艦形と武装
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「ヴァシリッサ・オルガ (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は装甲艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に3本のマストと中央部に帆走時には伸縮する1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。水線面と砲郭部には厚さ152mm装甲を、機関区と弾薬庫を守るボックス・シタデルには120mmの装甲板を舷側に貼っており、舷側の砲郭部にイギリスのアームストロング社製「22.9cm(13.9口径)アームストロング砲」を単装砲架で2基を、他に68ポンド(20.6cm)カノン砲を単装砲架で10基を装備していた。1880年代に備砲を「アームストロング 1863年型 17cm(25口径)単装砲」4基と「アームストロング 1868年型 17cm(20口径)単装砲」2基へと更新し、近接戦闘用にオチキス社の3.7cm5連装回転式機砲(ガトリング砲)4基を甲板上に設置した。
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艦形と武装
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「カローラ級コルベット」の記事における「艦形と武装」の解説
右舷から撮られた竣工時の「オルガ」 右舷から撮られた改装後の「オルガ」 船体の基本形状は鉄と鋼骨混合の船体にシップ式マスト3本と中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な蒸気船の形態で、艦橋は2番煙突の後方にあった。生存性確保のために船体は9つの水密区画に分かれ、機関区の底は二重底となっていた。修理ドックの少ない海外で使用するために水面下には腐食や汚れの付きにくい亜鉛板が貼られた。主砲の15cm(22口径)単装砲を舷側の砲門部に片舷5基ずつ計10基を配置された。 「オルガ」のみサモアで横転座礁した損傷を復帰する際に士官候補生の練習艦に改装され、帆走設備を全廃し、前後のマストは頂上部に射撃観測所を持つ単脚式の物に更新された。備砲は8.8cm(30口径)速射砲2基と3.7cm回転式機砲10基のみで機関・武装の練習に用いられた。
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艦形と武装
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「デュゲイ・トルーアン (巡洋艦・初代)」の記事における「艦形と武装」の解説
本艦は一等巡洋艦「デュケーヌ」の縮小版として、海外派遣任務や通商破壊作戦に使えるよう建造された二等巡洋艦である。現場からの改善要求を盛り込み、一等巡洋艦並みの武装を搭載したため二等巡洋艦「サネ級」の常備排水量が2,000トン台であったのに比べ、本艦は常備排水量が3,500トン弱にまで大型化した。 船体の基本形状は艦首水面下に衝角をもつ船体に3本のマストと中央部に2本煙突を持つ当時の一般的な蒸気船の形態である。 本艦の外観の特徴として艦首船首楼の内部に艦首砲として19cm単装砲を1基を配置、舷側に片舷二箇所に張り出しを設け、そこにバーベット上に19cm単装砲を配置している。なお、5基の14cm単装砲は1基が艦尾に配置され、残りは舷側甲板上に片舷2基ずつで計5基が配置された。
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艦形と武装
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「アミラル・ペルスヴァル (通報艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
本級の船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる船体形状であった。 船体の基本形状は水面下に衝角をもつ平甲板型船体に3本のマストを持ち、1番・2番マストの間に1本煙突を持っていた。艦首から1番マスト、船橋を持つ箱型の操舵艦橋の背後、1本煙突に2番マストと3番マストの順である。甲板上に主砲の16cm単装砲を1基、14cm単装砲2基を配置した。水面下は腐食防止のために鉄板の上にチーク材を貼り、その上から銅板を貼った。
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艦形と武装
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「バポーム (通報艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
本級の船体は商船型船体で船体中央部の上部構造物の前側に艦橋が配置され両脇に船橋(ブリッジ)を持っており、船体中央部に1本煙突が立っていた。 艦首と艦尾に6.5cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1基ずつ計2基、13.8cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で前後の甲板上に2基ずつ計2基を配置した。 第一次大戦後の1920年代に艦首側の兵装を撤去して艦橋から艦首に至るプラットフォーム上に滑走甲板を新設、同時に艦橋の右側にデリック・クレーンを搭載して発艦実験艦として改装された。本艦の実験成果が後に航空母艦「ベアルン」の改装に役立てた。他に水上機4~6隻の搭載が可能で小型の水上機母艦としても用いられた。
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艦形と武装
