船体サイズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 01:02 UTC 版)
列強の新戦艦は無条約時代(或いはエスカレータ条項による排水量制限の緩和)という設計上の自由が存在した一方、ドック、港湾、運河などの制約条件から、その寸法が制約されていた。これと同様に、軍縮条約等の制限に縛られていない(或いは無視した)ドイツにも寸法上の制約があった。制約となったのはキール運河であり、新戦艦は同運河を通過出来る事が条件とされ、本級の幅と喫水、そして全長はこれにより決定された。同運河は1914年に完成した拡張工事により、底部幅44m、水面幅102m、水深11mとなっていた。なお、当時のドイツは溶接先進国であり、民間船ばかりでなく、ポケット戦艦以来その採用には著しいものがあった。本級の建造に当たっても船体材にそれまで使用されてきたST鋼ではなく、ST52鋼が採用され、90%が溶接構造とされている。日本海軍が溶接技術向上を目的に1936年に西島亮二を派遣した際にも、ドイツ側は工場見学を禁止しており、同鋼を代表とする溶接関連技術は重要技術だった。二重底は全長の83%に及んだ。また、全体の50%にはKC鋼(Cr,Ni,Mo配合)が使用された。 下記のように、ドイツ海軍は当初は38cm砲の搭載を考えていたわけではなかった。しかし、より大きな主砲を選定したことは船体サイズにも影響し、最終的に基準排水量は41,700トンにまで膨れ上がった。しかし、諸外国には依然として35,000トン戦艦として押し通した。 操艦特性については艦幅が大きいにもかかわらず、良好であった。船体側面の装甲が沈降効果を発揮してローリング軸を移動させたこともあり、ローリング、ピッチングは少なかった。ただし、砲塔の漏水が問題となり、艦首よりのA砲塔は測距儀を撤去した。
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