾斜)の付いた艦首甲板から本級より新設計の「1931年型 33 cm(52口径)砲」を「四連装砲塔」に納め、1・2番四連装主砲塔を砲塔同士の間隔をあけて背負い式に2基配置した。2番主砲塔の基部から1段高くなって上部構造物が始まり、その上に司令塔を組み込んだ操舵艦橋の背後には二段の戦闘艦橋が上に伸び、戦闘艦橋の中段の四隅は探照灯台となっており4基が配置され、側面部には対空射撃管制装置が片舷2基ずつ計4基配置された。戦闘艦橋の上の頂部には、10.5 m主砲用測距儀が1基、その上に6 m副砲用測距儀が2基載る。これらは独立して別方向に旋回できる。 以下、射撃管制に関係する機器などについて述べる。 射撃指揮装置の配置はダンケルクが司令塔上に、ストラスブールは主砲測距儀の前方に配置された。 測距儀を囲むように台形の見張り台があり、四隅には四対の信号ヤードが伸びている。戦闘艦橋の前側と側面部の壁面には黒い円形の「レンジ・クロック」と呼ばれる装置が装着されている。これは測距儀で敵艦を捕捉した時に射撃方位盤から割り出される敵艦の「進行方位」と「射距離」を艦内の砲塔要員に知らせる艦内レンジ・クロックに同期し、艦隊を組んで砲撃戦を行う際に僚艦に「進行方位」と「射距離」を長針と短針の向きで知らせる艦外レンジクロックである。 艦橋周辺の上部甲板は主砲からの爆風を比較的受けにくいために艦載艇置き場となっており、塔型艦橋の基部に片舷1基ずつ付いたデリックにより運用された。水面上の艦載艇は艦橋の側面まで吊り上げられ、左右の甲板上に斜めに延びたレールに載せられて舷側甲板上に並べられるか、艦橋と煙突の間の艦載艇置き場に並べられた。 本級の煙突はファンネルキャップのついた直立型で、その背後から後檣までが甲板一段分高められている。後檣は一見、艦橋同様に三段の測距儀を載せているように見えるが、下段の2基は主砲・副砲共用の6 m測距儀だが最上部は円形の装甲司令塔で旋回はしない。司令塔の上にシンプルな十字型のマストが後檣として立つ。 副砲は「1932年型 13 cm(45口径)両用砲」を採用した。舷側甲板上のものは連装砲塔形式で、後部甲板上のものは後檣背後と真横には四連装砲塔形式で後向きに1基ずつとなっていた。舷側部と後部甲板部で砲塔の形式が違うのは、舷側砲も四連装砲塔にすると大型になり、狭いボート甲板をスペース的に圧迫するほか、主砲の斉射時に強力な四連装砲の衝撃波を受けて破損する恐れがあったために小型化したのである。 後部副砲塔から艦尾部にかけては水上機を運用するスペースとなっており、大型の格納庫と回転式カタパルトが一直線に並び、揚収用クレーンは左舷側の甲板上に1基が設置され、砲戦時に副砲の射界を狭めないように折り畳み式となっていた。(これらの施設は副砲射撃時の射界を制限する為に本級の発展型のリシュリュー級では改善された)
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 16:50 UTC 版)
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出するといった特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっており、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に10cm(45口径)単装速射砲が1基、簡素なミリタリーマストが1本立つ。本艦のミリタリーマストは中央部に見張り台があり、そこに4.7cm機関砲が前後左右に1基ずつ計4基と、上部には3.7cm回転式機関砲が前後左右に1基ずつ計4基である。マストの後部には司令塔を基部に持つ艦橋が配置される。その背後に2本の煙突の間にはキセル型の通風筒が1本立っている。2本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、片舷2本ずつを1組として計2組のボート・ダビットにより運用された。後部甲板には後部ミリタリー・マストと10cm単装速射砲が後ろ向きに1基である。 主砲の14cm単装速射砲は船体中央部の2箇所に設けられた張り出し部にケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつ計4基4問が配置された。この武装配置により首尾線方向に最大14cm砲2門・10cm砲1門、左右方向に最大14cm砲2門、10cm砲2門が指向出来た。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 13:59 UTC 版)
本級の船体は平甲板型船体であった。艦首が切り立った艦首形状で乾舷の高い艦首甲板上に「10cm(45口径)速射砲」を防楯の付いた単装砲架で1基、左右を7.6cm単装高角砲が片舷1基ずつ計2基配置された。上部構造物の前部マストと両脇に船橋をもつ箱型の艦橋が上に立つ。 船体中央部に1本煙煙突が立ち、煙突の後部は艦載艇置き場となっており、船体後部の舷側の2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基により運用された。左右の舷側甲板上に片舷1基ずつ10cm速射砲が1基ずつ配置された。後部居住区を基部として単脚式の後部マスが立ち、その背後に2番主砲が後ろ向きに1基装備された。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 13:55 UTC 版)
「ディリジャント級通報艦」の記事における「艦形について」の解説
本級の船体は乾舷の高い平甲板型船体であった。クリッパー型の艦首形状で艦首甲板上に「10cm(45口径)速射砲」を単装砲架で1基、その後ろに両脇に船橋をもつ箱型の艦橋が設けられ、艦橋の直前に立てられた前部マストが艦橋の視界を妨げないように中心線上から若干右側に寄せられていた。艦橋の背後は艦載艇置き場となっており、船体舷側の2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基により運用された。本級の機関はディーゼル機関のために高い煙突を必要とせず、細身の排気筒が艦橋の背後に1本と後部居住区の前部に並列配置で2本が立つ。後部甲板上には2番主砲が後ろ向きに1基装備された。
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艦形について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 13:59 UTC 版)
本級の船体は商船型船体で船体中央部の上部構造物の前側に艦橋が配置され両脇に船橋(ブリッジ)を持っており、船体中央部に1本煙突が立っていた。 あった。艦首と艦尾に6.5cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1基ずつ計2基、10cm側りゃほうを前後の甲板上に防盾の付いた単装砲架で2基ずつ計4基を配置した。
※この「艦形について」の解説は、「エーレット級通報艦」の解説の一部です。
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