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本級の船体形状は艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に帆走用の3本のマストと中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。船体の側面は109mmから120mmの厚さの装甲板で砲門部から砲郭部まで覆われている。舷側の砲郭部の内部には主砲の「1858年型 22.3cm(-口径)砲」が単装砲架で2基が収められており、床面には円弧状のレールで砲架を旋回・移動させる事により少ない砲門から砲身を出した際に砲門を支点として砲尾部を動かすことにより広い射界が得られた。これによりラ・グロワールのように舷側にズラリと大砲を並べなくとも、少ない門数でも効率的に火砲を敵艦に向けられる工夫であった。他には副砲として舷側に「1856年型 16.5cm(-口径)砲」を単装砲架で34基を砲郭部に配置した。 本級の竣工後の1865年に主砲を「1858年型 24cm(-口径)単装砲」4基に強化し、備砲を「1858年型 22.3cm(-口径)単装砲」2基と「1858年型 19.5cm(-口径)単装砲」8基と「1856年型 16.5cm(-口径)単装砲」10基に更新した。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 06:35 UTC 版)
金剛型の設計はイギリス造船局長(1867年-1870年在任)も務め、近代海軍の父と言われたエドワード・ジェームス・リードによる。鉄骨木皮の船体にバーク式帆走用マスト3本と1本煙突を持ち、舷側部に錬鉄製の舷側装甲137mm装甲を貼って防御していた。艦体内部には長期航海を想定して石炭を排水量の約1/7にあたる330~340トンも搭載できた。 本型はイギリスでの建造であるが兵装にはドイツのクルップ式後装填砲を採用しており、主砲として「クルップ 17cm(24.3口径)」を単装砲架で艦首船首楼に並列配置で2基、艦尾甲板上に1基の計3基を配置、舷側の砲門部に副砲の「クルップ 15cm(25.4口径)後装填型ライフル砲」を片舷3基ずつ計6基を配置した。他に対艦攻撃用に35.6cm水上魚雷発射管単装1基を装備するなど当時最新鋭の武装を持つ艦であった。 竣工後に近接火器として艦上にイギリスのアームストロング社の「アームストロング 7.6cm後装填型ライフル砲」を2基、フランスのオチキス社の「オチキス 3.7cm速射砲」を単装砲架で4基、ノルデンフェルト社のノルデンフェルト式25mm4連装機砲を4基とノルデンフェルト式11mm5連装機銃2基を装備した。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/07 04:55 UTC 版)
船体の基本形状は前艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ船体に3本のマストを持つ点は前艦と同じであるが、本級の煙突は断面が小判型の2本の煙突を、左右に並列配置している。これは、機関区の長さを押さえるための工夫であり、同時期のイギリス装甲艦にも見られる工夫である。船体が上部に行くほどに引き絞られているのに対し、舷側砲郭部の位置は前艦と変わらないので砲郭部が突出しているように見える。 主砲は前艦までは27cm砲で、イギリスの装甲艦の持つ30.5cm-31.8cm砲に比べて口径は劣っていたが、本艦はそれを凌駕する「1881年型 34cm(21口径)砲」を採用。本級の起工時には世界最大の後装填式の艦砲で、イギリスはこれに対抗するために「インフレキシブル」に40.6cm連装砲2基を搭載するが、これは帆船時代を思わせる旧式の前装式でしかなく、発射速度や射程では本級の持つ34cm後装填式砲におよぶものではなかった。これを、船体中央部の砲郭部内に片舷2基ずつ計4基を配置した。一方、旧来の27cm砲も副砲として搭載しており、「1870年型 27 cm(20口径)砲」を単装砲架で艦首に1基、煙突の左右バーベット上に片舷に1基ずつ、艦尾甲板上に1基の計4基を配置した。他に近接攻撃用に14cm単装砲6基を装備した。 この配置により、前後方向に最大34cm砲2門・27cm砲3門・14cm砲2門、左右方向に最大34cm砲2門・27cm砲3門・14cm砲3門を指向できた。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 09:07 UTC 版)
本級の船体形状は河川で使用するために乾舷の低い平甲板型であるが、限定的に沿岸航行も可能とするべく、艦首と艦尾のみ凌波性をよくするために甲板が高められた独特のデザインとなっている。この工夫のお陰で本級は河川砲艦ながら限定的に外洋航行が可能となり、「コンパス作戦」などの戦時には艦砲射撃に従事できた。 艦首甲板から前向きに主砲として前弩級戦艦「フォーミダブル級」の副砲にも採用されたMark VII 15.2cm(45口径)砲を単装砲架で1基を配置、甲板一段分上がって7.62cm(40口径)高角砲を単装砲架で1基、その背後に箱型の艦橋の背後に簡素な単脚式の前檣が立つ。艦橋構造の背後から1本煙突が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇用のボート・ダビットが片舷2本1組で計2組で運用される。煙突から後ろは後ろ向きに15.2cm主砲1基が載る。艦底部はスクリュー軸を埋め込むために凹まされ、同様の理由で舵も3枚の小型の物に分散されて、少しでも浅い場所でもスクリューや舵を河底に擦らない様に工夫されていた。
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艦形と武装
