平賀案計画時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:45 UTC 版)
平賀案は建造されていたならば、恐らく戦艦加賀や巡洋戦艦天城、戦艦紀伊のような艦形となり、主砲配置はペンサコーラ級重巡洋艦のようになっていたことが推測される。 満載排水量 39200t 基準排水量 35000t 全長 232m 全幅 32m 機関 三軸減速タービン80000shp 最大速力 26.5ノット 兵装 40cm連装砲 2基、三連装 2基 計10門(推測) 15cm単装砲16門(推測) 12.7cm連装高角砲8門(推測) 61cm固定式魚雷発射管2門 航空機 2機 射出機 1基 両者の設計案を比較すると、藤本案がバイタルパートを船体全長に行き渡らせているのに対し、平賀案は集中防御を徹底させている保守的なものではあったが、土佐実験など結果などが反映されたと思われ、その船体重量は10,000t、防御重量は13,000tとなっていた。また両者の設計案における船体重量、防御重量の比率はそれぞれ独英の主力艦の重量配分に近い物となっていた。 当時平賀は内部対立により艦船設計の担当部署である艦政本部第四部から海軍技術研究所の造船研究部長という閑職に左遷されており、平賀案は藤本案を良しとしない平賀が勝手に作成した私案であったと言われている。藤本案という艦政本部の公案と、多大な功績を残しているとはいえ左遷された一軍人の個人案が中央で比較検討されたということからも(中央を混乱させたとする批判的な指摘もあるが)、平賀譲という人物の影響力が窺い知れる。
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