平賀源内と伊多波武助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 15:11 UTC 版)
平賀源内が角館の藩士に宛てた書状に記された、小田野直武の俗称である「武助」という文字が、平賀源内と小田野直武が角館で出会ったとする証拠だとする通説がある。 秋田県立近代美術館の主任学芸主事の山本丈志はこの通説に対して疑問を提示している。山本は、手紙には「武助殿」という敬称が使われているが、50前の平賀源内が25歳の小田野直武に敬称を付けるのはおかしく、これは平賀源内と同じ鉱山の技術があった、伊多波武助を指しているのではないかとしている。同時に、鉱山技術の為に佐竹藩に招聘された平賀源内と伊多波武助には何らかの接点があったのではないかと考えられる。
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