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「ベルキューズ (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は同世代のフランス装甲艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に3本のマストと中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。水線面には厚さ150mm装甲を、砲郭部に120mmの装甲板を広範囲に貼っており、舷側の砲郭部に19.3cmライフル砲を片舷2基ずつ計4基を配置しており、副武装として16.5cm単装砲を5基搭載している。後に副武装は16.5cm砲からより速射性に優れた14cm単装砲5基に換装され、近接戦闘用に3.7cm回転式機砲(ガトリング砲)4基を甲板上に設置した。
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艦形と武装
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「アドミラル・ナヒーモフ (装甲フリゲート)」の記事における「艦形と武装」の解説
本艦の基本構造はタンブルホームを持つ平甲板型船体に2本のブリッグ型帆走用マストと1本煙突を持つ艦形で、水面下に衝角を持つ垂直に切り立った艦首にはまだアンカー・ベッドもなく、錨を左右に舷側に吊り下げていた。 艦首甲板上には主武装の「1885年型 20.3 cm(35口径)ライフル砲(de:8-Zoll-Kanone M1885)」を連装砲塔に収めて1番主砲塔を1基、その後ろに前部マストと煙突が立ち。船体中央部に2番・3番主砲塔が片舷1基ずつ配置され、その上に両側に船橋を持つ操舵艦橋が配置された。艦載艇は舷側部に中央部砲塔を挟むように2本1組のデリックを片舷4基ずつ計8基で運用された。後部甲板上には後部マストを挟んで4番主砲塔が後向きに1基配置された。舷側部には5か所ずつ砲門を開けて副砲の「1877年型 15.2cm(35口径)単装砲(de:152 mm/35 Kanone M1877」を単装砲架で片舷5基ずつ計10基を配置した。 1898~1899年11月に近代化改装され、機関を強化して帆走設備を全て撤去し、帆走用だったマストはミリタリー・マストに一新され、見張り所に3.7cm~4.7cmクラスの速射砲を配置し、一部の4.7cm単装砲は主砲からの爆風を避けるためにマストの前の見張り所の上に並列で前後2基ずつ配置された。この時に船体中央部にあった操舵艦橋は前部マストの背後に移動された。
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艦形と武装
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「アミラル・ボーダン級戦艦」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は前艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ乾舷の高い船体を持つ点は前艦と同じであるが特筆すべきは本級から竣工時から帆走を全廃しており、前後にミリタリー・マストを装備している。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。 本艦のミリタリーマストは頂部には2段の見張り台があり、2段目に47mm回転式機砲が4基が配置され、後部ミリタリーマストも同形式で計4基が配置されたが後に甲板上にも47mm回転式機砲が増設され18基となった。また、「アミラル・デュプレ」は2本煙突あったが、本級は大型の1本煙突とされた。 そして、本級の特徴は舷側砲郭部に主砲を配置する従来のフランス装甲艦とは違い、本級は甲板上に竣工時から主砲を配置する形式を採用している。これにより主砲は広い射角を得られると同時に、水面から高位置に配置されるために波浪の影響を受けにくくなった。主砲は「アミラル・デュプレ」の34cm後装式砲でさえイギリスの同種艦を口径で凌駕していたが、本級では「1875年型 37cm(28口径)砲」を採用しリードした。無論、イギリスやイタリアでもフランス艦を超える口径の艦砲の搭載はあったが、それは帆船時代を思わせる旧式な前装式でしかなく、発射速度では本級の持つ37cm後装式砲に及ぶ物ではなかった。 これを、バーベット上に配置するのは「アミラル・デュプレ」と同じであるが、旧来の搭載方法では外洋航行時にバーベット内に波浪が吹き込む問題があったので本級では中口径砲の砲弾に耐える装甲カバーを被せた。主砲は前部甲板に1基、中央甲板に前向きに1基、後部の甲板に後ろ向きに1基計3基を配置した。他に近接攻撃用に「1884年型 16cm(30口径)砲」を単装砲架で4基を舷側の砲郭部に片舷2基ずつ配置、「1881年型 14cm(28口径)砲」を単装砲架で8基を艦首と艦尾に1基ずつ、舷側に片舷3基ずつ配置した。この配置により前後方向に最大34cm砲1門・27cm砲3門・16cm砲2門、14cm砲1門、左右方向に最大34cm砲3門・16cm砲2門・14cm砲3門を指向する事が出来た。他に対艦攻撃用に35cm単装魚雷発射管を4門から後に6門装備した。 本級は竣工後の1896年に近代化改装が行われ、3基の主砲のうち中央部の2番主砲をバーベットごと撤去され、跡地には舷側に配置されていた16cm砲を甲板上に新たに設けられた砲郭部に配置しなおされた。砲郭部の上は艦載艇置き場となり、片舷2基ずつ計4基のグース・ネック(鴨の首型)クレーンにより運用された。この改装で後部ミリタリーマストは小型化され、露天式の前部艦橋は密閉型の航海艦橋とブリッジ(船橋)が新たに設けられ外観が前弩級戦艦に近くなった。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 05:04 UTC 版)
