平賀氏庶流木原氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 03:23 UTC 版)
平賀弘頼の子、保成が木原城主となって、木原を名字とした。その後、家臣として平賀氏に仕えたが、平賀宗家の没落によって武士を廃業し、商人として活動。江戸時代には酒造業や塩田業等を営み、芸南有数の豪商として活動した。今も東広島市に残る旧木原家住宅は昭和41年(1966年)に国の重要文化財指定を受けた。 幕末の広島藩士木原適處はその一門で、江戸に遊学して勝海舟に海軍を学び、その知識をもって広島藩士に登用された。同門下の中岡慎太郎、坂本龍馬、大田黒伴雄、村田蔵六(後の大村益次郎)らと親交を結んだ。 幕末の動乱期には神機隊を創設してその指揮に当たり、戊辰戦争では東北等を転戦した。明治維新後は、明治17年(1884年)に広島英学校を設立。後に合併等で学校名は消滅するが、現在の広島女学院はその末である。
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