「ルドゥタブル (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は前艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ船体に3本のマストと中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態であるが、一方で艦幅が前級17.5mであったのが本艦では19.7mと2.2mも太くなっているのが特徴である。これにより外洋航行時の安定性が増した。また、舷側装甲帯は前級が225mmであったのが本艦において一番薄い箇所でも240mmとなり、船体中央部は350mmに達した。 前級で2箇所に減った船体中央部の円形のバーベットは本艦でもそのままであるが装甲範囲が砲郭部を取り込んで水面部までの上下の広い範囲を装甲で覆うのが特徴的である。主砲には新開発の「1875年型 27 cm(20口径)砲」が単装砲架で8基を搭載しており、配置方式は艦首側に開けられた砲門に1基、後甲板の端部に1基ずつと左右のバーベット部に片舷1基ずつで計4基を配置、船体舷側の砲郭部に片舷2基ずつ計4基を配置した。この配置により前後方向に最大5門、左右方向に最大5門を指向する事が出来た。バーベット部の装甲は240mm装甲に強化されている。 竣工後の1893年から1894年にかけて行われた近代化改装で3本のマストのうち中央部のマストは撤去され2本となり、帆走設備は撤去されて簡素なミリタリー・マストとなった。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれ、どこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。本艦のミリタリーマストは頂部には2段の見張り台があり、中段に47mm回転式機砲が単装砲架で1基が配置され、後部ミリタリーマストも同形式で1基ずつ計2基が配置されたが後に増設された。武装は大きく更新され、口径は27cmと変わらないが砲身長が伸ばされた「1881年型 27cm(28口径)砲」が単装砲架で1基、「1875年型 27cm(28口径)砲」は単装砲架で4基、「1870年型 24cm(18口径)砲」は単装砲架で4基、10cm単装速射砲6基、47mm回転式機砲2基、対艦攻撃用に35cm水上魚雷発射管単装で2基を装備した。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 07:45 UTC 版)
船体の基本形状は前艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ船体の前後にミリタリー・マストを装備している。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれど、この時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。 本艦のミリタリーマストは頂部には2段の見張り台があり、2段目に47mm回転式機砲が4基が配置され、後部ミリタリーマストも同形式で計4基が配置されたが、他に甲板上にも47mm回転式機砲が増設され計10基となった。煙突は箱型の1本煙突である。舷側装甲帯は全長をカバーし、水線部に350~450mm装甲を張り、その上から上甲板の端までを80mm装甲を張った。主甲板装甲は艦首尾部20mmから始まり中央部装甲は90mm装甲である。本艦の主砲は、フランス主力艦として初めて竣工時から完全な砲塔形式となり、最大厚400mm装甲からなる装甲板で覆われた。 主砲には新開発の「1881年型 34cm(28口径)砲」を単装砲塔収め、前後の甲板上に1基ずつを配置した。1番主砲塔の背後には露天式の航海艦橋、前部ミリタリーマスト、2本煙突の後部から後部ミリタリーマストの間は艦載艇置き場となっており、片舷3基ずつの長いアームを持つボート・ダビッドで運用される。船体中央部には副砲として新開発の「1881年型 27 cm(28口径)砲」が単装砲架で片舷1基ずつ計2基を配置した。他に対水雷艇用に「1881年型 14cm(30口径)砲」が単装砲架で18基を配置した。 対艦攻撃用に45cm水上魚雷発射管が単装で5基を搭載した。 本級は竣工後の1898年に近代化改装が行われ、復原性改善のために後部ミリタリー・マストを簡素な単脚檣に換えた。機関は全換装され、ベルウィール式缶18基と直立型3段膨張型レシプロ機関2基となった。これに伴い大型の1本煙突を断面が楕円形の2本煙突を並列に配置する形式を採っている。 3基の主砲のうち中央部の27 cm砲はバーベットごと撤去され、跡地には舷側に配置されていた16cm砲を甲板上に新たに設けられた砲郭(ケースメイト)部に配置しなおされた。砲郭部の上は艦載艇置き場となり、片舷2基ずつ計4基のグース・ネック(鴨の首型)クレーンにより運用された。この改装で後部ミリタリーマストは小型化され、露天式の前部艦橋は、両側に船橋(ブリッジ)を持つ密閉型の航海艦橋が新たに設けられて外観が前弩級戦艦に近くなった。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 02:54 UTC 版)
「ローレライ (通報艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
本艦の基本形状は平甲板型船体に2本の帆走用マストを持ち、1番・2番マストの間に1本煙突を持っていた。船体中央部にフルカン社製ボイラー1基と単膨脹型2気筒レシプロ機関による1軸推進で片舷に直径5.36m・24枚のパドルを持つ外輪を駆動した。本艦の機関は竣工時には350馬力を発し、速力10.5ノットが可能であった。 1870年から1973年にかけて近代化改装が行われ、船体サイズは全長46.6mへと変更された物の、機関の換装は行われず速力は9.1ノットに低下した。帆走用の帆は竣工時は310平方フィートであったが、改装後は200平方フィートに減少した。 武装は就役時は12cm単装砲2基であったが、前述の改装後は12.5cm(23口径)単装砲1基と8cm(23口径)単装砲2基に更新された。
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艦形と武装
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「ケーニヒ・ヴィルヘルム (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
竣工当時の「ケーニヒ・ヴィルヘルム」。煙突は船内に伸縮されている。 近代化改装後の「ケーニヒ・ヴィルヘルム」。 武装・装甲配置を示した図。 船体の基本形状は艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に3本の帆走用マストを立て、船体中央部には帆走時には船体に引き込める2本煙突が立ち、間には操舵艦橋が設けられていた。船体内部には150mmから203mmにもなる装甲板をリベットで組み立てた砲郭(ケースメイト)があり、甲板上に突き出るように厚さ170mmにもなる筆箱状のバーベットが前後に一つずつ設けられ、内部には21cm砲が単装砲架で2基ずつ配置され端部に開けられた砲門で射界を得る工夫であった。舷側の砲門部には片舷9か所の砲門が開けられ、砲郭内の24cm砲を片舷9基ずつ計18基を配置した。 1890年代に近代化改装を受けた折にボイラーを換装して帆走設備は全廃し、見張り所を持つ前後マストとなった。 ウィキメディア・コモンズには、ケーニヒ・ヴィルヘルム (装甲艦)に関連するカテゴリがあります。
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艦形と武装
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船体形状は艦首水面下に衝角をもつ船体に3本のマストと中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。艦首の衝角は水面下で3mも前方に突き出しており内部は青銅が詰められている。船体中央部の4箇所に円形のバーベットが埋め込まれ、バーベットは150mmの装甲板がリベットで組み立てられた。バーベット内には「1870年型24cm(19口径)砲」を単装砲架で露天に置く「露砲塔」である。露砲塔というのは、現在の砲塔形式とは違い、火砲の基部のみを装甲で覆う型式を指す型式である。この時代の艦砲は現在と異なりライフル銃のように直接標準で撃ち合うようなものであったために砲の上面に砲弾が当たるとは考えられておらず、基部のみを防御する考えであった。24cm砲の砲架の下部はバーベットから独立したターン・テーブル状の床面となっており、数人がかりでハンドルを回す事により旋回が出来た。 24cm砲バーベットの下部の船体側面は178mmから200mmの装甲板を持つ砲郭部となっている。砲郭は上方から見て横に長い八角形となっており、左右方向の壁面に3門の砲門、斜め前と斜め後ろの壁面に1門の砲門が開けられている。砲郭部の内部には主砲の「1870年型 27cm(18口径)砲」が単装砲架で4基が収められており、床面には円弧状のレールで24cm砲の砲架を旋回・移動させる事により少ない砲門から砲身を出した際に砲門を支点として砲尾部を動かすことにより広い射界が得られた。これによりラ・グロワールのように舷側に大砲を並べなくとも少ない門数でも迅速に火砲を敵艦に向けられる工夫であった。他には副砲として舷側に「1870年型 14cm(21口径)砲」を単装砲架で8基を配置した。竣工後に接舷乗り込み時の戦闘用の47mm回転式5連装機関砲が単装砲架で8基から随時増設され22基まで増備された。他に対艦攻撃用に35cm単装魚雷発射管が2基から4基が搭載された。
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艦形と武装
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「インペリウス級装甲巡洋艦」の記事における「艦形と武装」の解説
本級の船体形状は水面下に衝角(ラム)を持つ平甲板型船体に2本のブリッグ型帆走用マストと2本煙突を持つ典型的な装甲艦の艦形である。後に近代化改装が行われ、帆走設備が撤去され、2本煙突の間の船体中央部にミリタリーマストを1本持つ。 主武装の「Mark III 1881年型 23.4 cm(31.5口径)ライフル砲」を新設計の露砲塔に収めて1番主砲塔が1基、その後ろに前部マストと2本煙突が立ち、その間に両側に船橋を持つ操舵艦橋が配置された。船体中央の左右舷側に2番・3番主砲塔が片舷1基ずつ配置され、その上に、艦載艇は舷側部に中央部砲塔を挟むように2本1組のデリックが片舷4基ずつ計8基運用された。後部甲板上には後部マストを挟んで4番主砲塔が後向きに1基配置された。舷側部には5か所ずつ砲門を開けて副砲の15.2cm単装砲が単装砲架で片舷5基ずつ計10基配置された。
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艦形と武装
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「オスマニイェ級装甲艦」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に3本のマストと中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。本級は甲板上に主砲の22.9cm(13.9口径)カノン砲が単装砲架で1基が配置されており、主砲の砲架の末部に付いた歯車を、砲員がクランクを回転させて旋回させる事ができた。舷側の砲郭内には副武装として20.3cm(15口径)砲が単装砲架で片舷7基ずつ計14基が配置されており、床面には円弧状のレールで主砲の砲架の末部に付いた歯車を、砲員がクランクを回転させて旋回・移動させる事ができ、少ない門数でも砲身を出した砲門を支点として砲尾部を動かすことにより広い射界が得られた。これにより左右方向に最大で22.9cm砲1門と20.3cm砲7門が指向できた。 本級は1890年から1894年にかけて「オスマニイェ」「アブドゥル・アズィズ 」が、次いで1892年から1894年にかけて「オルハニイェ」「マフムディイェ」がイタリアのアンサルド社イスタンブール造船所にて近代化改装を受け、機関と火砲の換装や船体の延長など大規模な工事が行われた。機関の換装に伴う航続性能向上により帆走設備は廃止されてマストの本数は2本となり艦容は近代化された。煙突は1本のままだが周囲には煙管型の通風筒が立てられた。艦橋を基部に組み込んだ単脚式の前檣には見張り台がある。同じく単脚式の後檣の基部にはジブ・クレーンが付属し、煙突と後檣の間に置かれた艦載艇の運用に使用された。 武装は全てクルップ社の艦砲に統一され、主砲として船体の前後甲板上に「オスマニイェ」「アブドゥル・アズィズ 」は「21cm(35口径)単装砲」、「オルハニイェ」「マフムディイェ」が「24cm(32口径)単装砲」搭載した。これを収めた露砲塔が1基ずつ計2基が配置され、副砲として舷側砲郭部に「15cm(25口径)砲」が単装砲架で片舷4基ずつ計8基が配置された。ほかに「10.5cm(35口径)砲」が単装砲架で6基、近接戦闘用としてオチキス社の4.7cm(43口径)機砲が4基搭載された。対艦攻撃用として35cm単装魚雷発射管2基が搭載された。この武装配置により前後方向に21cm砲1門が、左右方向には21cm砲2門と15.2cm砲4門が指向できた。
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艦形と武装
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「アーサール・テヴフィク (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
本級の船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる船体形状であった。 船体の基本形状は列強の装甲艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に3本のマストを持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。1番マストの後ろに1本煙突が立ち、その背後に船橋(ブリッジ)が設けられ、その両脇の甲板上に主砲のイギリスのアームストロング社製「22.9cm(13.9口径)アームストロング砲」を乗せたバーベットが片舷1基ずつ配置された。2番マストと3番マストの順である。船体中央部の砲郭部には22.9cm砲が単装砲架で片舷3基ずつを配置し、甲板上のものと合わせて計8基を搭載した。水線面と砲門部には厚さ102~229mm装甲を舷側に貼っていた。
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艦形と武装
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「メスディイェ級装甲艦」の記事における「艦形と武装」の解説
本級の船体の基本形状は列強の装甲艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体上に、3本のマストの間に2本煙突が立つ当時の一般的な装甲艦の形態である。船体内部の砲郭(ケースメイト)には主砲のアームストロング社製「1861年型 Marks II 25.4cm(14.5口径)前装填単装砲を単装砲架で片舷6基ずつ計12基を配置していた。少ない門数で射界を広く取るために本級の舷側部は上部から見て八角形状となっており、壁面が斜めとなる箇所に砲門を開け、片舷6箇所の計12箇所の砲門が開けられた。主砲の旋回は砲架が床面に扇状に埋め込まれたレール上を移動することにより広い射界を得ており、敵対位置により自在に砲門を選べた。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 22:20 UTC 版)
「アーサール・シェヴケド級装甲艦」の記事における「艦形と武装」の解説
本級の船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる船体形状であった。水線面にチーク材の上に152mmの鉄製の装甲が張られ、末端部は114mm装甲が張られた。船体中央部に箱型の構造物が設けられて後述する武装が搭載された。 船体の基本形状は列強の装甲艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に2本のマストの間に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。艦尾甲板上には主砲のイギリスのアームストロング社製「22.9cm(13.9口径)アームストロング砲」を単装砲架で基部を装甲で覆われたバーベット上に1基を配置した。舷側の砲門部には副砲の17.8cm単装砲を単装砲架で片舷2基ずつ計4基を配置した。水線面と砲門部には厚さ152mm装甲を、機関区と弾薬庫を守るボックス・シタデルには120mmの装甲板を舷側に貼っていた。 1890年代に近代化改装を受けた折に近接戦闘用に「1859年型 8.7cm(24口径)単装砲」2基、「1862年型 6.4cm(-口径)単装砲」を2基、オチキス 3.7cm(23口径)5連装回転式機砲2基を甲板上に配置していた。
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艦形と武装
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「ライプツィヒ級コルベット」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は艦首水面下に衝角をもつ船体に3本のバーク式マストと中央部に帆走時には伸縮する1本煙突を持つ当時の一般的な蒸気船の形態である。生存性確保のために船体は7つの水密区画に分かれ、機関区の底は二重底となっていた。修理ドックの少ない海外で使用するために水面下には腐食や汚れの付きにくい銅板が貼られた。 本艦の外観の特徴として艦首船首楼と艦尾甲板上に主砲として17cm(25口径)単装砲を1基ずつ計2基を配置、舷側の砲門部に副砲の17cm(20口径)単装砲を片舷5基ずつ計10基を配置された。竣工後に近接火器としてオチキス社の3.7cm(23口径)5連装回転式機砲4基と35cm魚雷発射管を単装で4基を搭載した。
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艦形と武装
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「リシュリュー (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は前艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ船体に3本のマストと中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。前級で2箇所に減った船体中央部の円形のバーベットは本艦では片舷2基ずつ計4箇所に復帰されている。バーベット部の装甲はオセアン級と同じく160mm装甲が張られている。だが、そのバーベット内に収まるのは「1870年型 24cm(19口径)砲」であるが、搭載数はオセアン級の4基から本艦は5基に増加しており、増加分の単装砲1基は艦首側に開けられた砲門に内蔵されている。 主砲の「1870年型 27cm(18口径)砲」の門数は「フリードランド」と同じく左右3基ずつ計6基であるが、砲郭内床面には円弧状のレールで27cm砲の砲架を旋回・移動させる事により、少ない砲門から砲身を出した際に砲門を支点として砲尾部を動かすことにより広い射界が得られた。更に、「フリードランド」に比べ舷側に開けられた砲門の間隔が広くなっているために射界を広くとる事ができた。これにより前方向に24cm砲3門、後方に24cm砲2門、左右方向に最大24cm砲1門、27cm砲3門が指向できた。他には副砲として舷側に12cm単装砲を10基を配置したが竣工後副砲を「1870年型 14cm(21口径)砲」を単装砲架で6門に換装し、接舷乗り込み時の戦闘用の47mm回転式5連装機関砲が単装砲架で8基から随時増設され18基まで増備された。他に対艦攻撃用に35cm単装魚雷発射管が4基が搭載された。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 08:17 UTC 版)
「インデペンデンシア (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
本艦の基本構造は艦首に鋭い形状の衝角(ラム)を持つ平甲板型船体に3本の帆走用マストを持つ装甲フリゲートで、船体中央部の1番・2番マストの間に船橋を持つ艦橋が立ち、主武装は上甲板の前後端部に配置し、副武装を艦内に配置していた。 本艦の主砲には大砲技術の本場イギリスのアームストロング社の砲を採用している。艦首と艦尾の端部にアームストロング 150ポンド前装填式滑腔砲」を単装砲架で1基ずつ計2基を、艦内の中甲板上にアームストロング 70ポンド砲を舷側ケースメイト(砲郭)配置で片舷6基ずつ計12基を配置していた。上甲板と砲廓部の床面には、ピポッティング・スライド・キャリッジ(Pivotting Slide Calliage)と呼ばれる円弧状のレールが敷設され、その上に置かれた砲架を旋回・移動させる事により、砲郭から大砲を出した砲身を出した際に砲門を支点として砲尾部を扇状に動かすことにより広い射界が得られた。これにより少ない門数でも迅速に火砲を敵艦に向けられる工夫であった。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 02:49 UTC 版)
「エルトゥールル (フリゲート)」の記事における「艦形と武装」の解説
艦形 エルトゥールルの模型。 遭難するエルトゥールル号を描いた絵画。 本艦の基本構造は平甲板型船体に3本の帆走用マストを持つ装甲フリゲートで、船体中央部の1番・2番マストの間に船橋を持つ艦橋が立ち、船体内部の砲郭(ケースメイト)部に主武装を左右均等に配置していた。 1864年にロンドンに回航され、1865年まで老朽化した船体の修理と共に、蒸気機関を搭載して蒸気船に改造すると共に武装の一新が行われた。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/12/07 15:49 UTC 版)
また、主砲バーベット部には装甲は張られていない代わりに、「1870年型 27cm(18口径)砲」の門数は6基から8基に増加しており、舷側の砲郭部に27cm砲を左右4基ずつ配置している。これにより前後方向への火力は前級と同じ24cm砲2門だが、左右方向には24cm砲1門と27cm砲4門が指向できた。舷側の砲郭内には「1870年型 27cm(18口径)砲」が単装砲架で片舷4基ずつ計8基が配置されており、床面には円弧状のレールで27cm砲の砲架を旋回・移動させる事により、少ない砲門から砲身を出した際に砲門を支点として砲尾部を動かすことにより広い射界が得られた。 他には前級に引き続き副砲として舷側に「1870年型 14cm(21口径)砲」を単装砲架で6基から8基を配置した。竣工後に接舷乗り込み時の戦闘用の47mm回転式5連装機関砲が単装砲架で14基から随時増設され18基まで増備された。他に対艦攻撃用に35cm単装魚雷発射管が4基から6基が搭載された。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/28 17:42 UTC 版)
「フリードランド (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は前級と同じく艦首水面下に衝角をもつ船体に3本のマストと中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。前級で船体中央部の4箇所にあった円形のバーベットは本艦では左右1箇所ずつの2箇所に減少している。また、バーベット部には装甲は張られていない代わりに、「1870年型 27cm(18口径)砲」の門数は前級の4基の倍の8基に増加しており、舷側の砲郭部に27cm砲を左右3基ずつ配置している。これにより前後方向への火力は前級と同じ2門だが、左右方向には前級の倍の最大4門が指向できた。舷側の砲郭内には「1870年型 27cm(18口径)砲」が単装砲架で6基が左右3基ずつ配置されており、床面には円弧状のレールで27cm砲の砲架を旋回・移動させる事により、少ない砲門から砲身を出した際に砲門を支点として砲尾部を動かすことにより広い射界が得られた。 他には前級に引き続き副砲として舷側に「1870年型 14cm(21口径)砲」を単装砲架で8基を配置した。竣工後に接舷乗り込み時の戦闘用の47mm回転式5連装機関砲が単装砲架で8基から随時増設され22基まで増備された。他に対艦攻撃用に35cm単装魚雷発射管が2基から4基が搭載された。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/31 04:43 UTC 版)
船体の基本形状は前級と同じく艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に3本のマストと中央部に2本煙突を持つ当時の一般的なフランス装甲艦の形態である。本級は5,000トン台の小型の艦形でありながら「アミラル・デュプレ」と同じく、船体中央部に主砲の「1870年型 24cm(19口径)単装砲」を収めた円形のバーベットを片舷1基ずつ計2基と、2本煙突と2番マストの間に1基、2番マストと3番マストの間に1基の計4基を配置した。 これにより従来の舷側に砲門を持つ艦に比べ、前後方向への主砲火力を持つ事と成った。副砲の「1858年型 19.3cm(-口径)単装砲」は艦首に設けられた砲門から1基と艦尾に1基を配置していた。その他に「1870年型 13.8cm(30口径)単装砲」が舷側の砲郭内に片舷3基ずつ計6基が配置されており、床面には円弧状のレールで砲架を旋回・移動させる事ができ、少ない門数でも砲身を出した砲門を支点として砲尾部を動かすことにより広い射界が得られた。これにより前後方向に最大で24cm砲2門・19.3cm砲1門を、舷側方向に最大で24cm砲3門、13.8cm砲3門を指向することが出来た。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/19 00:24 UTC 版)
「プリンス・ヘンドリック・デル・ネーデルランデン (装甲艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
船体の基本形状は艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に3本の帆走用マストと中央部に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。本級は3,000トン台の小型の艦形でありながら甲板上の前後に主砲の「1849年型 22.9cm(13.9口径)単装砲」を2門ずつ収めた円形のバーベットを持つ。これにより従来の舷側に砲門を持つ艦に比べ、舷側方向への広い主砲火力を持つ事と成った。他に舷側に12cm砲が単装砲架で片舷2基ずつ計4基が配置されていた。これにより前後方向に舷側方向に最大で22.9cm砲2門と12cm砲2門を指向することが出来た。
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艦形と武装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/14 05:19 UTC 版)
「ロスティスラブ (戦艦)」の記事における「艦形と武装」の解説
本艦は当時の主流である平甲板型船体で、艦首水面下に衝角を持ち、艦首甲板から前部甲板上に「1891年型 25.4cm(45口径)砲」を連装砲砲塔に収め、厚さ254mmにもなる装甲が張られた1基を配置。 その真後ろから艦橋構造が始まり、司令塔を下部に組み込んだ箱形艦橋で両側に船橋(ブリッジ)を持っていた。その背後に中部に装甲で覆われた見張り所が設けられたミリタリー・マストで47mm砲や37mm砲が配置された前部単脚檣が1本立ち、その後部から機関区が始まり、断面が円形の2本の煙突を直列に配置している。煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が片舷4本ずつの計8本が立つ。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、後部単脚檣の基部に1基ずつついたジブ・クレーンにより運用される。 2番煙突の後部に後部単脚檣と後部艦橋が配置され、その後ろは後ろ向きに連装砲1基が配置された。副砲の15.2cm砲は連装砲塔に収められ、4基が1番煙突の両脇と後部単脚檣の両脇に前後に左右2基ずつ配置された。この武装配置により前後方向に最大25.4cm砲2門、15.2砲4門が指向でき、左右方向に最大25.4cm砲4門、15.2cm砲4門を指向できた。
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